2012. 11/15 1179
五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その19
「宮は、この人参れり、と聞し召すもあはれなり。女君には、あまりうたてあれば、聞え給はず。神殿におはしまして、渡殿におろさせ給へり。ありけむさまなどくはしう問はせ給ふに、日ごろ思し歎きしさま、その夜泣き給ひしさま、『あやしきまで言ずくなに、おぼおぼとのみものし給ひて、いみじと思すことをも、人にうち出で給ふことは難く、ものづつみをのみし給ひしけにや、のたまひ置くことことも侍らず。夢にも、かく心強きさまに思しかくらむとは、思ひ給へずなむ侍りし』など、くはしう聞こゆれば」
――匂宮は、侍従が参上したとお聞きになるにつけても、感慨ひとしおです。中の君にはあまり具合が悪いので、侍従の来たことをお知らせになりません。神殿にお出ましになって、車を渡殿に着けさせます。浮舟の生前のご様子など詳しくお訊ねになりますと、侍従は、浮舟があの頃毎日思い悩まれたご様子や、死の当夜お泣きになったことなどをお話して、「不思議なほど口数も少なく、ぼうっとばかりしておられまして、悲しくて堪らないとお思いになる事でも、なかなか人にはおっしゃれず、遠慮ばかりしておられたせいでしょうか、御遺言ということもございません。われとわが身を失うような気強いことを覚悟しておいでになったとは、夢にも存じよりませんでした」などと、詳しく申し上げますと――
「ましていといみじう、さるべきにて、ともかくもあらましよりも、いかばかりものを思ひ立ちて、さる水に溺れけむ、と思しやるに、これを見つけてせきとめたらましかば、と、わきかへる心地し給へどかひなし」
――(匂宮は)いっそう耐えがたく、何かの病気で命を落としたというのなら諦めもつこうものを、いったいどんなことを思い立って、そんな川に身を投げたのであろうか、とお思いやりになるにつけましても、だれかがそれを見つけて止めることが出来なかったのかと、胸も煮えかえる思いがなさるけれども、今更どうしようもない――
「『御文を焼きうしなひ給ひしなどに、などて目をたて侍らざりけむ』など、夜一夜語らひ給ふに、聞えあかす。かの巻数に書きつけ給へりし、母君のかへりごとなどを聞ゆ」
――(侍従は)「お文をお焼き捨てになったこともありましたのに、どうして私どもが不審と思って注意しなかったのでしょう」などと侍従も申し上げ、一晩中匂宮が親しくお話になりますので、侍従はお返事をして夜を明かしました。あのお経の目録にお書きつけになった母君へのお返事なども申し上げます――
「何ばかりのものとも御覧ぜざりし人も、むつまじくあはれに思さるれば、『わがもとにあれかし。あなたももて離るべくやは』とのたまへば、『さてさぶらはむにつけても、もののみ悲しからむを思う給へれば、今この御果など過具して』と聞ゆ。『またもまゐれ』など、この人をさへ飽かず思す」
――匂宮としては、何ほどの者とも気に止めてお出でにならなかった侍従という女房も、かの人の由縁(ゆかり)に、親しくなつかしくお思いになって、「ここに居るがよい。中の君も浮舟の姉ゆえ、まるっきり他人ではないのだから」とおっしゃいます。侍従は、「仰せのようにお仕え申しあげますにしましても、当分は悲しいだけだとおもいますので、そのうちこの御忌が明けましてから」と申し上げます。匂宮が「また参るように」と、この女房さえ名残り惜しくお思いになるのでした――
◆あなたももて離るべくやは=あの方も(中の君、浮舟の姉君)他人ではいらっしゃらないのだから
では11/17に。
五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その19
「宮は、この人参れり、と聞し召すもあはれなり。女君には、あまりうたてあれば、聞え給はず。神殿におはしまして、渡殿におろさせ給へり。ありけむさまなどくはしう問はせ給ふに、日ごろ思し歎きしさま、その夜泣き給ひしさま、『あやしきまで言ずくなに、おぼおぼとのみものし給ひて、いみじと思すことをも、人にうち出で給ふことは難く、ものづつみをのみし給ひしけにや、のたまひ置くことことも侍らず。夢にも、かく心強きさまに思しかくらむとは、思ひ給へずなむ侍りし』など、くはしう聞こゆれば」
――匂宮は、侍従が参上したとお聞きになるにつけても、感慨ひとしおです。中の君にはあまり具合が悪いので、侍従の来たことをお知らせになりません。神殿にお出ましになって、車を渡殿に着けさせます。浮舟の生前のご様子など詳しくお訊ねになりますと、侍従は、浮舟があの頃毎日思い悩まれたご様子や、死の当夜お泣きになったことなどをお話して、「不思議なほど口数も少なく、ぼうっとばかりしておられまして、悲しくて堪らないとお思いになる事でも、なかなか人にはおっしゃれず、遠慮ばかりしておられたせいでしょうか、御遺言ということもございません。われとわが身を失うような気強いことを覚悟しておいでになったとは、夢にも存じよりませんでした」などと、詳しく申し上げますと――
「ましていといみじう、さるべきにて、ともかくもあらましよりも、いかばかりものを思ひ立ちて、さる水に溺れけむ、と思しやるに、これを見つけてせきとめたらましかば、と、わきかへる心地し給へどかひなし」
――(匂宮は)いっそう耐えがたく、何かの病気で命を落としたというのなら諦めもつこうものを、いったいどんなことを思い立って、そんな川に身を投げたのであろうか、とお思いやりになるにつけましても、だれかがそれを見つけて止めることが出来なかったのかと、胸も煮えかえる思いがなさるけれども、今更どうしようもない――
「『御文を焼きうしなひ給ひしなどに、などて目をたて侍らざりけむ』など、夜一夜語らひ給ふに、聞えあかす。かの巻数に書きつけ給へりし、母君のかへりごとなどを聞ゆ」
――(侍従は)「お文をお焼き捨てになったこともありましたのに、どうして私どもが不審と思って注意しなかったのでしょう」などと侍従も申し上げ、一晩中匂宮が親しくお話になりますので、侍従はお返事をして夜を明かしました。あのお経の目録にお書きつけになった母君へのお返事なども申し上げます――
「何ばかりのものとも御覧ぜざりし人も、むつまじくあはれに思さるれば、『わがもとにあれかし。あなたももて離るべくやは』とのたまへば、『さてさぶらはむにつけても、もののみ悲しからむを思う給へれば、今この御果など過具して』と聞ゆ。『またもまゐれ』など、この人をさへ飽かず思す」
――匂宮としては、何ほどの者とも気に止めてお出でにならなかった侍従という女房も、かの人の由縁(ゆかり)に、親しくなつかしくお思いになって、「ここに居るがよい。中の君も浮舟の姉ゆえ、まるっきり他人ではないのだから」とおっしゃいます。侍従は、「仰せのようにお仕え申しあげますにしましても、当分は悲しいだけだとおもいますので、そのうちこの御忌が明けましてから」と申し上げます。匂宮が「また参るように」と、この女房さえ名残り惜しくお思いになるのでした――
◆あなたももて離るべくやは=あの方も(中の君、浮舟の姉君)他人ではいらっしゃらないのだから
では11/17に。