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永子の窓

趣味の世界

枕草子を読んできて(100)その2

2018年11月20日 | 枕草子を読んできて
八七  返る年の二月二十五日に  (100) その2

 桜の直衣、いみじくはなばなと、裏の色つやなど、えも言はずけうらなるに、葡萄染めのいと濃き指貫に、藤の折枝、ことごとしく織り乱れて、紅の色、打ち目などかがやくばかりぞ見ゆる。下に白き薄色など、あまた重なりたり。せばきままに、片つ方はしもながら、すこし簾のもと近く寄りゐたまへるぞ、まことに絵にかき、物語のめでたき事に言ひたる、これこそはと見えたる。
◆◆桜の直衣は、とても華やかで、裏の色艶など、なんとも言えないほど清らかで美しいが、そのうえ、葡萄染めのとても濃い指貫に、藤の折枝の模様を、豪華に織り散らして、下着の紅の色や、砧で打った光沢などは輝くばかりに見える。その下には白いのや薄紫色などの下着が、たくさん重なっている。簀子が狭いので、片足は縁から下におろしながら、片足で座って、上半身は少し簾のもと近くに寄っていらっしゃる様子は、本当に絵に描いたり、物語の中でのすばらしいこととして言ったりしているのは、まったくこれのことよというふうに見える。◆◆

■桜=桜襲(さくらがさね)表白、裏赤または紫。
■けうらなる=「きよら」の転音。


 御前の梅は、西は白く、東は紅梅にて、すこし落ちがたになりたれど、なほをかしきに、うらうらと日のけしきうららかにて、人に見せまほし。簾の内に、ましてわかやかなる女房などの、髪うるはしく長く、こぼれかかりなど、添ひゐたンめる、いますこし見所あり、をかしかりぬべきに、いとさだ過ぎ、ふるぶるしき人の、髪などもわがにはあらねばにや、所々わななき散りぼひて、おほかた色ことなる事なれば、あるかなきかなる薄鈍ども、あはひも見えぬ衣どもなどあれば、つゆの映えも見えぬに、おはしまさねば、裳も着ず、袿姿にてゐたるこそ、物ぞこなひにくちをしけれ。
◆◆梅壺の御前の梅は、西が白く、東のは紅梅で、少し散りかたになっているけれど、やはりおもしろい折から、うらうらと日の光の様子がのどやかで、人に見せたい。簾の内側にはまして年若な女房などで、髪がきちんと整って長く、顔や肩にこぼれかかりなどして、寄り添って座っているような場合は、もうすこし見所もあり、おもしろいに違いないだろうが、(私のような)すっかり盛りを過ぎて古びた女で、髪なども自分のでないからだろうか、ところどころちぢれていて乱れてもいて、今は喪服でいつもとちがっているときなので、色があるかないか分からぬ薄鼠色の上衣や、重ねの色合いもはっきりしていない着物などを着ているので、まったく引き立っても見えない。そのうえ中宮様がいらっしゃらないので裳も付けず、袿姿で座っているのこそは、せっかくの雰囲気に対してぶち壊しで残念なことだ。◆◆


「職へなむまゐる。ことづけやある。いつかまゐる」などのたまふ。「さても昨夜、明かしも果てで、さりともかねてさ言ひてしかば、待つらむとて、月のいみじう明かきに西の京より来るままに、局をたたきしほど、からうじて寝おびれ起き出でたりしけしき、いらへのはしたなさ」など語りて、笑ひたまふ。
「むげにこそ思ひうんじにしか。などさる者をば置きたる」など。げにさぞありけむと、いとほしくをかしくもあり。しばしありて出でたまひぬ。外より見む人は、をかしう、内にいかなる人のあらむと思ひぬべし。奥の方より見いだされたらむうしろこそ、外にさる人やともえ思ふまじけれ。
◆◆「職へ参上する。伝言はあるか。いつ参上するのか」などと頭中将がおっしゃる。「それにしても昨晩夜を明かしてもしまわないで、たといこんな時刻ではあっても、前からああ言っておいたのだから、待っているだろうと思って、月のたいそう明るい頃に西の京から来るとすぐに、局を叩いたところ、留守居の女がやっとのことで寝ぼけて起き出てきていたその様子、その応対の言葉のばつの悪さ」などといろいろ話して、お笑いになる。
「全くいやになってしまったよ。どうしてあんな者を置いてあるのか」などと。なるほどそうであったかと、頭中将が気の毒でもあり、おかしくもある。しばらくして頭中将はお出ましになった。外から見る人があったら、その人は素晴らしく、内側にどんな美人がいるだろうと思うに違いない。反対に奥の方から見られているとしたら、私の後ろ姿こそは、外にそんなに素敵な男性がいようかとも、思いつくこともできないだろう。◆◆

