永子の窓

趣味の世界

枕草子を読んできて(58)

2018年05月23日 | 枕草子を読んできて
四五  池は (58) 2018.5.23


 池は 勝間田。磐余の池。贄野の池、初瀬にまゐりしに、水鳥のひまなく立ちさわぎしが、いとをかしく見えしなり。水なしの池、あやしう、などてつけるならむと問ひしかば、「五月など、すべて雨いたく降らむとする年は、この池に水といふ物なくなむある。また、日のいみじく照る年は、春のはじめに水なむおほく出づる」と言ひしなり。「げになべてかわきてあらばこそさもつけめ、出づるをりもあるなるを、一すぢにつけけるかな」といらへまほしかりし。
◆◆池は 勝間田。磐余の池。これがいい。贄野の池、これは初瀬の長谷寺に参詣した時に、水鳥が隙間もなく立ち騒いだのが、とても面白く見えたのだ。水なしの池、不思議で、どうしてこんな名をつけたのかと聞いたらば、「五月など、いったいに雨が例年より多く降ろうとする年は、この池に水というものがないのです。また、逆に日がひどく照りつける年は、春のはじめに水がたくさん湧き出るのです」と言ったのである。「なるほど、ずっといつも乾いているのであれば、水なしと付けてもよいだろうが、水が湧き出る時もあるという話なのに、いちずにつけたものですね」と応酬したかったことよ。◆◆

■勝間田(かつまた)=奈良県生駒郡にあったが、当時すでに名のみだったらしい。歌枕。
■磐余の池(いはれのいけ)=奈良県磯城郡にあった池。歌枕。
■贄野の池(にへののいけ)=京都府相楽郡にあった池。『蜻蛉日記』『更級日記』に見える。



 猿沢の池、采女の投げけるを聞こしめして、行幸などありけむこそ、いみじうめでたけれ。「寝くたれ髪を」と、人麻呂がよみけむほど、言ふもおろかなり。たまへの池、また何の心につけけるならむとをかし。鏡の池。狭山の池、三稜草といふ歌のをかしくおぼゆるにやあらむ。こひぬまの池、「玉藻はな刈りそ」と言ひけむもをかし。益田の池。
◆◆猿沢の池、采女が身を投げたのを帝がお聞きあそばして、行幸などがあったというのこそ、たいへんすばらしいことだ。「寝くたれ髪を」と、人麻呂が詠んだという折など、そのすばらしさは、言うにも言葉が足りないほどだ。たまへの池、「給え」とはまたどういうわけでつけたものだろうと、おもしろい。鏡の池。狭山の池、これは「狭山の池の三稜草(みくり)」という歌がおもしろく感じられるのであろうか。こいぬまの池。はらの池、「玉藻はな刈りそ」とうたったというのもおもしろい。益田の池。◆◆

■猿沢の池=奈良県興福寺の南
■采女の投げける=『大和物語』に説話が見える。奈良の帝の時、一人の采女(うねめ)が帝の寵愛の薄れたのを悲しみ、この池に投身した。帝は池に行幸、その時人麻呂が詠んだ歌が、「吾妹子が寝腐れ髪を猿沢の池の玉藻と見るぞ悲しき」だとする。
■たまへの池=給えの池?
■鏡の池=所在不詳
■狭山の池=大阪府南河内郡の池か。
■三稜草(みくり)=水草の名。「恋すてふ狭山の池の三稜草(みくり)こそ引けば絶えすれ吾は根絶ゆる」古今集
■こひぬまの池(恋沼のいけ)=所在不詳。
■はらの池=埼玉県旗羅郡(現、深谷市周辺)にあった池か、または高槻市内にあった池。
■益田の池=奈良県高市郡。