永子の窓

趣味の世界

蜻蛉日記を読んできて(174)

2017年03月07日 | Weblog
蜻蛉日記  下巻 (174)  2017.3.7

「五月のはじめの日になりぬれば、例の、大夫、
<うちとけて今日だに聞かんほととぎす忍びもあへぬ時は来にけり>
返りごと、
<ほととぎす隠れなき音を聞かせてはかけ離れぬる身とやなるらん>」

◆◆五月のはじめの日になったので、例のように、大夫が、
(道綱の歌)「五月になるとほととぎすが声を忍ばず鳴き出します。きょうこそあなたの本心を聞きたい。」
返事には、
(大和だつ女の歌)「あなたに打ち解けてしまえば、きっと捨てられる身になることでしょう」◆◆



「五日、
<もの思ふに年へけりともあやめ草今日をたびたび過ぐしてぞ知る>
返りごと、
<つもりける年のあやめも思ほえず今日も過ぎぬる心見ゆれば>
とぞある。『いかにうらみたるにかあらん』とぞ、あやしがりける。」

◆◆五日、
(道綱の歌)「あなたゆえの物思いで年が経ったことよ。菖蒲の五月五日を一度ならず過ごした今日、つくづくと思い知りました。」
返事は、
(大和だつ女の歌)「物思いで何年も経ったとは何のことでしょう。あなたは今日も浮気をして過ごす人とおもえますので」
とありました。
大夫は、「何ゆえに恨んでいるのだろうか」と不審がっていました。◆◆


■ほととぎすの歌=大和だつ女の歌。「かけはなれ」の「掛け」に卯の花の「陰」を掛ける。「隠れなき音」に結婚の承諾を響かす。

■つもりけるの歌=「あやめ」に「文目(見分け、聞き分けられる分別)と「菖蒲」を掛ける。この歌は大和だつ女の代詠であろうか。現実の二人の関係と食い違っているようである。

【解説】 蜻蛉日記 下巻  上村悦子著より
……岡一男博士のご指摘のように史実を検討してみると道綱の長男道命阿闇利(どうみょうあじゃり)は作者宅の女房源広女(みなもとのひろしのむすめ)を母として、天延二年に生まれている。(九条家本『小右記』によると寛仁四年七月四日、四十七歳で入寂しているので、逆算すると、天延二年の生誕となる)。したがって天延元年の五月には源広女は道綱の召人(めしゅうど)となっているはずである。こうした浮名が世評にのぼり大和だつ女は承知しなかったのかも知れない。
 作者は源広女と道綱の関係を知りつつ、一夫多妻の折柄、大和だつ女を調査の結果、道綱の妻としてふさわしいと考え、この縁談に乗り気で応援したのだろうか。