癒しの森 湯布院(仙人の健康相談室)  


人を、そして自分を癒し真なる喜びをもたらす
   
        人生の生き方を学ぶ 癒しの森湯布院

NO286・・・霊と霊能力

2021-06-19 | 難病
ある真言密教の阿闍梨は霊について以下のように述べています。

霊とは何か?
霊能力のない人はお化けだ。
霊とは不思議な力や働きをもつ存在。
それは『人間』の事を指す。
でも、その能力を腐らせているのはちっぽけな自分を守る脳みそだ
損得考える前に動けば霊能力は存分に発揮される。
それが人間の真の姿である。

■私は常に自分がいかに幸せになるかを考えるのではなく、縁(主に病気の方)があった人を如何にしたら幸にする事が出来るかを考えるべきだと教えている。
人の喜びを我が喜びとせよ」でありますから、縁があった人を幸にする事が自分の喜びだから、自分が幸になる事は、人を幸にする事になる。

 私も72才になり、今後は静かに余生を送れば良いのであるが、これでは幸に成れないと自分の魂は知っている。2~3年前より今後必要に
なるであろうと思う物をがむしゃらに買い集めたのであるが、もし今ならとても入手できないであろう。つい最近アフリカから入手予定であった
ライオンの爪がストップされた。

 良い事なのであろうが、アフリカの環境保護団体が政府に圧力をかけて国外持ち出しの許可申請を認めないようになったそうである。Tがワシントン条約
で数年前より厳しくなったので流通がストップした為に、Tの代替品としてライオンの取引が急増すると共に密猟も急増した。虎骨酒の主原料であるTの代わ
りにライオンの骨が使われるためであるのです。

 中国・ベトナム・タイなどの東南アジアで引っ張りだことの事であり、裏返せばそれだけ効果があるという事なのです。何に効果があるのか???
除霊効果があるのです。体内の悪霊(邪気)を抜けば、重たい体は軽くなり、頭はスッキリし長生きできるからなのです。知っている人は、知っているのです。

 それを予知した私は、3年前から買い集め一生使う分は確保済であります。次に来るのはラジウムであろうと察し、昨年買い集めてこれも一生使う分は確保
済であります。何故次から次に的中するのでしょうか?これが上記に書いている「霊能力」の力なのです。この力を得ると、自分が何かを行うのではなく
目に見えない力によって思考も体も動かされるようになるのです。

 今、やらさられている事は、多くの人に、この能力を授ける為に「松果体の覚醒」の仕方を広める事であり、すでに物と知識は入ってきており、後は時期を
見ているところであります。そして、その次は未知能力(占い?)を使って健康診断を行い、その人にあった治し方(処方)を教える仕事になるだろうと思っています。

 その処方を行う5種類(木・火・土・金・水)の生薬も入手済で、究極のヒーラーを目指す人や難病の方のお茶は特別茶になりTの頭骨の粉や羚羊角の粉が配合されるのです。その時は理解できないのであるが、時間が過ぎると、あの時がむしゃらに買い求めた(買い求めさせられた?)意味が理解できるというものです。ですから、いろいろ考えず自分の魂の欲するままに行動する事が大事であり、行動を起こすことが霊能力を授かる秘訣であると言いたいのです。そして、霊能力は松果体を覚醒させれば簡単に誰でも手に入るのです。

■Tの頭骨の粉入りの特別茶は健康指導をしながら服用して頂きますので一般販売は致しません。希望する方は、面接か電話で相談を受けてからの販売になり、漢方占い(陰陽五行の強弱)と合わせて処方を決めますので、ご理解下さい。詳しい事は後日発表します。難病でほとほと困っている方と修行僧様用ですから面接か電話でお互い納得してからの販売になります。人生相談(占い)などは、治療の一環として準備が整い次第させて頂くように考えています。

