2012. 3/25 1087
五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(58)
尼君はまた、
「こたみはえ参らじ。宮の上きこし召さむこともあるに、しのびて行きかへり侍らむも、いとうたてなむ」
――この度のお供はできません。匂宮の北の方(中の君)がお耳になさる手前もありますのに、こっそり行き帰りいたしますのも、大そう具合の悪いことです――
と、申し上げます。薫はまだその時でもないのに、中の君にこの事をお聞かせもうすのも気恥ずかしく思われて、
「『それは後にも罪さり申し給ひてむ。かしこもしるべなくては、たづきなき所を』をせめてのたまふ。『人一人や侍るべき』とのたまへば、この君に添ひたる侍従と乗りぬ。乳母、尼君の供なりし童などもおくれて、いとあやしき心地して居たり」
――「その事なら、後でお詫び申されても済むでしょう。これから行く宇治も案内者が居なくては頼りない山里なのだから」と強くおっしゃいます。「誰か一人お供をするように」と仰せられますので、いつも姫君のお側に付き添っている侍従というのが、尼君と共に車に乗り込みました。乳母や尼君のお供をしてきた童などは、後に取り残されて、狐にでも化かされたようにぼんやりしています――
「近き程にや、と思へば、宇治へおはするなりけり。牛などひき替ふべき心設けし給へりけり。河原過ぎ法性寺のわたりおはしますに、夜は明けはてぬ。若き人はいとほのかに見たてまつりて、めできこえて、すずろに恋ひたてまつるに、世の中のつつましさも覚えず」
――行く先は近い所かと思っていますと、宇治へいらっしゃるのでした。遠方なので牛車の牛なども替わりを立てるような用意をしておられました。賀茂の河原を過ぎ、法性寺(ほっしょうじ)のあたりにさしかかった頃、夜がすっかり明けてしまいました。若い侍従は薫大将をほのかに拝見してからというもの、何とご立派な御方であろうと、ひたすらお慕わしく思うので、世間の思惑など気にならないのでした――
「君ぞ、いとあさましきに物も覚えで、うつぶし臥したるを、『石高きわたりは苦しきものを』とて、抱き給へり」
――浮舟は、あまりのことに夢うつつで、うつ伏しておいでになるのを、薫は「道路に石のごろごろしているところは、辛いでしょう」と抱いておあげになります――
「羅の細長を、車の中に引きへだてたれば、はなやかにさし出でたる朝日影に、尼君はいとはしたなく覚ゆるにつけて、故姫君の御供にこそ、かやうにも見たてまつりつべかりしか、在り経れば思ひかけぬことも見るかな、と悲しう覚えて、つつむとすれどうちひそみつつ泣くを」
――羅(うすもの)の細長を車の中に下げて仕切りにしてありますので、朝日の光がはなやかに差し込んできますのを、尼君は大そうきまり悪く思いながら、亡き大君のお供でこそ、こうして大将の君をお見上げしたかったのに、長生きをしていると思いがけない目にも遭うものだと悲しくもあって、こらえようとしてもつい泣き顔になって、涙のこぼれるのを――
「侍従はいとにくく、物のはじめにかたち異にて乗り添ひたるをだに思ふに、何ぞかくいやめなる、と、にくくをこにも思ふ。老いたる者は、すずろに涙もろにあるものぞ、と、おろそかにうち思ふなりけり」
――侍従は忌々しがって、せっかくのお目出度い結婚の初めに、尼姿でお供をしているのさえ不吉だと思うのに、なぜこんなに泣いたりするのかと、憎らしくも愚かしくも思うのでした。年寄りは訳もなくすぐ涙を流すものだと、うわべだけの考えで思うのでした――
◆羅(ら)=うすぎぬ=薄く織った絹布、
◆にくくをこにも思ふ=憎く痴こにも=憎らしく愚かな事だと思う
では3/27に。
五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(58)
尼君はまた、
「こたみはえ参らじ。宮の上きこし召さむこともあるに、しのびて行きかへり侍らむも、いとうたてなむ」
――この度のお供はできません。匂宮の北の方(中の君)がお耳になさる手前もありますのに、こっそり行き帰りいたしますのも、大そう具合の悪いことです――
と、申し上げます。薫はまだその時でもないのに、中の君にこの事をお聞かせもうすのも気恥ずかしく思われて、
「『それは後にも罪さり申し給ひてむ。かしこもしるべなくては、たづきなき所を』をせめてのたまふ。『人一人や侍るべき』とのたまへば、この君に添ひたる侍従と乗りぬ。乳母、尼君の供なりし童などもおくれて、いとあやしき心地して居たり」
――「その事なら、後でお詫び申されても済むでしょう。これから行く宇治も案内者が居なくては頼りない山里なのだから」と強くおっしゃいます。「誰か一人お供をするように」と仰せられますので、いつも姫君のお側に付き添っている侍従というのが、尼君と共に車に乗り込みました。乳母や尼君のお供をしてきた童などは、後に取り残されて、狐にでも化かされたようにぼんやりしています――
「近き程にや、と思へば、宇治へおはするなりけり。牛などひき替ふべき心設けし給へりけり。河原過ぎ法性寺のわたりおはしますに、夜は明けはてぬ。若き人はいとほのかに見たてまつりて、めできこえて、すずろに恋ひたてまつるに、世の中のつつましさも覚えず」
――行く先は近い所かと思っていますと、宇治へいらっしゃるのでした。遠方なので牛車の牛なども替わりを立てるような用意をしておられました。賀茂の河原を過ぎ、法性寺(ほっしょうじ)のあたりにさしかかった頃、夜がすっかり明けてしまいました。若い侍従は薫大将をほのかに拝見してからというもの、何とご立派な御方であろうと、ひたすらお慕わしく思うので、世間の思惑など気にならないのでした――
「君ぞ、いとあさましきに物も覚えで、うつぶし臥したるを、『石高きわたりは苦しきものを』とて、抱き給へり」
――浮舟は、あまりのことに夢うつつで、うつ伏しておいでになるのを、薫は「道路に石のごろごろしているところは、辛いでしょう」と抱いておあげになります――
「羅の細長を、車の中に引きへだてたれば、はなやかにさし出でたる朝日影に、尼君はいとはしたなく覚ゆるにつけて、故姫君の御供にこそ、かやうにも見たてまつりつべかりしか、在り経れば思ひかけぬことも見るかな、と悲しう覚えて、つつむとすれどうちひそみつつ泣くを」
――羅(うすもの)の細長を車の中に下げて仕切りにしてありますので、朝日の光がはなやかに差し込んできますのを、尼君は大そうきまり悪く思いながら、亡き大君のお供でこそ、こうして大将の君をお見上げしたかったのに、長生きをしていると思いがけない目にも遭うものだと悲しくもあって、こらえようとしてもつい泣き顔になって、涙のこぼれるのを――
「侍従はいとにくく、物のはじめにかたち異にて乗り添ひたるをだに思ふに、何ぞかくいやめなる、と、にくくをこにも思ふ。老いたる者は、すずろに涙もろにあるものぞ、と、おろそかにうち思ふなりけり」
――侍従は忌々しがって、せっかくのお目出度い結婚の初めに、尼姿でお供をしているのさえ不吉だと思うのに、なぜこんなに泣いたりするのかと、憎らしくも愚かしくも思うのでした。年寄りは訳もなくすぐ涙を流すものだと、うわべだけの考えで思うのでした――
◆羅(ら)=うすぎぬ=薄く織った絹布、
◆にくくをこにも思ふ=憎く痴こにも=憎らしく愚かな事だと思う
では3/27に。