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永子の窓

趣味の世界

蜻蛉日記を読んできて(191

2017年05月21日 | Weblog
蜻蛉日記  下巻 (191)  2017.5.21

「助をあけくれ呼びまとはせば、つねにものす。女絵をかしくかきたりけるがありければ、取りてふところに入れて持てきたり。見れば釣り殿とおぼしき高欄におしかかりて、中島の松をまぼりたる女あり。そこもとに、紙の端に、書きて、かくおしつく。
〈いかにせん池の水波さわぎては心のうちの松にかからば〉
また、やもめ住みしたる男の、文書きさして頬杖つきて、もの思ふさましたるところに、
〈ささがにのいづこともなく吹く風はかくてあまたになりぞすらしも〉、もてかへり置きけり。

◆◆右馬頭は助を朝夕呼びつけては離さないので、助は出かけて行きます。女絵の面白いのがあったので、助が持ち帰ってきました。見ると、釣り殿と思われる建物の高欄に寄りかかって中島の松を見ている女が描いてあります。そのそばに、紙の端に書いて、このような歌をはりつけました。
(道綱母の歌)「どうしましょう。心ひそかに待っている男が心変わりしたら」
また、やもめ暮らしの男が手紙を書きさして、頬杖をついて、物思いにふけっている様子でいる絵のところには、
(道綱母の歌)「あてもなく吹く風のように、誰彼の区別なくいい寄る男は、書く手紙の数もおおくなるらしい)
と書くと、助が持っていってあちらへ返してきました。◆◆


【解説】  蜻蛉日記 下巻 上村悦子著より

当時の男性は、こと求婚に関しては実に刻苦勉励して和歌を送り続けたり、保護者の許可を得るため忍耐し、種々奔走を続けるのが常である。右馬頭も思うとおりに進捗せず、不愉快なことがあってもあきらめず、まったく粘り強く押しの一手で迫ってくる。若い男性でなく、こうした経験豊富な中年男だけに簡単に引き下がらない。兼家の異母弟である、かつ道綱の直接の上司だけに、無愛想に追い払うわけにも行かず、作者の気骨の折れることおびただしい。

また当時こうした絵を貴族の間で愛好したことは『源氏物語』はじめ『落窪物語』その他の作品によって伺われる。(中略)
道綱が右馬頭のところから持ち帰った絵に、歌心のある作者は紙切れに歌をすさび書きして付けたのであろう。道綱が借りてきてのであろうが、(事情は不明)「いかにせん」の歌によって養女の結婚につき頭(かみ)の心変わりを案じている意を、『ささがにの』の歌によって、頭もこのような好き者ではないかと懸念している意をほのめかすためであったろうと見る説もある。


蜻蛉日記を読んできて(190)

2017年05月18日 | Weblog
蜻蛉日記  下巻 (190) 2017.5.18

「さくねりても又の日、『助の君、今日人々のがりものせんとするを、もろともに寮にときこえになん』とて、門にものしたり。例の硯乞へば紙置きて出だしたり。入れたるを見れば、あやしうわななきたる手にて、『むかしの世にいかなる罪をつくり侍りて、かう妨げさせ給ふ身となり侍りけん。あやしきさまにのみなりまさり侍るは、なり侍らんこともいとかたし。さらにさらにきこえさせじ。今は高き峰になんのぼり侍るべき』などふさに書きたり。」

◆◆そのように恨みをこぼしても次の日、「助の君、今日あちらこちらを訪問しようと思いますので、ご一緒に役所まで、と申し上げに」と言って、門口まで来ています。先日のように硯を所望するので紙を添えて出しました。書いてよこしてのをみますと、変にふるえた筆跡で、「前世でどんな罪を犯したために、このようなお扱いを受けるのでしょう。ますます事がこじれていくようでこの分では事の成就(結婚)することもむずかしいように思います。もう決して決して何も申し上げますまい。今は高い峰にでものぼるつもりでございます。」などと、たくさん書いてあります。◆◆



