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E.ケイシー(以下、ケイシー) では、南京のほうから行きましょうか。
――日付としては、「1937年の12月13日から約6週間」というのが、東京裁判での南京事件の記述にありますので、そのあたりから、南京がどういう状態であったかを。まず、「どれぐらいの人口なのか」についてはどうでしょうか?
ケイシー うーん……。かなり、もう逃げ出しているように見えますね。南京市内からは相当、市外に逃げていますねえ。
日本人が攻めていったときに、市内で残っているのは……(約5秒間の沈黙)5万人ぐらいではないですかね。
どんどん逃走してますねえ。これは、市民だけでなくて、軍隊も一緒になって逃走してますね。
――南京城内で、抵抗運動みたいなものが続いていたのですか?
ケイシー なんか、ゲリラみたいにやってるように見えるんですけど。……市民の格好している。要するに、偽装している者が、すごく多いですね。
――日本軍がそれと戦わないといけないわけですけれども、何人ぐらいの中国人が日本軍との戦闘で亡くなったのでしょうか?
ケイシー うーん。具体的にそれを数え上げるのは、難しいですけれども。日本軍が入城した時に残っていたのは、5万人ぐらいで、軍隊か、民間人かの区別が、ほとんどつかないような状態になってはおりますが、占領したときに、殺された人は(約15秒間の沈黙)……200人ぐらいかな。
――200人?
ケイシー うん、200人ぐらいかと思います。
――実質的な戦闘行為以外で、日本軍が民間人を虐殺したり、レイプしたりといった行為は見えますか。
ケイシー いやあ、私に見えるのは、すごく偉い指揮官、松井さん(松井石根大将)と言うんですか? この人はすごく厳しい感じの人で、軍律についてとても厳しく指導しているように見えますけど。
「日本帝国陸軍の名を辱めるようなことはしないように」と。略奪、暴行、婦女暴行等に対して厳しく戒めて、「軍律を破った者に対しては、厳罰でもって臨む」ということを、訓令しているシーンが見えます。
――投降したゲリラ兵を、その場で殺せとか、そういう指示は出ていますか?
ケイシー いや、身柄は完全に確保されていますね。だから、日本軍が占領してからしばらくすると、市民が戻ってきていますね。これは、南京が安全だということが分かってきたということだと思うんです。うーん……2週間後ぐらいには帰ってきて、もとより人口が増えている。たぶん、33万人ぐらいいると思います。
――逃げる時に、中国軍は、町を焼き払ったりはしていませんか。
ケイシー 焼いてるものもありますね。日本軍にあとで利用される可能性があるようなところは、自分たちで火をつけて、撤退をするということはやっていますね。
――その場で、略奪とか、中国の同胞をレイプするとか、起きていませんか?
ケイシー 中国人が中国人に対して、略奪していますよ。それは現代でも、やってるじゃないですか。同じです。押し入ったついでに、レイプもしてますね。……日本軍がやったように見せる面もあったと思います。
――そうしますと、今、ケイシー先生のお話をお伺いすると、「いわゆる南京事件なるものは、なかった」ということでしょうか?
ケイシー 全くありませんね。
――では、どのような勢力がこれをつくったんでしょうか。
ケイシー これは必要だったんだと思うんです。日本に対して原爆を二つ落とし、焼夷弾を落とし、沖縄戦で20万以上の人を殺した、それの正当性がどうしても必要ですので、日本人は残虐な国民でなければ困るんですよ。
――では、東京裁判での証言は、やはり嘘であったということでしょうか。
ケイシー ええ。終わった後から出てきましたね。だから、東京裁判の頃に急速に、いろいろつくられ始めた部分が大きいと思いますね。
――それに関しては、戦争中からアメリカもかかわっていたわけですね。
ケイシー そうですね。