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弘前市民会館は1964年竣工。
54年神奈川県立音楽堂、59年世田谷区民ホール、60年京都会館、61年東京文化会館、そして64年の弘前市民会館とこの時期に前川國男は多くのホール建築をつくっています。
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少し話が飛びますが、古い 市民会館が今も使われているというのは大変うらやましいことです。
私の生まれ故郷の高松市市民会館は1961年(東京文化会館と同じ年)に当時としては四国一(と大人たちが言っていたような?)の1,500席のキャパシティで誕生。中学時代の部活動で時々ステージにあがっていたことが懐かしい思い出となっています。しかし今は跡形もありません。
ホールというのは時代を反映する(ブームがある)ビルディングタイプです。50年代から60年代の前半は「市民会館・公会堂タイプ」のホールが全国的にたくさん作られた時期です。
残る建築とあっさり見捨てられる建築・・・・・何が違うんでしょうか?。
建築史家・建築家の藤森照信氏は「本当に優れた建築は、つくった人や時代の意図を越えて、後の世に新たに発見されるような質を潜在させている。つくった人と時代の意図しか入っていない建築は、その人が死に時代が過ぎれば忘れ去られる」(『フジモリ式建築入門』ちくまプリマー新書、p128)といっています。蓋し至言。クワバラ、クワバラ・・・・・自戒、自戒・・・。
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残念ながらホールの中に入ることはできませんでしたが、京都会館や東京文化会館につながる雰囲気です。昔からあるのだと思いますが、2階の食堂がなかなかよい味を出しています。コーヒーでも飲みたかったのですが、見たいものがたくさんあって、2日間ともきちんと食事を取ることもせずに歩き回っていました。
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市民会館は、ホール棟と食堂・管理棟が長い回廊で結ばれています。右上写真の上から食堂・管理棟、回廊、ホール棟と続きます。その下にあるボリュームは今休館中の博物館です。
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外観は前川さんとしては繊細でプロポーショナルな要素が卓越しているように思います。私自身はこういうスケール感を好みますが、一方では前川さんらしくブルータルなものと繊細なものが共存(対比的併置?)していて欲しいという思いもあります。ちなみに型枠は青森産のヒバだと市のHPの案内にあります。
同じくHPにこんな言葉がありました。竣工に当たって寄せたものだそうです。
「かつてヨーロッパの中世の市民はこうして彼ら自身の美しい町を築き上げてきました。現代都市を築き上げるものは市民社会の「市民の心」であって決して「予算」ではありません。この市民会館の建築もこうした立場にたって私どもの微力を尽くしました」
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高谷時彦
Tokihiko Takatani
Architect/Professor
Takatani Tokihiko and Associates, Architecture/Urban Design, Tokyo
Graduate School of Tohoku Koeki university ,Tsuruoka city, Yamagata