永子の窓

趣味の世界

枕草子を読んできて(56)その1

2018年05月04日 | 枕草子を読んできて
四三  七月ばかり、いみじく暑ければ  (56)その1  2018.5.4

 七月ばかり、いみじく暑ければ、よろづの所あけながら夜も明かすに、月のころは、寝起きて見いだすもいとをかし。闇もまたをかし。有明はた言ふにもあまりたり。
◆◆七月のころは、ひどく暑いので、あちらもこちらも開けたままで、昼はもとより夜も明かすのだが、月のある頃は、寝て目を覚まして起き上がって、家の中から外を見るのもたいへんおもしろい。闇夜もまたおもしろい。有明の月のころの素晴らしさは、言うにおよばない。◆◆

■有明(ありあけ)=陰暦十六日以降の月。


 いとつややかなる板の端近く、あざやかなる畳一枚、かりそめにうち敷きて、三尺の几帳奥の方に押しやりたるぞあぢきなき。外にこそ立つべけれ。奥のうしろめたからむよ。人は出でにけるなべし。薄色の裏いと濃くて、上は所所すこしかへりたるならずは、濃き綾のいとつややかなる、いたくは萎えぬを、頭こめて、引き着てぞ寝たンめる。香染の単衣、紅のこまやかなる生絹の袴の、腰いと長く、衣の下より引かれたるも、まだ解けながらなンめり。
◆◆たいへん艶のある板敷の間の端に近く、ま新しい薄縁の畳を一枚、ちょっとそのときだけ敷いて、三尺の几帳を奥の方に押しやっているのは、なんとも意味のないことだ。外の方にこそ立てるべきである。奥の方が気がかりとは妙なこと。男はきっともう出て行ってしまったのだろう。女は薄い紫色の衣で、裏がたいへん濃くて、表面はところどころ少し色が褪めているものか、さもなければ、濃い綾織のとてもつやつやしているもので、それほど糊気が落ちてないのを、頭ごと引きかぶって寝ているようだ。その下には丁子染めの単衣を着て、紅色の濃い生絹の袴をつけているが、その腰紐がとても長く、着ている着物の下からのびているのも、まだ解けたままであるようだ。◆◆

■あざやかなる畳一枚(…たたみひとひら)=新しい畳。畳は現在の薄縁(うすべり)。
■香染の単衣(かうぞめのひとへ)=丁子で染めたもの。黄を帯びた薄紅色。

 
 
 そばの方に、髪のうちたたなはりて、ゆるるかなるほど、長さおしはかられたるに、またいづこよりにかあらむ、あさぼらけのいみじう霧立ちたるに、二藍の指貫、あるかなきかの香染の狩衣、白き生絹、紅のとほすにこそあらめ、つややかなるが、霧にいたくしめりたるをぬぎ垂れて、鬢のすこしふくだみたれば、烏帽子の押し入れられたるけしきも、しどけなく見ゆ。朝顔の露落ちぬ先に、文書かむとて、道のほどもなく「麻生の下草」など口ずさみて、わが方へ行くに、格子の上りたれば、簾のそばをいささかあけて見るに、起きていぬらむ人もをかし。露をあはれを思ふにや。しばし見たれば、枕がみの方に、朴に紫の紙はりたる扇ひろげながらあり。みちのくに紙の畳紙のほそやかなるが、花くれなゐにすこしにほひうつりたるも、几帳のもとに散りぼひたり。
◆◆女の寝ているそばの方に、髪がうねうねと重なって、ゆったりとしているその様子から髪の長さが自然想像されるのだが、そこへまたどこからやって来た男なのだろうか、夜明けのひどく霧が立ち込めている折から、二藍の指貫、色があるかないかの丁字染の狩衣を着て、白い生絹の単衣の、それは下の紅色が単衣に透いて通すのであろう、つやつやしているのが、霧でひどく湿っているのを、脱いだような形に垂らして、寝乱れた鬢が少しぶくぶくになっているので、烏帽子がむりに頭に押し入れられているといった格好も、しまりがなく見える。朝顔の露が落ちてしまわないうちに、女のもとへ後朝の文を書こうと思って、たいした道のりも行かないうちに、「麻生(おふ)の下草」などと口ずさんで、わが家へ帰る時に、女の局の格子が上がっているので、御簾の端をちょっとあけて中をのぞくと、起きてすでい女のもとから帰り去っていると思われる男のことも、この男には察せられておもしろい。帰り去った男も朝露をしみじみと感深く思うのだろうか。こののぞき見の男はしばらく女を見ていると、女の枕もとの方に、朴の木の骨に紫の紙を貼ってある夏扇が広げたままで置いてある。みちのくに紙の懐紙の細くたたんであるもので、花くれないの色に少し艶が失せているのも、几帳のそばに散らばっている。◆◆


■「麻生の下草」(をふのしたくさ)=「桜麻の麻生の下草露しあらば明かして(女の許に泊まって)ゆかむ親は知るとも」古今集
■にほひ=色艶の美しさをいう。