■西の京=朱雀大路を境として西側の京。東側は栄えたが西側は衰えていた。
■うんじ=「倦みす」の撥音便。
■外より見む人は=頭中将が御簾の傍で中に向かい話しかける様子を外側から見る人。
■見いだされたらむ=奥から外へ視線を向けて出すことが「見いだす」であり、作者は後ろ姿を見られることになる。
■さる人=そんなすばらしい男性が。

枕草子を読んできて(100)その1

2018年11月12日 | 枕草子を読んできて
八七  返る年の二月二十五日に  (100) その1  2018.11.12

 返る年の二月二十五日に、宮、の職の御曹司に出でさせたまひし御供にまゐらで、梅壺に残りゐたりしまたの日、頭中将の御消息とて、「昨日の夜、鞍馬へ詣でたりしに、今宵方のふたがれば、違へになむ行く。まだ明けざらむに、帰りぬべし。かならず言ふべき事あり。いたくたたかせで待て」とのりたまへりしかど、「局に人々はあるぞ。ここに寝よ」とて、御匣殿召したれば、まゐりぬ。
◆◆あくる年の二月二十五日に、中宮様が、職の御曹司にお出ましあそばした御供に参上しないで、梅壺に居残っていた次の日、頭中将(斉信)のお手紙ということで、「昨日の夜、鞍馬へ参詣していたが、今晩方角が塞がるので、方違えによそへ行く。まだ夜が明けないうちにきっと京へ帰るだろう。是非話したいことがある。あまり局の戸を叩かせないで待っててくれ」とおっしゃっていらしたけど、「局には留守居の女房たちはいるのだから、あなたはここで寝よ」ということで、御匣殿がお召しになっているので、そちらに参上してしまった。◆◆

■返る年=前段を受けて長徳二年
■職の御曹司(しきのみざうし)=中宮職内の中宮御所
■梅壺(うめつぼ)=凝花舎(ぎょうかしゃ)
■御匣殿(みくしげどの)=天皇の服を裁縫する所で貞観殿にある別当(長官)。道隆四女で定子の同腹の妹がそれと推定されている。



 久しく寝起きておりたれば、「昨夜いみじう人のたたかせたまひし。からうじてうらてかねおきてはべりしかば、『うへにか。さらば、かくなむ』とのたまひしかども、『よも聞かせたまはじ』とて、臥しはべりにき」と語る。心もとなの事やとて聞くほどに、主殿寮来て、「頭の殿の聞こえさせたまふなり。『ただいままかり出づるを、聞こゆべき事なむある』」と言へば、「見るべき事ありて、うへへなむのぼりはべる。そこにて」と言ひて、局は引きもやあけたまはむと、心ときめきして、わづらはしければ、梅壺の東面の半蔀上げて、「ここに」と言へば、めでたくぞ歩み出でたまへる。
◆◆長く寝て起きて下局に下がっていると、下仕えの女が「昨夜はひどく戸をお叩きになりました。やっとウラテ?が寝覚めて起きましたところ、『上においでか。それなら、これこれとお伝えせよ』とおっしゃいましたが、『お取次ぎしてもよもやお聞きになりますまい』とお断りして、寝てしまいました。」と話す。なんとじれったいことよ、と思って聞いているうちに、使いの主殿寮の男が来て、「頭の殿があなたに申し上げなさるのです。『今すぐ退出するのだが、申し上げたいことがある』とのことで…」言うので、(私が)「しなくてはならない用事があって上へのぼります。そこで」言って、局は、戸をお引き開けになるかもしれないと、胸がどきどきして、面倒なので、梅壺の東面の半蔀を上げて、「こちらへ」と言うと、すばらしいお姿で歩み出ていらっしゃる。◆◆