「返りごと、『あなおそろしや、なだかうのたまはすらん。うらみきこえ給ふべき人は、ことにこそ侍るべかまれ。峰は知り侍らず、谷のしるべはしも』と書きて出だしたれば、助ひとつに乗りてものしぬ。助の、給はり馬いとうつくしげなるを取りて帰りたり。」

◆◆返事には「まあ、なんということを仰るのでしょう。おうらみになるべき方は私ではなく別の(兼家)人でございましょう。峰のことは存じません。谷の方のご案内なら」と書いて出したところ、右馬頭は助と同乗して出かけて行きました。助は下されもののたいそう立派な馬をもらって帰ってきました。◆◆

「その暮れに又ものして、『一夜のいとかしこきまできこえさせ侍りしを思ひ給ふれば、さらにいとかしこし。いまはただ、殿よりおほせあらんほどを、さぶらはんなどきこえさせになん、今宵は生ひ直りしてまゐり侍りつる。〈な死にそ〉とおほせ侍りしは、千年の命堪ふまじき心ちなんしはべる。手を折り侍れば指三つばかりはいとよう臥し起きし侍れど、おもひやりのはるかに侍れば、つれづれとすごし侍らん月日を、宿直ばかりを竹簀の端わたり許され侍りなんや』と、いとたとしへなくけざやかに言へば、それにしたがひたる返りごとなどものして、今宵はいととく帰りぬ。」

◆◆その夕暮れにまた右馬頭が訪れてきて、「先夜の恐れ多いまでに申し上げましたことを思い起こしますと、恐縮の至りでございます。今はただただ、殿より仰られた、あのときの仰せにあるまで控えているつもりでございますと、申し上げに参りました。『死んではいけない』と仰せがございまいしたが、千年の寿命がありましても、こんな状態ではとても耐えられそうにもありません。指を折って数えますと、指三本折る三ヶ月の間はなんとか過ごせそうですが、これから先はずいぶん長く八月は考えても先のことなので、その月日の間、せめて宿直なりとも、すのこの端あたりでお許しくださいませんでしょうか」と先夜とは打って変わってはきはきと言うので、それに応じた返事などをしますと、その夜はさっさと帰って行きました。◆◆


蜻蛉日記を読んできて(189)その2

2017年05月15日 | Weblog
蜻蛉日記  下巻 (189) その2  2017.5.15

「いらへわづらひて、はてはものも言はねば、『あなかしこ、きこえさせじ。いとかしこし』とて、爪はじきうちしていものも言はで、しばしありて立ちぬ。出づるに、『松明』など言はすれど、『さらに取らせてなん』と聞くに、いとほしくなりて、まだつとめて、『いとあやにくに松明ともの給はせで、帰らせ給ふめりしは、たひらかによときこえさせになん。」

◆◆ 私は返事に困って、しまいには物も言わずにいますと、「はなはだ恐縮です。ご機嫌を悪くしてしまいました。それでは今後は(仰せがない限りお伺いいたさぬようにいたします)まことに
恐縮です」と言って、不満そうにつまはじきをして、物も言わずにしばらくして座を立ちました。帰りに「松明を」と言わせましたが、「まったく受け取られないで」と言うのを聞きましたので、翌朝早く、「ほんとうにあいにくに、松明をとも仰せにならずにお帰りになりましたそうで、無事にお帰りになりましたかと、お伺いに◆◆



「『<ほととぎすまた訪ふべくも語らはで帰る山路の木暗かりけん>こそいとほしう』と書きてものしたり。さし置きてくれば、かれより、
『<ほふ声はいつとなけれどほととぎすあけてくやしき物をこそおもへ>
と、いたうかしこまり、給はりぬ』とのみあり。」

