永子の窓

趣味の世界

枕草子を読んできて(126)その1

2019年11月11日 | 枕草子を読んできて
113 方弘は、いみじく(126)その1  2019.11.11

 方弘は、いみじく人に笑はるる者。親いかに聞くらむ。供にありく者ども、いと人々しきを呼び寄せて、「何しにかかる者には使はるるぞ。いかがおぼゆる」など笑ふ。物いとよくするあたりにて、下襲の色、うへの衣なども、人よりはよくて着たるを、「これをこと人に聞かせばや」など、げにぞことばづかひなどのあやしき。◆◆方弘は、ひどく人に笑われる者だ。いったい親はどう聞いているのだろう。供として歩いている者たち、その中のひとかどの者を呼び寄せて、「どうしてこんな者に使われているのか。どう思うのか」などと笑う。方弘の家衣服などの調製をとても上手にするところで、下襲の色、袍なども、人よりは立派に着ているのを、「これを他の人に聞かせたいものだ」などと、なるほど言葉遣いなどが変だ。【こんなに立派な装いをしているのを、他の人に見せたいものだ。というところを聞かせたいと言っている】

■方弘(まさひろ)=蔵人。家は染織・衣服の調製などをしていた。
■人々しき(ひとびとしき)=ひとかどの人間らしい者。


里に宿直物取りにやるに、「をのこ二人まかれ」と言ふに、「一人しても取りてまうで来なむを」と言ふに、「あやしのをのこや。一人して二つのものをばいかで持つべきぞ。一ますがめに二ますは入るや」と言ふを、なでふ事と知る人はなけれど、いみじう笑ふ。
◆◆自宅に宮中での宿直の装束を取りに従者を遣わすのに、「お前たち二人で行け」と言うので、「一人でも取ってきてしまいましょうのに」というと、「変なことを言う男だな。一人での物をどうして持てるのか。一升瓶に、二升は入るか」というのを、いったい何を言っているのかわかる人は人はいないけれど、ひどく笑う。◆◆


 人の、使ひにて、「御返事とく」と言ふを、「あなにくのをのこや。竈に豆やくべたる。この殿上の墨筆は、何者の盗み隠したるぞ。飯、酒ならば、ほしうして人の盗まめ」と言ふを、また笑ふ。
◆◆人が使いとしてきて、「お返事を早く」というのを、「ああ、にくらしい男だな。竈に豆をくべているのか。この殿上の間の墨や筆は、いったい何者が盗んで隠しているのか。飯や酒ならは、人が欲しくて盗むだろうが」というのを、また笑う【殿上で見つからないので言っているが、それも例えが変】◆◆



枕草子を読んできて(124)(125)

2019年11月09日 | 枕草子を読んできて
111  はるかなるもの (124) 2019.11.9

 はるかなるもの 千日の精進はじむる日。半臀の緒ひねりはじむる日。陸奥国へ行く人の、逢坂の関超ゆるほど。生まれたるちごの大人になるほど。大般若経、御誦経一人してよみはじむる日。十二年の山籠もりの、はじめてのぼる日。
◆◆はる先の遠いもの 御嶽詣でのために千日間精進潔斎をはじめる日。半臀の緒(はんぴのお)袍と下襲との間に着る、袖のない衣

■はるかなるもの=先の遠いもの。




112 物のあはれ知らせ顔のるもの(125) 2019.11.9


 物のあはれ知らせ顔のるもの 鼻垂り、間もなくかみつつ物言ひたる声。眉ぬくをりのまみ。
◆◆何かにつけてのしみじみとした気持ちを知らせ顔であるもの 鼻が垂れて、ひっきりなしに鼻をいみながら物を言っている声。眉毛を抜くときの目つき。◆◆



枕草子を読んできて(123)