■うらてか=不審

枕草子を読んできて(99)その4

2018年11月05日 | 枕草子を読んできて
八六  頭中将のそぞろなるそら言にて   (99)  その4  2018.11.5

 修理亮則光、「いみじきよろこび申しに、うへにやとてまゐりたりつる」と言へば、「なぞ。司召ありとも聞こえぬに、何になりたまへるぞ」と言へば、「いで、まことにうれしき事昨夜侍りしを、心もとなく思ひ明かしてなむ。かばかり面目ある事なかりき」とて、はじめありける事ども、中将の語りつる同じ事どもを言ひて、「『この返事にしたがひて、さる者ありとだに思はじ』と、頭中将のたまひしに、ただに来たりしはなかなかよかりき。持て来たりしだびは、いかならむと胸つぶれて、まことにわろからむは、せうとのためもわろかるべしと思ひしに、なのめにだにあらず、そこらの人のほめ感じて、『せうとこそ。聞け』とのたまひしかば、下心にはいとうれしけれど、『さやうの方には、さらにえくふんすまじき身になむはべる』と申ししかば、『言加へ聞き知れとにはあらず。ただ人に語れとて聞かするぞ』とのたまひしなむ、すこしくりをしきすとのおぼえにはべりしかど、『これが本つけ試みるに、言ふべきやうもなし。こと、またこれが返しをやすべき』など言ひ合はせ、わろき事いひては、なかなかねたかるべしとて、夜中までなむおはせし。これ、身のためにも、人の御ためにも、さていみじきよろこびにはべらずや。司召に少々の司得てはべらむは、何と思ふまじくなむ」と言へば、げにあまたしてさる事あらむとも知らで、ねたくもあるかな。これになむ胸つぶれておぼゆる。この「いもうとせうと」といふ事は、うへまでみな知ろしめし、殿上にも、司名をば言はで、せうととぞつけたる。
◆◆修理の亮則光が、「たいへんなよろこび申し上げに、上の御局におられるかと思ってそちらに参上してしまっていたのです」と言うので、「なぜです。司召があるとも聞いていないのに、何におなりになっているのですか」と言うと、「いやもう、ほんとうにうれしいことが昨夜ございましたのを、待ち遠しく思って夜を明かしまして。これほど面目を施したことは今までありませんでした」と言って、最初にあった事々、源中将がすでに話してしまったと同じことをいろいろ言って、(さらに則光は)「『この返事次第で、そんな者がいるとさえも思うまい』と、頭の中将がおっしゃった時に、使いの者が何も持たずに帰って来ていたのは、かえってよかった。二度目に返事を持って来ていた時は、どうなのだろうと胸がどきっとして、ほんとうにその返事がまずければ、このきょうだいのためにも不味いと思ったのに、一通りどころではない出来栄えで、大勢の人がほめて感心して、『きょうだいよ。聞けよ』とおっしゃったので、内心はもちろんうらしいけれど、『そうした文雅の方面には、いっこう思慮できそうもない身でございます』と申し上げたところ、『批評したり、聞いて理解したりしろというのではない。ただ、人に吹聴しろということで聞かせるのだよ』とおっしゃったのは、少し残念なきょうだいの思われ方でございましたが、『これの上の句をつけようとしてやってみるけれど、どうにも言いようがない。ことさらまたこれの返事をしなければならないこともあるまい』などと相談して、下手なことを言っては、返ってきっとしゃくだろうというわけで、夜中までもそうしておいでになりました。これは、わたしの身のためにも、あなたの御ためにも、そのまま大変なよろこびではございませんか。司召に少々良い官を得ておりましょうのは、これに比べれば、何とも思いますまいことで」と言うので、なるほど大勢でそんなことがあろうとも知らないで、癪なことだったこと。このことでは胸がどきっとするように感じられる。この「きょうだい分」ということは、主上までもすっかりご存じあそばして、殿上でも、官名の修理の亮は言わずに「きょうだい」とあだ名がつけてある。◆◆


■修理亮則光(すりのすけのりみつ)=橘氏。長徳二年(996)修理亮。作者と親しい関係にあったらしい。
■よろこび申し=「よろこび」は自分のうれしく思う気持ち。
■司召(つかさめし)=秋の京官の除目をいうが、ここでは臨時の除目をいうのだろう。
■せうと=「兄人(せひと)」の音便。本来は女から同腹の兄弟をさしていう語。則光の通り名代わりに使われている。則光は作者と義兄妹の約束があったのだろうという。仮に「きょうだい」と訳す。年上か年下か確かなことは未詳。
■いもうと=「妹人(いもひと)」の音便。本来は男から同腹の姉妹をいう語。作者のこと。きょうだい分。愛人関係と普通解されているが、一説にはなお夫婦となるには距離なり事情がある場合に義兄妹の約をすること。