◆◆(道綱母の歌)「またの訪れの約束もなくお帰りになり、松明もなくてはさぞかし帰りの道はくらかったでしょう」と届けさせると、そのまま使いは手紙を置いて帰ってきて、あちらから、
(右馬頭の歌)「いつ訪れるとも申しあげませんでしたが、一夜明けた今朝は、昨夜のことをはなはだ後悔しております。」
とだけありました。◆◆


蜻蛉日記を読んできて(189)その1

2017年05月11日 | Weblog
蜻蛉日記  下巻 (189) その1  2017.5.11

「さてその日ごろ選びまうけつる廿二日の夜、ものしたり。こたみはさきざきのさまにもあらず、いとづしやかになりましりたる物から、責むるは、さまいとわりなし。『殿の御許されは道なくなりにたり。そのほどはるかにおぼえはべるを、御かへりみにていかでとなん』とあれば、『いかにおぼして、かうはのたまふ。そのはるかなりとのたまふほどにや、初ごともせんたなん見ゆる』と言へば、『いふかひなきほども、物がたりはするは』と言ふ。」

◆◆さて右馬頭は、その、前から選び定めておいた二十二日の夜、訪れてきました。今度は今までと違って重々しく振る舞ってはいるものの、こちらを責めることはなんともはなはだしい。「殿(兼家)からお許しをいただいていた四月の結婚がダメになってしまいました。八月とはとても先のことと思われますので、あなたさまのご配慮によりまして、なんとか縁組を早めていただけないかと存じまして」と言うので、「どうしてそのようなことをおっしゃるのでしょうか。その八月までの間に、あの娘も初ごとをみるようになろうかとおもわれます」と言うと、「幼くても、話ぐらいはいたしますよ」と言います。◆◆



「『これはいとさにはあらず。あやにくに面ぎらひするほどなればこそ』など言ふも、聞きわかぬやうに、いとわびしく見えたり。『胸走るまでおぼえはべるを、この御簾のうちにだにさぶらふと思ひ給へて、まかでん。ひとつひとつをだになすことにし侍らん。かへりみさせ給へ』と言ひて、簾に手をかくれば、いとけうとけれど聞きも入れぬやうにて、『いたうふけぬらんを、例はさしもおぼえ給ふ夜になんある』とつれなう言へば、」

◆◆「この子はほんとうにそうではありません。あいにく人見知りする年齢ですから」と言うのにも、聞き分けられないようながっかりした様子です。「胸が(思い焦がれて)やきもきしていますので、せめて、この御簾の内にだけでも伺候できましたらとおもいまして、そうして退出したいと思います。せめてどちらか(養女との対面と)一つなりと、思いをかなえたいと思いますので、是非ご高配ください」と言って、御簾に手を掛けるので、たいそう気味が悪く、右馬頭の言葉を聞かなかったふりをして、「大変夜も更けてしまったようですが(夜が更けるといつでもこんなことをなさるのですかの意)。とそっけなく言いますと、◆◆



「『いとかうは思ひきこえさせずこそありつれ。あさましういみじう、かぎりなううれしと思ひたまふべし。御暦も軸もとになりぬ。悪くきこえさする御気色もかかり』など、おりたちてわびいりたれば、いとなつかしさに、『なほいとわりなきことなりや。院に、内裏になどさぶらひ給ふらん昼間のやうにおぼしなせ』など言へば、『そのことの心は苦しうこそはあれ』とわびいりてこたふるに、いといふかひなし。」

◆◆右馬頭が「ほんとうにこれほどまで冷たくあしらわれますとは思いもよりませんでした。お声を聞かせていただいただけでもうれしいと思うことにいたしましょう。御暦も残り少なくなってまいりました。無礼なことを申し上げてご機嫌を損じまして」などと、とてもしょげ返っていますので、少し同情を覚えて、「やはり御簾の内にお入れするのは無理なお頼みです。院や内裏に伺候なさる昼間のようなお心もちにおなりください。」と言うと、「そのような格式ばった心持でいることは耐えられません」と気落ちしたようすで答えますので、全くどうして良いのか分らない。◆◆


