癒しの森 湯布院(仙人の健康相談室)  


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NO552・・・霊障について

2018-02-09 | ヒーリング

霊障とは、霊の障りと書きます。では、霊とはなにか?霊とは全てが悪い霊なのだろうか?先祖霊も悪い霊なのだろうか?東洋医学思想に、悪鬼とか邪気とか悪霊という文字が出て来る医学の経典があるのですが、この使い分けから述べてみたいと思います。

 

肉体から魂がはなれたら、霊になります。この霊には、成仏した霊と成仏していない霊があります。多くの霊は、自分が死んだことを悟り、安楽の浄土であるお釈迦様が住む西方浄土にいくのですが、この世に執着がある霊は、この世とあの世の間を彷徨い続ける事になります。

地下洞窟の中をカーリー神に捧げるお供物を焚き煙で燻しています。

 

例えば、このままでは死ぬに死にきれないと良く聞きますが、何故死ぬに死に切れないのでしょうか?多分この世に未練があり、死ぬに死に切れないのでしょう。その未練の多くは執着から来ています。愛する人から離れたくない。愛する子供から離れたくない。まだまだやり残したことがあるから死にたくない。

 

また、また、あいつが苦しむ顔を見るまでは死にたくないや、お金を残すと親不孝の子供や嫁に奪われてしまうから、使い切るまでは死にたくない等々諸々でしょう。が、全ては、この世に対する執着から発生していますし、命の全ては、神の意志で決まることを悟っていないから起こるのでしょう。でありますから、いつ死んでも良いように毎日を大事に生きなければなりません。

 

「何時までもあると思うな、親と金」ですから、死んだ後に後悔しないように、親孝行もお金も価値ある物に使わなければなりません。価値ある物とは、人それぞれでしょうが、執着を残さない使い方をしなければなりません。

 

「美田子に残すべからず」という言葉もあります。つまり何を植えても立派な作物が育つ、良く手入れの行き届いた、先祖から引き継がれた田畑は、その道理が分からない子には残すなという意味でしょう。その道理とは、先祖が汗水垂らしながら、我が子を育てるように寝る間も惜しんで作り上げた田畑を苦労もわからない子孫には、引き継いで欲しくないという意味が隠されています。

秘伝瞑想小屋(仙人小屋)もカーリ神に捧げるお供物で燻しています。左のツボにはカーリー神に捧げるお供物、右はグル行で焚くお供物が入っています。

 

死んだ先祖の霊は、天界におり、毎日私たちを見ているわけですから、この残した田畑を手入れもせず、草ぼうぼうにしていたら、怒るでしょう。これが先祖の祟りです。残したお金を享楽の為に使えば、やはり怒るでしょう。先祖霊ですから、正しく全うに頑張り、何かの障害が発生すれば、その障害を取り除こうと、先祖霊はあらゆる方法を使って応援するでしょう。が、

 

先祖霊も、死んで初めて神の世界を知ることになります。いわゆる神の一員になったわけですから真理で生きる事になります。良い悪いを分別を持って判断する事になりますので、人間の誤魔化しの理論は通用しないことになります。ので、応援とは、間違いに早く気付くように、何らかの方法を持って教えようとしているのが、障りと思いますので、それを悔い改め、懺悔するのがプージャなどの儀式と思っています。

 

私がプージャする時は、頼まれた方々に代わり、その旨を神々に伝えているのであります。悪鬼とか生霊に対しても、相手をやっつけるのではなく、貴方の言いたいことは十分理解できたので、お怒りを鎮めて下さいとお願いしているのです。浮遊霊やその他の霊については、また機会がある時に書こうと思っています。

 

カーリープージャにしても、同じで、神話では悪い悪魔を殺すことになっていますが、それはあくまでも神話の世界の事で、本当は悪いエネルギーを中和して、煙として消す意味にとらえた方が良いでしょう。ゆえに抗酸化剤の香木等が使われるのです。牛黄も本来の効能は、抗酸化剤である事から見てもお分かりになると思います。

 

 

 

 


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