 物語などしてゐたるほどに、「まづ」と召したれば、まゐりたるに、この事仰せされむとてなりけり。うへのわたらせたまひて、語りきこえさせたまひて、「をのこどもみな扇に書きて持たる」と仰せらるるにこそ、あさましう、何の言はせたる事にかとおぼえしか。
 さて後に、袖几帳など取りのけて、思ひなほりたまふめりし。
◆◆女房たちと話をしている時に、中宮様から「すぐにいらっしゃい」とのお召しがありましたので、参上いたしましたところ、この事を仰せられあそばされたのでした。主上がお越しあそばされて、中宮様にそのことをお話しあげあそばして、その結果、中宮様は、「殿上の男たちはみな扇にあの句を書きつけて持っているよ」と仰せになるのには、それこそあきれて、何がそんな風に吹聴させていることなのだろうかと感じられた。
 それから後に、袖几帳などを頭の中将は取りのけて、お気持ちがおなおりになるようであったよ。◆◆

■何の言はせたる事にか=一説に、何という魔性の物が私に憑いて、あの時あの句を言わせたのか。
■袖几帳=前に「袖をふたぎて」とあった。
        頭の中将斉信(ただのぶ)の官位からすると、長徳元年(995)二月のことだろう。
一条帝16歳。中宮19歳。斉信(ただのぶ)29歳。作者30歳のころになる。




枕草子を読んできて(99)その3

2018年11月01日 | 枕草子を読んできて
八六  頭中将のそぞろなるそら言にて   (99)  その3  2018.11.1

 みな寝て、つとめていととく局におりたれば、源中将の声して、「草の庵やある。草の庵やある」と、おどろおどろしう問へば、「などてか、さ人げなきものはあらむ。『玉のうてな』もとめたまはしかば、いらへ聞こえてまし」と言ふ。
◆◆みな寝て、翌朝たいへん早く自分の局に下がっていると、源中将の声で、「草の庵はいるか。草の庵はいるか」と、大げさな言い方でたずねるので、「まあ、どうしてそんな人間らしくない者がいましょうか。『玉の台(うてな)』をお探しなら、きっとお返事をもうしあげましょうに」と言う。◆◆

■草の庵=寂しい草の庵にいる私を誰が訪れようか。
■源中将(げんのちゅうじょう)=宣方(のぶかた)、正暦5年右中将。



 「あなうれし。しもにありけるよ。うへまでたづねむとしけるものを」とて、昨夜ありしやう、「頭中将の宿直所にて、すこし人々しき限り、六位まであつまりて、よろづの人の上、昔今と語り言ひしついでに、『なほこの者、むげに絶え果ててこそあらね、もし言ひづる事もやと待てど、いささか何とも思ひたらず、つれなきがいとねたきを、今宵よしともあしとも定めきりてやみなむ。むつかし』とて、みな言ひ合はせたりし事を、『「ただいまは見るまじ」とて入りたまひぬ』とて、主殿寮来しを、また追ひ返して、『ただ袖をとらへて、東西をせさせず乞ひ取り、持て来ずは、文を返し取れ』といましめて、さばかり降る雨のさかりにやりたるに、いととく帰り来たり。『これ』とてさし出でたるが、ありつる文なれば、返してけるかとうち見るに、をめけば、『あやし。いかなる事ぞ』とて、みなよりて見るに、『いみじき盗人かな。なほえこそ捨つまじけれ』と、見さわぎて、『これが本つけてや
らむ。源中将つけよ』など言ふ。夜ふくるまでつけわづらひてなむやみにし。この事はかならず語りつらふべき事なりとなむ定めし」と、いみじくかたはらいたきまで言ひ聞かせて、「御名は、今は草の庵となむつけたる」とて、いそぎ立ちたまひぬれば、「いとわろき名の、末まであらむこそくちをしかるべけれ」と言ふほどに、
◆◆「ああよかった。下の局にいたのでしたね。上の局まで探そうとしていたものを」と言って、昨夜あったことを、「頭中将の宿直所で、少し人並みだというようなものは全部、六位の者まで集まって、いろいろな人のこと、昔、今と話をしたついでに、『やはりこの女(ひと)はすっかり絶交してしまったことではないが、もしかしたら、何か口を切って言いだすこともあるかと思って待つけれど、まったく何とも思っていないで、知らん顔しているのが憎らしいので、今晩良いとも悪いともはっきり定めて、けりを付けてしまおう。うっとうしい感じだ』と言って、皆で相談して手紙を寄こしたのを、『「いまここでは見まい」と言って中にお入りになってしまった』と言って、主殿寮の男が帰って来たのを、又追い返して、『ただもう、袖をつかまえて、有無を言わせずに返事をねがって受け取って帰って来ないのなら、手紙を取り返せ』と注意を与えて、あれほど降る雨のまっさかりに使いにやった所、たいへん早く帰ってきました。『これを』と言って差し出してしるのが、さっきの手紙なので、『返したのだったか』と頭中将が見ると、『おお』と声を上げるので、『妙な、どうしたことか』といって皆が寄って見たところ、『たいへんな曲者だな。やはり無視することはできそうもないよ』と見て大騒ぎして、『これの上の句をつけて送ろう。源中将つけろ』などと言う。夜が明けるまでつけわずらって、結局つけずに終わってしまいました。このことは、必ず語り伝えなくてはならないことだと、皆で定めました」と、とてもいたたまれないほど私に話して聞かせて、「あなたのお名前は、今は『草の庵』とつけてある」と言って、急いでお立ちになってしまったので、「ひどく劣った名前が、末代までのころうというのこそ、残念なことであるはずです」と言っている時に。◆◆