■づしやかに=重々しく

■初ごと(ういごと)=初めての懸想文(歌)のやり取りをすることか。

蜻蛉日記を読んできて(188)その2

2017年05月08日 | Weblog
蜻蛉日記  下巻 (188)その2  2017.5.8

「さてなほここには、いといちはやき心ちすれば思ひかくることもなきを、かれより、『かくなん仰せありきとて、責むるごときこえよ』とのみあれば、『いかでさはのためはするにかあらん。いとかしがましければ、見せたてまつりつべくて。御かへり』と言ひたれば、『さは思ひしかども、助のいそぎしつるほどにて、いとはるかになんなりにけるを、もし御心かはらずは、八月ばかりにものし給へかし』とあれば、いとめやすき心ちして、」

◆◆さて、ここではこの結婚話は少し早すぎるという気がしますので、本気で考えてもいないのに、右馬頭から道綱へは、「私の方からは、このように殿の仰せがありました、と言って、母上にどしどし催促申し上げてください」とばかり言ってくるので、私はあの人(兼家)に「どうしてあのように言ってくるのでしょうか。とてもしつこいので、右馬頭さまにお見せしたいと思いまして。あなたからのご返事を」と言ってやりますと、あの人からは「そうは思ったけれど、助の支度をしていた最中で、随分のびのびになってしまったが、もし、右馬頭の心が変わらなければ、八月ごろに行われるのが良いだろう」と返事があったので、ちょっとほっとした気持ちがして◆◆


「『かくなんはべめる。いちはやかりける暦は不定なりとは、さればこそきこえさせしか』とものしたれば、返りごともなくて、とばかりありてみづから、『いと腹だたしきこときこえさせになんまゐりつる』とあれば、『なにごとにか。いとおどろおどろしくはべらん。さらばこなたに』と言はせたれば、『よしよし、かう夜昼まゐり来ては、いとどはるかになりなん』とて、入らで、とばかり助と物語して、立ちて硯、紙と乞ひたり。」

◆◆右馬頭に私の方から「殿はこのように仰っております。気の早い暦ざたは確かではございません。ですからこそ申し上げるのございます」と言いおくるが、返事がなくて、しばらくして右馬頭自身が訪れてきて、「とても腹の立つことを申し上げに参りました」というので、「なにごとでしょうか。大変なご剣幕でございますこと。では、こちらへ」と言わせますと、「まあ、まあ、こんなふうに、夜昼の参ってはますます遠のいてしまいましょう」と言って、内には入らず、少しばかり助と話をして、帰り際に硯と紙とを所望したのでした。◆◆


「出だしたれば、書きておしひねりて入れて去ぬ。見れば、
『<契りおきし卯月はいかにほととぎすわが身の憂きにかけ離れつつ>
いかにはべらまし。屈しいたくこそ。暮れにを』と書いたり。
手もいとはづかしげなりや。返りごと、やがて追いて書く。
<なほしのべ花橘の枝や無きあふひすぎぬる卯月なれども>

◆◆それらを出しますと、書いて、両端をひねってこちらへ差し出して帰っていきました。見ると、
「(右馬頭の歌)『お約束の四月はどうなったのでしょうか。わが身がなさけなく、おそばにも寄れない日々を過ごしています。おとずれた鶯もやがて卯の花の木陰を離れて泣きます。』いったいどうしたら良いでしょう。すっかり悲観しております。また夕方に参ります」と書いてありました。
筆跡はなかなか立派でした。返事を追いかけるようにして書きました。
(道綱母の歌)「やはり辛抱して時節をお待ち下さい。卯の花の陰はなくても、五月には花橘の花があるではありませんか。葵の祭(養女と逢う・結婚の)の四月はすぎましたけれど」◆◆


