永子の窓

趣味の世界

蜻蛉日記を読んできて(61)

2015年08月09日 | Weblog
蜻蛉日記  上巻 (61) 2015.8.9

「つごもりの日になりて儺などいうふ物こころみるを、まだ昼より、ごぼごぼはたはたとするにひとり笑みせられてあるほどに、明けぬれば、昼つかた、客人の御方、男なんど立ちまじらねば、のどけし、我もののしるをば隣に聞きて、『待たるるものは』なんど、うち笑ひてあるほどに、ある者、手まさぐりに、掻栗をあしたてて、にへにして、木をつくりたる男の、かた足に尰つきたるに荷なはせて持て出でたるを、とり寄せて、ある色紙のはしを脛に押しつけて、それに書きつけて、あの御方にたてまつる。」
◆◆大晦日の日になって、追儺(ついな)などという行事をしてみますが、まだ昼間から、ごぼごぼばたばたと騒いでいるので、つい一人でにこにことしているうちに、一夜明けて元日になると、昼ごろ、お客様の方(貞観殿の御方)は、男客など訪れてきませんので、のどかでいらっしゃる。私の方も同じで、隣りの騒ぎを耳にしながら、「待たるるものは…」などと言いつつ笑っているときに、側にいた侍女が、手なぐさみに、かいくりを糸でかがりつけて、進物の体裁にして、木の従者姿の人形で、片足に腫れ物ができているのに担わせて、持って来たのを手にとって、そばにあった色紙の端を人形の脛(はぎ)に貼り付け、それにこのような歌を書きつけて、あちら(貞観殿)の御方にさしあげました。◆◆


「<かたこひや苦しかるらん山賤のあふごなしとは見えぬものから>
ときこえたれば、海松のひき干しの短くおし切りたるを、結ひあつめて、木のさきに荷なひ代へさせて、細かりつる方の足にも異の尰をも削りつけて、もとのよりも大きにて、返したまへり。」
◆◆(道綱母の歌)「片足に腫れ物を患う身では苦しいでしょう。荷物をつける天秤棒はあるけれども、使ってないようなので。(「尰(こひ)」に「恋」、「杤(あふご)」に「逢う期」をひびかせて、こちらばかりお慕い申し上げる片恋はまことにつらいもの、逢う機会がないとは思われませんのに)」
と申し上げますと、海松(みる)の乾物の短くちぎったのを束ねて、杤(あふご)の先につけ、前の荷物と取り替えて担わせ、細かった方の足にも、別の腫れ物をくっつけて、前のものよりも大きな腫れ物にして、お返しになりました。◆◆


「見れば、
<山賤のあふご待ちいでてくらぶればこひまさりけるかたもありけり>
日たくれば、節供まゐりなどすめる、こなたにもさやうになどして、十五日にも例のごとして、過ぐしつ。」
◆◆拝見しますと、
(貞観殿登子の歌)「逢う機会を得て、比べてみますと、「恋(尰)」は私のほうが大きいですよ」
日が高くなって、あちらではお節など召し上がっておいでのようで、こちらでも同じようにして、日を経て、十五日にはいつもどおり、七種粥などして過ごしました。◆◆


■『待たるるものは』=兼家来訪を待つ意。「あらたまの年たちかへるあしたより待たるるものは鶯の声」古今六帖

■儺(な)=追儺(ついな)ともいう。大晦日に悪鬼を払う習俗。

■掻栗をあしたてて(かいくりをあしたてて)=未詳

■尰つきたるに(こひつきたるに)=足の腫れ。

■杤(あふご)=(おうこ )とも。荷物にさし通して肩にかつぐ棒。天秤(てんびん)棒。歌では「会ふ期(ご)」にかけて用いることが多い。

■海松のひき干し(みるのひきほし)=海松(みる)は食用にする海藻。「引き干し」はそれを引っ張って干したもの。

■十五日にも例のごと=正月十五日には、望粥(もちがゆ)を食べる習慣があり、粥を煮た木(薪とも、かき回した木とも)で女の尻を打つと、子供が出来るといわれている。作者も当然そうしてもらった筈。

■『蜻蛉日記』上 上村悦子著の中から抜粋。
「兼家の妹、登子(とうし)と作者とは元来うまが合ったので、宮中から作者邸の西の対に退出してきたのだろう。作者の生涯中での幸福な年末年始であった。作者の笑い声が絶えず、明るい色彩で終始している。歌の造詣の深い二人は、木こりの人形を種として、愉快な、しかも相手を敬慕する意味をこめて歌の贈答を行って楽しんでいる。ことばを二重に使用して巧みに一首を作り上げる知的遊戯であり、教養の豊かな仲のよい上流貴婦人どうしの社交生活の一こまでもある。こうした生活が続けば、『蜻蛉日記』は執筆されなかったであろう。」