枕草子を読んできて(99)その2

2018年10月28日 | 枕草子を読んできて
八六  頭中将のそぞろなるそら言にて   (99)  その2  2018.10.28

 「あやしく、いつのまに何事のあるぞ」と問はすれば、主殿寮なり。「ただここもとに人づてならで申すべき事なむ」と言へば、さし出でて問ふに、「これ頭中将殿の奉らせたまふ。御返りとく」と言ふに、いみじくにくみたまふを、いかなる御文ならむと思へど、ただいまいそぎ見るべきにあらねば、「いま聞こえむ」とて、ふところに引き入れて、ふと入りぬ。
◆◆たったいま参上したばかりなのに、いつの間に何の用事が出来たのか」と聞かせると、それは主殿寮の男である。「ただ私の方で、人づてではなく直接に申し上げるべきことが…」と言うので、出て行って尋ねると、「これは頭中将殿があなたにお差しあげさせになります。お返事を早く」と言うけれど、ひどくお憎みになっているのに、いったいどうのようなお手紙だろうかと思うけれど、すぐに今急いで見るべきでもないので、「おっつけお返事申し上げましょう」と懐に入れてすっと中に入ってしまった。◆◆



 なほ人の物言ひなど聞くに、すなはち立ち帰りて、「『さらば、そのありつる文を給はりて来』となむ仰せられつる。とくとく」とは言ふにぞ、あやしく「いせの物語」なりやとて、見れば、青き薄様に、真名にいと清げに書きたまへるを、心ときめきしつるさまにもあらざりけり。「蘭省の花の時の錦の帳のもと」と書きて、「末はいかにいかに」とあるを、「いかがはすべから。御所のおはしまさば、御覧ぜさすべきを、これが末知り顔に、たどたどしき真名に書きたらむも見苦し」など思ひまはすほどもなく、責めなどはせば、ただその奥に、炭櫃の、消えたる炭のあるして、「草の庵をたれかたづねむ」と書きつけて取らせつれど、返事も言はず。
◆◆そのまま、やはり人がはなしているのを聞いていると、その主殿寮の男が引き返してきて、「『ご返事がないのなら、その、さっきの手紙を頂戴して来い』とお命じになりました。早く急いで」とは言うので、妙に「いせの物語」(変な話)だと思って、見て見ると、青い薄様の紙に、漢字でたいへん綺麗にお書きになっているのだが、心がときめくような中身ではなかった。「蘭省の花の時の錦の帳のもと」と書いて、「あとの句はどうだどうだ」とあるのを、「いったいどうしたらよいのだろうか。中宮様がいらっしゃったなら、御覧あそばすようにおさせするはずのものを、この句のあとをいかにも知ったふうに、おぼつかない漢字で書いておこうのも見苦しい」など、あれこれ思案するひまもなく、その男が早くと責めたてるので、ただその手紙にの奥の余白に、炭櫃の、消えている炭があるのを使って、「草の庵をたれかたづねむ」と書きつけて渡してしまったけれど、それっきり向うから返事も来ない。◆◆


■「いせの物語」=未詳。急なこと。えせごと。変な話。などか。
■真名(まな、まんな)=仮名に対して漢字をさす。
■「蘭省の花の時の錦の帳のもと」=『白氏文集』)の中の詩句。友は尚書省に奉職して花の候には天子の錦帳の下で栄えているが、自分は廬山の草庵で雨夜も独りわび住いしている。