蜻蛉日記を読んできて(188)その1

2017年05月05日 | Weblog
蜻蛉日記  下巻 (188)その1  2017.5.5

「来そめぬれば、しばしばものしつつ、同じことをものすれど、『ここには、御許されあらんところよりさもあらん時こそは、わびてもあべかめれ』と言へば、『やんごとなき許されはなりにたるを』とて、かしがましう責む。『この月とこそは殿にもおほせはありしか。廿よ日のほどなん、よき日はあなる』とて責めらるれど、助、寮の使ひにとて祭にものすべければ、そのことをのみ思ふに、人はいそぎの果つるを待ちけり。御禊の日、犬の死にたるを見つけて、いふかひなくとまりぬ。」

◆◆右馬頭は一度来てからは、しばしば姿を見せて、同じことを繰り返し言うけれど、「こちらでは、お許しの出るところからお話がございましたなら、辛くてもそうしなければならないでしょうが、」といいますと、「大切なお許しはもう頂いておりますのに」と言って、やかましく急き立てます。「この月に、と、殿にも仰せがありました。二十日過ぎごろに吉日があるようです」と言って、責められるけれど、助が、右馬寮の使者に立つということで、賀茂祭にでることになっているので、そのことにばかりに気持ちがいっているので、右馬頭はそれが早く過ぎるのを待っていました。禊の日、助は、犬の死んでいるのを見てしまって穢れに触れたということで、残念ながら使者の役は中止になってしまいました。◆◆


■犬の死にたるを見つけて=犬の死穢に触れ、その穢忌により祭事への参加を辞退する。

蜻蛉日記を読んできて(187)その3

2017年05月02日 | Weblog
蜻蛉日記  下巻 (187)その3  2017.5.2

「雨うち乱る暮れにて、蛙の声いとたかし。夜ふけゆけば、内より『いとかくむくつけげなるあたりは、内なる人だにしづ心なくはべるを』といひ出だしたれば、『なにか、これよりまかづと思うたまへむかし、恐ろしきことはべらじ』と言ひつつ、いたうふけぬれば、『助の君の御いそぎも近うなりにたらんを、そのほどの雑役をだにつかうまつらん。殿に、かうなんおほせられしと御気色給はりて、又、のたまはせんこときこえさせに、あすあさてのほどにもさぶらふべし』とあれば、立つななりとて、張のほころびよりかき分けて見出せば、簀子にともしたりつる火は、はやう消えにけり。」

◆◆雨がひどく降っている夕暮れで、蛙の声がしきりにしています。夜が更けていくので、内から「このあたりは、ひどく気味の悪いところで、家に居るものでも気が落着きませんのに」と言うと、「いえ、どういたしまして。お宅からお暇しますからには、そのような恐ろしいことはございませんでしょう」と言っているうちに、すっかりり夜も更けてしまったので、「助の君のご準備(賀茂の祭の勅使に立つ、その準備)も間近になったことでしょうが、その場合の雑用なりとつとめさせていただきましょう。殿に、こちらでは(道綱母が)このように仰せっれましたことをお伝えして、思し召しのほどを伺って、また殿のお言葉を申し上げに、明日か明後日あたりにでも参上いたしましょう」と言うので、帰る様だと思って、几帳のほころびから、帷子をかき分けて外を見ると、簀子にともしてあった灯火は、とっくに消えてしまっていたのでした。◆◆



「内にはものの後へにともしたれば光ありて、外の消えぬるも知られぬなりけり。影もや見えつらんと思ふにあさましうて、『腹黒う、消えぬとものたまはせで』と言へば、『なにかは』とさぶらふ人もこたへて立ちにけり。」

◆◆内側では、物の後に灯火をともしていたので、明るくて、外の灯火が消えてしまっていることが分りませんでした。こちらの姿が見えていたかもしれないと思うと、ちょっとあきれて、「お人が悪いこと。灯火が消えたともおっしゃらないのですもの」と言うと、「なになに、かまいません」と、控えていた従者も答えて、帰って行きました。◆◆