 お茶を飲めば誰でも境地に達することが出来るのではなく、上記のその能力を腐らせているのはちっぽけな自分を守る脳みそだ

損得考える前に動けば霊能力は存分に発揮される。
それが人間の真の姿である。が前提となりますので、日々努力されることを望みます。

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NO285・・・11 これでもない、これでもない

2021-06-19 | 悟り
インドスピリチュアル寓話集より

若い娘の夫が、友人たちと一緒に妻の実家を訪れてきた。娘とその友達が窓越しに彼らを見ていた。娘の友達は、だれが娘の夫なのかまだ知らなかった。彼女は、若者たちの一人をゆびさして、
「あの人があなたの夫なの?」と聞いた。
「ちがうわ」と言って、娘はにっこり微笑む。彼女はまた別な若者をゆびさして、
「じゃあ、あの人が夫なの?」と聞くと、娘はまた、
「ちがうわ」と言って微笑む。三人目の若者にも、四人目の若者にも、娘の答えは同じだった。
最後に、「あの人がそうなの?」と聞くと、彼女は「そうだ」とも「ちがう」とも言わずに、ただにっこりと微笑んだ。それによって、娘の友達は、彼が娘の夫だということがわかった。

もうひとつの話をつづけよう。
赤ん坊のときに誘拐された息子を捜して、男は何年も旅をつづけていた。
彼はようやくの思いで盗賊たちの館をつきとめ、扉の前までやってきた。夜もふけて、あたりは真っ暗だった。家の奥のほうからは、盗賊たちの酒盛りの音が聞こえていた。
男は静かに扉をあけ、注意深く暗闇のなかを進んでいった。
椅子に触れた――これではない!
棚にふれた――これではない!
テーブルにふれた――これではない!
だが、じょじょに子供の寝息に近づいているようであった。彼はなおも進みつづけた。

ベッドの足にふれた――これでもない!
毛布にふれた――これでもない!
枕にふれた――これでもない!
そして、ついに眠っている子供の身体にふれたとき、男はもはやなにも言わなかった。よろこびが稲妻のように彼の全身をつらぬいた。彼は子供を抱擁した。

お茶情報
 大正時代に活躍した生き神様は「ガンなんかで人は死ぬものではない」と教えていました。私が処方した5種類の生薬を飲むだけで良いと言いました。大正時代と現代の時代の相違点を考え、これに少し改良を加えれば、この生き神様の教えは今でも通用すると思います。何が違うか?考えて下さい。私たちの子供の時代はとにかく甘い物に飢えていました。大正時代は玄米に味噌汁と漬物と小魚を食べていた時代です。これで酵母菌やカルシウムを摂取していました。コーヒーでなく緑茶でした。もちろん人糞が肥料ですから野菜は生命力が強い物でした。今は人工栽培ですよ。霊芝も人工栽培が氾濫していますよ。これで効くわけがない!農薬漬けの野菜は見かけだけで生命力は1/10ですよ。塩は天然100%で砂糖も加工なしで少量・・・・いえば切がないですね。

 大正時代の人はもっともっと飢えていたでしょう。各家庭に電話やテレビが普及し出したのは昭和30年代です。おそらく微弱な電波だったでしょう。それに冷蔵庫・洗濯機と続き、食品添加物・改良された農業へと大きく成長して行くのですが、この成長が曲者で人間も宇宙人的発想をする人間へと成長して行き今に至るのです。素直さ正直などの言葉は死語になりつつあります。人を蹴落としてでもお金がすべてだと思う悪の心が優位になったのです。

 世界を見ても同じでしょう。善と悪でバランスをとって安定を保っているのが宇宙の法則なのですが、悪が優位になりのさばっている現代では今後何が起こるか知れません。一握りの人間(ロス、チャ〇〇〇?)に支配されようとしているのです。これらからも健康を考えなければなりません。流れる情報は嘘ばかりであるという事を前提に考えねば健康回復も解脱も難しいと思うのです。

 では、誰を信じれば良いのか?・・・古の偉人の言葉を聞くのが正しいのではないでしょうか?「人間は決してガンなどで死ぬものではない」これを信じてガンという恐怖の縛りから解放されてください。解放とは、羽を切られた鳥がそれが当たり前と思っている考えを棄て、鳥は羽があり、大空を自由に羽ばたくことが出来るという真実を知る事なのです。洗脳から解放されるのです。私の言いたい事をご理解いただければ幸いです。

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