枕草子を読んできて(99)その1

2018年10月25日 | 枕草子を読んできて
八六  頭中将のそぞろなるそら言にて   (99)  その1  2018.10.25

 頭中将のそぞろなるそら言にて、いみじう言ひおとし、「なにしに人と思ひけむ」など、殿上にてもいみじくなむのたまふと聞くに、はづかしけれど、「まことならばこそあらめ、おのづから聞きなほしたまひてむ」など笑ひてあるに、黒戸の前わたるにも、声などするをりは、袖をふたぎてつゆ見おこせず、いみじうにくみたまふを、とかくも言はず、見も入れで過ぐすに、
◆◆頭中将が、根も葉もないうわさ話で、私をひどく言いけなして、「どうして一人前の人間と思ったのだろう」などと、殿上の間においてもひどく仰ると聞くにつけても、気おくれもするけれど、「うわさが本当ならばそうだろうけれど、いずれ自然にお聞きになって思いなおされるでしょう」などと笑ってそのままにしていると、黒戸の前を頭中将が通るときも、私の声がするときは、袖で顔をふさいで、一顧だにせず、ひどくお憎みになるのを、私はどうこう言わず、そちらの方に目も向けないで過ごすうちに。◆◆

■頭中将=蔵人頭兼近衛中将。藤原斉信(ただのぶ)。996年3月まで頭中将。
■黒戸=清涼殿の北廊にある戸。またその戸のある部屋。ここは後者。



 二月つごもり方のころ、雨いみじう降りてつれづれなるに、御物忌みに籠りて、「さすがにさうざうしくこそあれ。物や言ひにやらまし」となむのたまふ、と人々まて語れど、「世にあらじ」などいらへてあるに、一日しもに暮らしてまゐりたれば、夜のおとどに入らせたまひにけり。長押のしもに火近く取り寄せて、さしつどひて、扁をぞつく。「あなうれし。とくおはせ」など、見つけて言へど、すさまじき心地して、なにしにのぼりつらむとおぼえて、炭櫃のもとにゐたれば、また、そこにあつまりゐて、物など言ふに、「なにがし候ふ」といと花やかに言ふ。
◆◆二月の末のころ、雨がはげしく降って所在ない折に、宮中の物忌みに頭中将が籠って、「清少納言をにくらしいとはいうものの、やはり物足りなくてさびしい気がする。何か物を言いに人をやろうかな」とおっしゃる、と人々がわたしの所にやってきて話すけれど、「まさかそんなことはありますまい」などとあしらってそのままにしてして、一日中下局で過ごして夜になって参上したところが、中宮様はもう御寝所に御入りあそばしてしまったのだった。女房たちは下長押の下の次の間に、灯を近く取り寄せて、みな集まって、扁つきをしている。「まあうれしい。はやくいらっしゃい」などと、私を見つけて言うけれど、中宮様が御寝みあそばしていらっしゃるのに興ざめして、何のために参上したのかと思って、炭櫃のそばに座っていると、またそこに集まってみなで座って、話などしているうちに、「何の某が伺候しております」と、とても華やかに言う声がする。◆◆

■御物忌みに=帝の御物忌みの時は、侍臣は殿上の間に伺候して共に籠る。
■さすがに=清少納言と絶交していると
■扁(へん)をぞつく=漢字の遊び。「扁つき」「扁継ぎ」両説ある。
■なにがし=使いの者が自分の名をこれこれと言ったのを、作者が某と記した。


枕草子を読んできて(98)

2018年10月21日 | 枕草子を読んできて
八五  御仏名ノ朝   (98) 2018.10.21

 御仏名ノ朝、地獄絵の御屏風取りわたして、宮御覧ぜさせたまふ。いみじうゆゆしきこと限りなし。「これ見よかし」と仰せらるれど、「さらには見はべらじ」とて、ゆゆしさにうつ臥しぬ。
◆◆御仏名の日の翌朝、清涼殿から地獄絵の御屏風を上の御局に持って来て、中宮様が御覧あそばす。この絵のひどく気味の悪いことといったらこの上もない。中宮様が「これを是非みなさい」と仰せられますが、「絶対に見ることはすまい」と言って、私は気味の悪さにうつ臥してしまった。◆◆

■御仏名ノ朝(ごぶつみょうのあした)=十二月十九日から三日間三世の諸仏の名号を唱えて罪障消滅を祈る仏事。清涼殿の御帳台中に観音の画像を掛け、廂に地獄変相図を描いた屏風を立てる。終わった次の
朝。