蜻蛉日記を読んできて(187)その2

2017年04月29日 | Weblog
蜻蛉日記  下巻 (187)その2  2017.4.29

「助と物語忍びやかにして、笏に扇のうちあたる音ばかりときどきして、ゐたり。内に音なうてやや久しければ、助に「『一日かひなうてまかでにしかば、心もとなさにさん』ときこえ給へ」とて入れたり。『はやう』と言へばゐざり寄りてあれど、とみにものも言はず。
内よりはたまして音なし。とばかりありて、おぼつかなう思ふにやあらんとて、いささかしはぶきの気色したるにつけて、『時しもあれ、悪しかりける折にさぶらひあひはべりて』と言ふをはじめにて、思ひはじめけるよりのこといとおほかり。」

◆◆助と小声で話して、笏に扇があたる音だけがしばらくしていました。御簾の内の方からは何も言わないで、かなり時間がたったので、助に「『先日はお伺いした甲斐もなく帰りましたので、気がかりでございまして』と申し上げてください」と私に言い伝えさせまっした。助が右馬頭に「さあ、早くお話ください」と勧めると、にじり寄ってきたけれど、すぐには言葉を発しない。しばらくして、右馬頭が不安に感じているのではないかと、私が、咳払いをしたのにつづいて、「先日は、ちょうどあいにくの時に参上いたしまして」と言うのを皮切りに、思い始めてからのことを、事こまかに話すのでした。◆◆



「内には、ただ、『いとまがまがしきほどなれば、かうのたまふも夢の心ちなんする。ちひさきよりも世にいふなる鼠生ひのほどにだにあらぬを、いとわりなきことになん』などやうにこたふ。声いといたうつくろひたなりときけば、我もいと苦し。」

◆◆内からはただ、「まだまだ子どもで縁談など程遠く、はばかられる年ごろでございますので、このように仰せられますのも、夢のような気がいたします。小さいというよりも世間で言います鼠生いでさえございませんので、とてもご無理なお申し出でございまして」というように答えます。右馬頭の声が、いかにも改まった物言いであるので、私もひどく
心苦しいのでした。◆◆


■鼠生ひ=当時の言葉風習。生まれたばかりの鼠のように、ひ弱な状態。


蜻蛉日記を読んできて(187)その1

2017年04月27日 | Weblog
蜻蛉日記  下巻 (187)その1  2017.4.27

「二日ばかりありて、ただ言葉にて『侍らぬほどにものしたまへりけるかしこまり』など言ひて、たてまつれて後、『いとおぼつかなくてまかでにしを、いかで』とつねあり。『にげないことゆゑに、あやしの声までやは』などあるは、許しなきを、『助にものきこえむ』と言ひがてら、暮れにものした。」

◆◆二日ほどして、私の方から口上として、「留守の間においでになったそうで、大変失礼をいたしました」と使いの者をやりましたところ、その後で、「先日はお目にかかれずお暇いたしましたが、どうぞお目もじのほどを」と始終言ってきます。「どうも不似合いであるから、私のお聞きぐるしい声までお耳を汚すことはどうも」と言っているのは、許さないということなのに、「助の君にお話があります」と言いがてら、夕暮れにやってきました。◆◆



「いかがはせんとて格子二間ばかり上げて、簀子に火ともして廂にものしたり。助、対面して、『はやく』とて椽にのぼりぬ。妻戸をひきあけて『これより』といふめれば、あゆみ寄るものの、又たちのきて、『まづ御消息きこえさせたまへかし』と忍びやかにいふめれば、入りて、『さなん』とものするに、『おぼし寄らんところにきこえよかし』など言へば、すこしうち笑ひて、よきほどにうちそよめきて入りぬ。」

