蜻蛉日記 上巻 (62) 2015.8.13
安和元年(968)
兼家 四十歳
作者 三十二歳
道綱 十四歳
「三月にもなりぬ。客人の御方にとおぼしかりける文を、持てたがへたり。見れば、なほしもあらで、『近きほどにまゐらんと思へど、【我ならで】と思ふ人やはべらんとて』など書いたり。年ごろ見給ひ馴れにたれば、かうもあるなめりと思ふに、なほもあらで、いとちひさく書き付く。
<松山のさし越えてしもあらじ世を我によそへてさわぐ波かな>
とて、『あの御方に持てまゐれ』とて、かへしつ。」
◆◆はや三月にもなったころ、登子様宛と思われる(兼家からの)手紙を間違ってこちらへ届けてきました。見ますと単なる用件の手紙ではなくて、「近くに居るので参上しようと思うが、『我ならで(登子を独り占めにしよう)』と思っている人(道綱母)が居るので)」などと書いてありました。年来仲のよい兄妹なので、このような遠慮のないことも言うのだろうと思い、そのままではなく、小さくこのように書きました。
(道綱母の歌)「御方さま(登子)を横取りしようなどとは思ってもいません。あの人は浮気な自分と同じように考えて人を疑っていますこと」
と、「あちらの御方さまへお持ちしなさい」と言って持たせました。◆◆
「見たまひてければ、すなはち御かへりあり。
<松島の風にしたがふ波なれば寄るかたにこそ立ちまさりけれ>
◆◆ご覧になってすぐに、御方さまからお返事がありました。
(貞観殿登子様の歌)「波が風に従うように、手紙が届いたあなたの方にこそ、兄(兼家)の思いが勝っていたからでしょう」
■「我ならで…」の元歌=「我ならで下紐とくな朝顔の夕かげまたぬ花にはありとも」伊勢物語。
安和元年(968)
兼家 四十歳
作者 三十二歳
道綱 十四歳
「三月にもなりぬ。客人の御方にとおぼしかりける文を、持てたがへたり。見れば、なほしもあらで、『近きほどにまゐらんと思へど、【我ならで】と思ふ人やはべらんとて』など書いたり。年ごろ見給ひ馴れにたれば、かうもあるなめりと思ふに、なほもあらで、いとちひさく書き付く。
<松山のさし越えてしもあらじ世を我によそへてさわぐ波かな>
とて、『あの御方に持てまゐれ』とて、かへしつ。」
◆◆はや三月にもなったころ、登子様宛と思われる(兼家からの)手紙を間違ってこちらへ届けてきました。見ますと単なる用件の手紙ではなくて、「近くに居るので参上しようと思うが、『我ならで(登子を独り占めにしよう)』と思っている人(道綱母)が居るので)」などと書いてありました。年来仲のよい兄妹なので、このような遠慮のないことも言うのだろうと思い、そのままではなく、小さくこのように書きました。
(道綱母の歌)「御方さま(登子)を横取りしようなどとは思ってもいません。あの人は浮気な自分と同じように考えて人を疑っていますこと」
と、「あちらの御方さまへお持ちしなさい」と言って持たせました。◆◆
「見たまひてければ、すなはち御かへりあり。
<松島の風にしたがふ波なれば寄るかたにこそ立ちまさりけれ>
◆◆ご覧になってすぐに、御方さまからお返事がありました。
(貞観殿登子様の歌)「波が風に従うように、手紙が届いたあなたの方にこそ、兄(兼家)の思いが勝っていたからでしょう」
■「我ならで…」の元歌=「我ならで下紐とくな朝顔の夕かげまたぬ花にはありとも」伊勢物語。