 雨いたく降りて、つれづれなりとて、殿上人、うへの御局に召して、御遊びあり。道方の少納言、琵琶、いとめでたし。済政の君の筝の琴、ゆきより笛、つねまさの中将笛など、いとおもしろし。ひと遊び遊びては、琵琶を弾き乱れ遊ぶほどに、大納言殿の、「琵琶の声やめて、物語する事おそし」といふ事を誦んじたまひしに、隠れ臥したりしも起き出でて、「罪はおそろしけれど、なほ物のめでたさは、えやむまじ」とて笑はる。御声などのすぐれたるにはあらねど、をりのことさらに作り出でたるやうなりしなり。
◆◆その日は雨がひどく降って、手持無沙汰ということで、殿上人を上の御局に召して、管弦の御遊びがある。道方の少納言は琵琶で、とてもすばらしい。済政の君が筝の琴、ゆきよりが笛、つねまさの中将が笛など、音色が晴れやかで明るい。一曲奏してからは、琵琶を乱れ弾きに奏しているころに、大納言殿が、「琵琶の声やめて、物語することおそし」ということを吟誦(ぎんしょう)なさったところ、隠れ臥していた皆もわたしも起き出して、「(地獄絵に目をふさぎ、朗詠に起き出したのでは)仏罰が恐ろしいけれど、やはりこうしたすばらしさには、我慢しきれないだろう」と言ってまわりの者から笑われる。大納言のお声などが秀でているのではないけれど、その時機が、詩句とうまくぴったりにわざわざ作りだしてあるようだったのだ。◆◆

■道方の少納言=左大臣源重信の子。990年少納言。
■済政(なりまさ)の君=大納言源時中の子。蔵人。
■大納言殿=伊周(これちか)。中宮定子の兄。


枕草子を読んできて(95)(96)(97)

2018年10月16日 | 枕草子を読んできて
八二  いとほしげなき事  (95) 2018.10.16

 いとほしげなき事 人によみて取らせたる歌のほめらるる。されど、それはよし。
 遠きありきする人の、つぎつぎ縁たづねて、文得むと言はすれば、知りたる人のがり、なほざりに書きて、やりたるに、なまいたはりなりと腹立ちて、返事も取らせて、無徳に言ひなしたる。
◆◆相手が困っていても気の毒だという様子を感じさせないこと。人に代筆して詠んである歌がほめられるの。でもそれはよい。
 遠い旅をする人が、次々と縁故を探し求めて、旅行先の知人宛の紹介状がほしいと、中に入る人に言わせるので、知人のもとに、いい加減に書いてそのほしいという人に送ったところが、その内容に誠実さが欠けていて失礼だと腹を立てて、使いの者に返事も与えず、役に立たぬもののように言いなしているの。◆◆

■文得む=紹介状。
■無徳=それなりに権威があったり有益であったりするものが、役にたたず無様な様子をあらわしている状態であること。




八三  心地よげなるもの  (96) 2018.10.16

 心地よげなるもの 卯杖のほうし。神楽の人長。池の蓮の村雨にあひたる。御霊会の馬長。また御霊会のふりはた、
◆◆心地よさそうなもの 卯杖の法師。神楽の人長。池の蓮がにわか雨にあっているの。御霊会の引き馬の長(おさ)。また、御霊会の振り幡を、◆◆

■卯杖(うづゑ)のほうし=正月上の卯の日に諸衛府から禁中に奉る、邪気払いの杖。「ほうし」は不審。
■人長(にんじょう)=指揮者。近衛舎人が当たる。
■御霊会(ごりょうえ)=祇園牛頭天王の御霊祭。




八四  取り持たる者   (97)  2018.10.16

 取り持たる者。くぐつのこととり。除目に第一の国得たる人。
◆◆手に取り持っている者。くぐつの座頭。除目に第一等のよい国の守になった人。これらは気持ちよさそうだ。◆◆


枕草子を読んできて(94)

