まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

創造都市ボローニャを訪ねて

2010-11-17 14:01:07 | 海外巡礼 South Europe

創造都市ボローニャを訪ねて

2010.10.31 高谷時彦

地域の経済的活性化や生き生きとしたコミュニティづくりを大企業などの外部の力に頼るのではなく、地域資源や伝統文化に基盤を置いた継続的なイノベーションを伴う地域力を通して達成する地域や都市―創造都市―が注目を浴びている1)。大規模製造業に見られるフォーディズムの中ではなく、創造的な仕事や芸術文化活動の中で革新的な気風が生まれ、それが起業などを通じて地域を活性化させることにつながるという考え方にもとづいている。また新しい(文化的)創造は都市の文化的伝統ときちんと対話する中でこそ生まれるものであり、建築やまちなみ、また伝統的な人と人のつながりやコミュニティなどを継承しつつリノベートしていく姿勢が創造都市には求められる。

前回のニューズレターVol4200910月)で紹介したイギリスのニューカッスル・ゲイツヘッドは地域の伝統的な技術を生かしたパブリックアートをきっかけに住民合意のもとでアートをテーマに衰退地域を再生した創造都市である。なかでも中心部の古い製粉工場を改装した現代アートセンターが多くの人を集めている。日本でも金沢や横浜などが同様の試みを行い注目を浴びている。

私たちは、公益ビジネス研究として地域の基幹産業であった絹織物業が遺してくれた絹織物工場の映画館への再生活用プロジェクト(鶴岡まちなかキネマ)や、明治期の蚕室群で有名な松が丘の建物利活用計画などに関わっているが、いずれも計画の推進力となるのは志のある地元の人々であり、自分たちで何とかしていこうというところから新しいアイデアも生まれつつある。鶴岡ではほかにも多くの方々が同様の精神で地域資産や伝統を生かしたまちづくりに取り組んでいる。こうした活動は創造都市という視点から識者の注目を浴び、今年の建築学会での創造都市の議論では鶴岡がとりあげられている2)

そのような視点から私たち公益ビジネス研究チームは創造都市の好例としてとりあげられるボローニャを訪れた。ボローニャはイタリア半島中部の町。人口は現在約38万人で、最古の大学都市として知られている。また建築や都市デザインに関わるものにはポルティコの街として有名である。

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ボローニャは先ごろ亡くなった井上ひさし氏が創造都市の手本として賛美してやまない都市である3)。ボローニャには創造都市としてのたくさんの実践例があるが、私たちは、鶴岡まちなかキネマの手法に近いということで、たばこ工場などの産業遺産を映画館や美術館に再生したファクトリーオブアート(Manifattura delle Arti)地区を訪れた。

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案内してくれたのは地区にあるジョルジオコスタ社会センターのザナルディ所長、市役所のラファエルさんほかの皆さん。かつて産業都市として栄えたボローニャを牽引したこの地区も戦後は荒れ果てていたが2000EU文化都市に指名されたのを契機にボローニャ市はここに多くの資本を投入して文化芸術を中心とした創造的地域作りを開始した。ここでは場がフィルム再生や映像センター機能を持つチネテカや映画館、映像に関する図書館、資料館そしてボローニャ大学の芸術学部のスタジオなどに再生利用されている。またパン工場はMAMBOという楽しい名の現代美術館に、また地区にあった労働者住宅などは改装されて社会的住宅や学生寮になっている。

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地区の中央部は建物に囲まれた空地となっているが、現在かつてここにあった運河が再生され、水のある公園として生まれ変わる工事の最中であった。この計画のためには設計競技が実施され、審査にはかのウンベルトエーコ(彼はボローニャ大学教授)も関わっていたことが競技記録書から読み取れる。また、運河に接するように建っている古い塩倉庫はゲイとレスビアンのための集会娯楽施設となっていた。勿論この施設は閉鎖的なものではなく市民も参加できるパーティを開催するなど地域に開かれたものであり、私たちの訪問も快く受け入れてくれた。

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この地区の開発はボローニャ市の事業であり底地は市有地であるが、運営に携わるチネテカの成立プロセスが創造都市の好事例といえる。もともとは映画好きの数人がフィルムの修復をする社会的協同組合をつくり、それがだんだん発展して世界中のフィルム修復の基地となり大きな産業に成長したということである。勿論地域の人々や銀行などがそういった組合を育てる気風と仕組みがこの地域にはある。そうやって育った組織が、チャップリン映画の修復などを通じて世界的に有名な地域産業となっているのである4)

地元の小さな活動を育てる気風は、地域の建築や街なみを守り育てるという方法論に結びついている。地区の案内役を買って出てくれたジョルジオコスタ社会センター(社会センターは利益を目的としない協会《アソシエーション》)の皆さんがダンスや食事を楽しんでいたのは古い修道院のホールであった。ザナルディ所長は中身を大きく変えながらも建築や街なみが多く残されているこの地区を歩きながら、自分のおじいさんはこのタバコ工場に勤めていて、小さい頃遊びに来ていたのだとごく自然に話してくれた。イノベーションを目指す人たちにとって変わらないよりどころがあるということ、これが創造都市作りの根底になければならないのであろう。

1)ここでの創造都市の概念は佐々木雅幸氏の一連の著作を参考としている。

佐々木雅幸 『創造都市への挑戦』岩波2001

佐々木雅幸 『創造都市への展望』学芸出版2007 

2)日本建築学会2010大会パネルディスカッション「創造都市時代における新公共空間の可能性」におけるコメンテーター上西明氏の報告。

3)井上ひさし『ボローニャ紀行』文芸春秋2008

4)チネテカについては井上ひさし上掲書とともに、次の書に詳しい。

星野まりこ『ボローニャの大実験―町を創る市民力』講談社2006


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