永子の窓

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蜻蛉日記を読んできて(199)その2

2017年06月23日 | Weblog
蜻蛉日記 下巻(199) その2  2017.6.23   

「又の日、なほいとし、若やかなるさまにもありと思ひて、『昨日は人の物忌み侍りしに、日暮れてなん、〈心あるとや〉といふらんやうに思うたまへし。をりをりにはいかでと思う給ふるを、ついでなき身になり侍りてこそ。心うげなる御端書きをなん、げにと思ひきこえさせ侍るや。紙の色は昼もやおぼつかなうおぼさるらん』とて、これよりもものしたりける折に、法師ばらあまたありてさわがしげなりければ、さし置きて来にけり。」

◆◆次の日、返事をしないのは右馬頭にたいして大人げないと思って、「昨日は人の物忌みがございまして、なお日も暮れましたので、『心あるとや』という歌にありますように、こちらに異心があると思われたのではないかとお返事を差し控えておりました。ついでがあれば殿におとりなしいたしたいとおもいますが、そのような折のない身になりまして。おつらそうな御端書きを拝見して、ごもっともだと思います。紙の色は昼でも見えにくいと思っておいででしょうか。」と書いて、手紙を持たせてやったところ、法師たちが大勢きていて取り込んでいるようだったので、使いはそのまま置いて帰ってきました。◆◆


「まだしきにかれより、『さまかはりたる人々ものし侍りしに、日も暮れてなん、使ひもまゐりにける。
〈嘆きつつあかしくらせばほととぎす身のうの花のかげになりつつ〉
いかにし侍らん、今宵はかしこまり』とさへあり。」

◆◆あくる朝早いうちに、あちらから「僧侶たちが来ておりました上に、日も暮れて、使いも貴邸にお帰りになりました。
(右馬頭の歌)「嘆きながら毎日を過ごしておりますので、愁いの身の私はすっかりやせ細ってしまいました。
どうしたらよいでしょう。今夜は謹慎することにいたします」とまで言って寄こします。◆◆


「返りごとは『昨日かへりにこそ侍りけめ。なにかさまではとあやしく、
〈陰にしもなどか鳴くらん卯の花の枝にしのばぬ心とぞきく〉
とて、上かい消ちて、はしに、『かたはなる心ちし侍りや』と書いたり。
そのほどに『左京のかみ亡せ給ひぬ』とものすべかめるうちにも、慎み深うて山寺になどしげうて、ときどきおどろかして六月もはてぬ。」

◆◆返事には、「昨日、すっかりお気持ちがお変わりになったのでしょうが、どうして謹慎までなさるとは腑に落ちません。
(道綱母の歌)「どうして卯の花の陰で泣いたりするのでしょうか。大っぴらに催促なりなんなりなさる方だと伺っておりましたが」
と書いて、その歌の上を墨で消して、端の方に、「なんですか、変な感じがいたします」と書きました。
そのうちに、「左京太夫がお亡くなりになりました」と言ってきたようですが、そのうえ、深く慎むことがあって山寺に度々参詣したりして、ときどきこちらに何か言って寄こしたりしているうちに、六月も終わりました。◆◆

■心あるとや=古今集「たえずゆく飛鳥の川のよどみなば心あるやと人は思はん」

■紙の色は昼もやおぼつかなうおぼさるらん=右馬頭が手紙を破って持ち帰ったことへの皮肉。

■左京のかみ=左京太夫遠基。右馬頭の遠度の同母兄弟か。