2018年10月12日 | 枕草子を読んできて
八一  あぢきなきもの  (94) 2018.10.12

 あぢきなきもの わざと思ひ立ちて、 宮使へに出でたる人の、物憂がりて、うるさげに思ひたる。人にも言はれ、むつかしき事もあれば、「いかでかまかでなむ」といふ言ぐさをして、出でて、親をうらめしければ、「またまゐりなむ」と言ふよ。とり子の顔にくさげなる。しぶしぶに思ひたる人を、しのびて婿に取りて、思ふさまならずと嘆く人。
◆◆無意味でつまらないもの わざわざ思い立って、宮使へに出ている人が、その宮仕えを面白くなく面倒そうに思っているの。人にも何かと言われ、やっかいなこともあるので、「どうかして下がってしまおう」ということを口癖にして、里へ出て(みると)、親が何かと煩く言うのがうらめしく、「もう一度参上してしまおう」と言うことよ。養子の顔が憎らしげなの。婿になるのを気が進まなく思っている男を、ひそかに婿として迎えて、あとで思うようでないと溜息をつく人。◆◆


■あぢきなきもの=筋道に沿ってなくて無益だ、無意味でつまらない、どうしようもない、などの意。
■むつかしきこと=やっかいな。煩わしい。
■親をうらめしければ=里に下がってみると、辛抱が不足だとか、何のかのと小言を言う親が今度はうらめしくなるのであろう。「親を」の「を」は疑わしい。
■とり子=養子。
■しぶしぶに思ひたる人=婿になることに気が進まない男。一説、娘がそれを婿とすることに気乗りのしない男。



枕草子を読んできて(93)

2018年10月09日 | 枕草子を読んできて
八〇 職の御曹司におはしますころ、 木立など  (93) 2018.10.9

 職の御曹司におはしますころ、 木立などはるかに物ふり、屋のさまも、高うけうとけれど、すずろにをかしうおぼゆ。母屋は鬼ありとて、みなへだて出だして、南の廂に御几帳立てて、又廂に女房は候ふ。近衛の御門より左衛門の陣に入りたまふ上達部のさきども、殿上人のは短ければ、大さき、小さきとつけて、聞きなれてあまたたびになれば、その声どももみな聞き知られて、「それかれぞ」とも言ふに、また「あらず」など言へば、人して見せなどするに、言ひ当てたるは「さればこそ」など言ふも、をかし。
◆◆識の御曹司に中宮様がおわしますころ(長徳三年997年の晩夏のことか)、庭の木立ちなど奥深く古色をおびて茂り、建物の様子も高くて何となく親しみが持てない感じだけれど、どういうわけか無性に面白く感じられる。母屋は、鬼がいるというので、みな、そちらを仕切って外側へ建て増しして、南の廂の間に中宮様の御几帳を立てて御座所とし、又廂の間に女房は伺候している。参内のため近衛の御門から左衛門の陣にお入りになる上達部の御前駆たちの警蹕の声、それにくらべて殿上人のそれは、短いので、大前駆、小前駆、とそれぞれ名前をつけて、聞きなれて度重なるので、その声々も自然みな聞き分けられたので、「それはだれだれ、あれはだれそれよ」とも言うのに、また、他の女房が「そうではない」などと言うので、人をやって見させなどすると、言い当てた者は「それだからこそ言ったのよ」などと言うのも、おもしろい。◆◆

■又廂=孫廂



 有明のいみじう霧りたる庭などにおりてありくを聞しめして、御前にも起きさせたまへり。うへなる人は、みなおりなどして遊ぶに、やうやう明けもて行く。「左衛門の陣まかりて見む」とて行けば、われもわれもと追ひつぎて行くに、殿上人あまたして、「なにがし一声秋」と誦んじて入る音すれば、逃げ入りて、物など言ふ声。「月見たまひける」などまでたまふもあり。夜も昼も殿上人の絶ゆるよなし。上達部まかでまゐりたまふに、おぼろげにいそぐ事なきは、かならずまゐりたまふ。
◆◆有明のころのたいへん霧が立ち込めている庭などに降りて女房たちが歩き回るのをお聞きあそばされて、中宮様におかれましてもお起きあそばしていらっしゃる。当番で御前に詰めている女房たちは、みな庭におりなどして遊ぶうちに、次第に明けはなれてゆく。「左衛門の陣を、行って見物しよう」と言って行くと、われもわれもと跡を追って続いて行く時に、殿上人が大勢で、「なになに一声の秋」と詩を吟じてこちらへ入って来る音がするので、御曹司の内に逃げ込んで、その殿上人たちと女房たちが物などを言う声が聞こえる。「月を見ていらっしゃったのですね」などと感心なさる殿上人もある。夜も昼も、殿上人の訪れの絶える時がない。上達部も退下したり参内したりなさる時に、特別の事がなく急ぐことがない方は、かならずこちらの職に参上なさる。◆◆

■有明=空に月があるまま夜の明ける頃。陰暦十六日以降の月の頃。