◆◆どうしたものか、仕方がないと格子を二間(ふたま)だけ上げて、簀子に灯火をともし、廂の間に招き入れました。助が会って、「さあ、どうぞ」と勧めて、右馬頭は縁に上がりました。助が妻戸を引き開けて、「こちらから」というようなので、歩み寄ったけれど、またあとへ下がって、「まずは母君にお取次ぎください」と小声で言っている様で、助が来て、私に「そのようにおっしゃっています」と言うので、「思し召し(養女)のところで申し上げなさいよ」と言うと、少し笑って、程よく衣ずれの音をさせて、廂の間に右馬頭が入ってきました。◆◆


■椽(えむ)=たるき。縁

■二間(ふたま)=「間」は柱と柱の間のことをいう。


蜻蛉日記を読んできて(186)

2017年04月25日 | Weblog
蜻蛉日記  下巻 (186) 2017.4.25

「ついたち、七八日のほどの昼つかた、『右馬頭おはしたり』といふ。『あなかま、ここになしとこたへよ。もの言はむとあらんに、まだしきに便なし』など言ふほどに入りて、あらはなる籬の前に立ちやすらふ。例もきよげなる人の、練りそしたる着て、なよよかなる直衣、太刀ひきはき、例のことなれど、赤色の扇すこし乱れたるを持てまさぐりて、風はやきほどに纓吹き上げられつつ立てるさま、絵にかきたるやうなり。」

◆◆四月上旬の七、八日ごろの昼時分に、「右馬頭さまがおいでになりました」という。「ちょっと静かに。私は留守だと伝えなさい。話をしたいということでしょうが、まだ早すぎて、都合が悪いし」と言っているうちに、頭は入って来て、中からもその姿が丸見えの籬(まがき)の前に佇んでいます。いつもきれいなこの人が、十分練り上げた袿を着て、その上にしなやかな直衣を着、太刀を腰につけ、いつものことだけれど、赤色の扇のすこし形のくずれたのを手にもてあそんで、折からの風に冠の纓(えい)を上に吹き上げられながら立っている姿は、まさに絵にかいたように美しい。◆◆



「『きよらの人あり』とて、奥まりたる女どもなど、うちとけ姿にて出でて見るに、時しもあれ、この風の、簾を外へ吹き内へ吹き、まどはせば、簾をたのみたるものども我か人かにて押さへひかへさわぐまに、なにか、あやしの袖口もみな見つらんと思ふに、死ぬばかりいとほし。」

◆◆「きれいな人が来ている」といって、奥まっているいるところにいる侍女たちが、うちとけた姿のままで出てみると、なんと時も時、風が簾を外へ内へと吹きまくって、簾を頼みと陰から見ていた者どもが、すっかり慌てて無我夢中で簾を押さえたりひっぱったり騒ぐ間に、なんとまあ、見苦しい袖口も全部見られてしまったと思うと、私は死んでしまいたいほど恥ずかしい気持ちでした。◆◆



「よべ出居のところより、夜ふけて帰りて寝臥したる人を起こすほどに、かかるなりけり。からうして起き出でて、ここには人もなきよし言ふ。風のこころあわたたしきに、格子をみな、かねてよりおろしたるほどにあらば、何ごと言ふもよろしきなりけり。しひて簀子にのぼりて、『今日よき日なり。わらうだ貸い給へ。居そめん』などばかりかたらひて、『いとかひなきわざかな』とうちなげきて帰りぬ。」

◆◆昨夜弓の練習場から夜ふけて帰ってきてまだ寝ている助を起こしている間に、こんな不様なことがあったのでした。やっと起きてきて助が、目下家の者は皆不在であることを告げます。風がひどく吹き荒れていた時だったので、格子をみな前から降ろしていたので、どのように言っても良いことでした。右馬頭は強引に簀子(すのこ)にまで上ってきて、「今日は吉日です。どうか円座を貸してください。座り初めをしたいのです」などと話したきり、「どうも伺った甲斐がないことでした」をため息をつきながら帰っていきました。◆◆


■纓(えい)=冠の後部に垂らした羅(うすもの)