永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1097)

2012年04月19日 | Weblog
2012. 4/19    1097

五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その5

「さすがに、それならむ時に、と思すに、いとまばゆければ、『開けて見むよ。怨じやし給はむとする』とのたまへば、『見苦しう、何かは、その女どちのなかに書き通はしたらむうちとけ文をば、御覧ぜむ』とのたまふが、さわがぬけしきなれば、『さば、見むよ。女の文がきは、いかがある』とて開け給へれば」
――(匂宮は)もしもそれが、本当に薫からの文であったらとお思いになりますと、やはり極まりが悪いので、「開けて見ますよ、お恨みになるかな」と中の君におっしゃいますと「見ぐるしく何てまあ、そんな女同志やりとりしています内輪の文など、御覧になることがありましょうか」と申し上げますが、一向に慌ててもいらっしゃらないので、「それなら見ますよ。女同志はどんな手紙を書くのかな」と言って、お開けになりますと――

「いと若やかなる手にて、『おぼつかなくて年も暮れ侍りにける。山里のいぶせさこそ、峰の霞も絶え間なくて』とて、端に、『これも若宮の御前に。あやしう侍るめれど』と書きたり」
――大そう若々しい手蹟で、「ご無沙汰のままで年も暮れてしまいました。山里の鬱陶しさは、気持ちばかりか、峰の霞も絶え間がなくて」とありまして、端に「これは若君に差し上げていただきとうございます。不出来ですが」と書き添えてあります――

「ことにらうらうじき節も見えねど、おぼえなきを、御目たててこの立文を見給へば、げに女の手にて」
――とりわけて才ばしったところもない文ではありますが、この筆跡にはお心当たりがありませんので、気をつけてもう一つの立文の方を御覧になりますと、こちらも確かに女の手蹟で書かれています――

その内容は、

「年あらたまりて何ごとかさぶらふ。御わたくしにも、いかにたのもしき御よろこび多く侍らむ。ここには、いとめでたき御住まひの心深さを、なほふさはしからず見たてまつる。かくてのみつくづくとながめさせ給ふよりは、時々参らせ給ひて、御心もなぐさめさせ給へ、と思ひ侍るに、つつましくおそろしきものに思しとりてなむ、もの憂きことに歎かせ給ふめる。……」
――年もあらたまりまして、上様にはいかがお過ごしでいらっしゃいますか。お喜ぶごとが数々おありになって、あなた様も、さぞご機嫌よくいらっしゃることでございましょう。こちらはまことに結構なお住いで、申し分もございませんが、それでもやはり姫君にはふさわしからぬお暮しぶりのように存じあげます。姫君がこうしてつくづくと物思いに沈んでおられるよりは、時々は中の君の御邸に参上なされて、気晴らしもなさってはと存じますが、あの疎ましく恐ろしかったことにすっかり懲りておしまいになって、物憂く歎いてばかりいらっしゃいます……――
    
◆御わたくし=御私の「私」は、私人、個人の意

では4/21に。