09.8/9 471回
三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(25)
源氏が、明石の御方についておっしゃることに紫の上は、「他の女方にお会いしたことがないので、存じませんが、明石の御方はちょっとうち解けにくい感じがします。私のような開け放しの性質を、どう思っていらっしゃるかと、気がひけますが、きっと分かってくださっているでしょう」と申し上げます。
源氏は紫の上が、あれほど明石の御方を怪(け)しからぬ女と嫌っていらっしゃった人を、今は明石の女御を思うお心から、明石の御方を許しておいでかと思うとあり難く、
「君こそは、さすがに隈なきにはあらぬものから、人により事に従ひ、いとよく二すじに心づかひはし給ひけれ。さらに、ここら見れど、御有様に似たる人はなかりけり。いとけしきこそものし給へ」
――あなたこそは、心に隙(すき)がないわけではないものの、相手によって、事情によって、上手に二通りのお心を使い分けて来られたのですね。まあたくさんの女たちを知っていますが、あなたほどの人は決していませんでしたよ。私への嫉妬は随分なさいましたがね――
と、微笑んでおっしゃる。
紫の上は、源氏が女三宮の御殿にお渡りでさびしい夜は、夜遅くまで女房たちに物語などを読ませては聞き入っておられます。その昔の物語にも、軽薄な男や、色好み、また二心のある男にかかわり合った女などのことを、いろいろ書いてあるのにも、所詮男というものは、結局一人の女に定めてしまうものらしい……、自分は、
「あやしく浮きても過しつる有様かな。げに、宣ひつるやうに、人より異なる宿世もありける身ながら、人の忍び難く飽かぬ事にする物思ひ離れぬ身にてや止みなむとすらむ、あぢきなくもあるかな」
――なんと浮草のように世を過ごしてきてしまったことか。たしかに源氏の君がおっしゃるように、人に勝った運に恵まれた身ではあるでしょうが、人の妻であれば、夫の浮気に誰でも辛くて我慢できない嫉妬の苦しみから逃れることのできないままに、結局自分はこのまま死んで行ってしまうのかしら、何とつまらない味気ないこの世だろう――
と、考えつづけながらお寝みになって、
「暁方より、御胸をなやみ給ふ」
――明け方より、お胸が苦しく、ご病気になられたのでした。――
ではまた。
三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(25)
源氏が、明石の御方についておっしゃることに紫の上は、「他の女方にお会いしたことがないので、存じませんが、明石の御方はちょっとうち解けにくい感じがします。私のような開け放しの性質を、どう思っていらっしゃるかと、気がひけますが、きっと分かってくださっているでしょう」と申し上げます。
源氏は紫の上が、あれほど明石の御方を怪(け)しからぬ女と嫌っていらっしゃった人を、今は明石の女御を思うお心から、明石の御方を許しておいでかと思うとあり難く、
「君こそは、さすがに隈なきにはあらぬものから、人により事に従ひ、いとよく二すじに心づかひはし給ひけれ。さらに、ここら見れど、御有様に似たる人はなかりけり。いとけしきこそものし給へ」
――あなたこそは、心に隙(すき)がないわけではないものの、相手によって、事情によって、上手に二通りのお心を使い分けて来られたのですね。まあたくさんの女たちを知っていますが、あなたほどの人は決していませんでしたよ。私への嫉妬は随分なさいましたがね――
と、微笑んでおっしゃる。
紫の上は、源氏が女三宮の御殿にお渡りでさびしい夜は、夜遅くまで女房たちに物語などを読ませては聞き入っておられます。その昔の物語にも、軽薄な男や、色好み、また二心のある男にかかわり合った女などのことを、いろいろ書いてあるのにも、所詮男というものは、結局一人の女に定めてしまうものらしい……、自分は、
「あやしく浮きても過しつる有様かな。げに、宣ひつるやうに、人より異なる宿世もありける身ながら、人の忍び難く飽かぬ事にする物思ひ離れぬ身にてや止みなむとすらむ、あぢきなくもあるかな」
――なんと浮草のように世を過ごしてきてしまったことか。たしかに源氏の君がおっしゃるように、人に勝った運に恵まれた身ではあるでしょうが、人の妻であれば、夫の浮気に誰でも辛くて我慢できない嫉妬の苦しみから逃れることのできないままに、結局自分はこのまま死んで行ってしまうのかしら、何とつまらない味気ないこの世だろう――
と、考えつづけながらお寝みになって、
「暁方より、御胸をなやみ給ふ」
――明け方より、お胸が苦しく、ご病気になられたのでした。――
ではまた。