2019年09月21日 | 枕草子を読んできて
110  二月つごもり、風いたく吹きて(123) 2019.9.21

 二月つごもり、風いたく吹きて、空いみじく黒きに、雪すこしうち散るほど、黒戸に主殿寮来て、「かうして候ふ」と言へば、寄りたるに、「公任の君、宰相の中将殿」とあるを見れば、懐紙、ただ、
すこし春ある心地こそすれ
とあるは、げに今日のけしきに、いとようあひたるを、これが本はいかがつくべからむと思ひわづらひぬ。「たれたれか」と問へば、「それそれ」と言ふに、みなはづかしき中に、宰相中将の御いらへをば、いかが事なしびに言ひ出でむと心ひとつに苦しきを、御前に御覧ぜさせむとすれども、うへもおはしまして、御とのごもりたり。
◆◆二月の末、風がひどく吹いて、空が真っ黒で、雪が少しちらつくころ、黒戸に主殿寮(とのもりづかさ)の男が来て、「こうしてお伺いしております」と言うので、私が近寄ると「公任の君、宰相の中将殿のお手紙」ということで持ってきているのを見ると、懐紙に、ただ、
 「少し春があるような気がする」
と書いてあるのは、なるほど今日の空模様に、とてもうまく合っているのを、この上の句はどう付けたら良いだろうと思案にくれてしまう。「どなたたちか」と同席の方をたずねると、「これこれの方々」と言うのに、みな恥ずかしいほど立派な方々の中で、宰相の中将への御応答は、どうしていい加減に言い出せようかと、自分の心ひとつで苦しいので、中宮様の御前にご覧に入れようとするけれども、主上もおいであそばして、御寝あそばしていらっしゃる。◆◆

■「かうして候ふ」=現代の「ごめんください」という挨拶にあたる。
■「公任の君、宰相の中将殿」=「公任の宰相殿の」に従う。


 主殿寮は、「とくとく」と言ふ。げにおそくさへあらむは、取り所なければ、「さはれ」とて、
  空寒み花にまがへて散る雪に
と、わななくわななく書きて取らせて、いかが見たまふらむと思ふにわびし。これが事を聞かばやと思ふに、そしられたらば聞かじとおぼゆるを、「俊賢の中将など、『なほ内侍に申してなさむ』と定めたまひし」とばかりぞ、右兵衛佐中将にておはせし、語りたまひし。
◆◆主殿寮の男は、「早く、早く」と言う。いかにもこれ以上遅くあっては、取り柄がないので、「まあ、それでは」というわけで、
 「空が寒いので花に見まぐばかりに散る雪に」
と、震え震え書いて渡して、どうご覧になっておいでかと思うと、心細い。これの評判を聞きたいと思うのに、
そうでなかったなら聞きたくないという感じになるのを、「俊賢(としかた)の中将などが、『やはり内侍にと任命をお願い申し上げて、内侍にしよう』と評定なさったよ」とだけ、右兵衛の佐の、そのころ中将でおいでになった方が、お話になった。◆◆

■俊賢(としかた)の中将=源俊賢。西宮の左大臣源高明の三男。長保六年(1004)正月権中納言。のち権大納言に至る。長保三年(1001)八月から右近中将を兼ねているが、この当時の呼称としては疑わしい。



枕草子を読んできて(122)

2019年09月09日 | 枕草子を読んできて
109   殿上より (122) 2019.9.9

 殿上より、梅の花の散りたるに、その詩を誦して、黒戸に殿上人いとおほくゐたるを、うへの御前きかせおはしまして、「よろしき歌などよみたらむよりも、かかる事はまさりたりかし。よういらへたり」と仰せらる。
◆◆殿上の間から、梅の花が散っているのに、(以下脱文があるか?)その詩を誦んじて、黒戸に殿上人がとてもたくさん座っているのを、主上がお聞きあそばしていらっしゃって、「並み一通りの歌などを詠んでいようのよりも、こういうことはずっと優れていることだね。うまく応答したことだ」と仰せになる。◆◆
   
■その詩=「その詩」は何を指すか分からない。

■黒戸=清涼殿の北の廊にある戸。ここはその戸のある部屋。


枕草子を読んできて(121)その6

2019年08月06日 | 枕草子を読んできて
一〇八  淑景舎、東宮にまゐりたまふほどの事など (121)その6  2019.8.6

 羊の時ばかりに、「筵道まゐる」といふほどもなく、うちそよめき入らせたまへば、宮もこなたに寄らせたまひぬ。やがて御帳に入らせたまひぬれば、女房南面にそよめき出でぬ。廊、馬道に殿上人いとおほかり。殿の御前に宮司召して、くだ物、さかな召さす。「人々酔はせ」など仰せらる。まことにみな酔ひて、女房と物言ひかはすほど、かたみにをかしと思ひたり。
◆◆午後二時ごろ、「筵道をお敷き申し上げる」と声がすると間もなく、主上がお召し物の衣ずれの音をおさせになってお入りあそばされたので、中宮様もこちらの母屋のほうにお移りあそばされた。そのままお二人が御帳台にお入りあそばされたので、女房は南の廂に衣ずれの音をさせて出た。郎や馬道に、殿上人がたくさんいる。殿の御前に、職の役人をお呼び寄せになって、果物や酒の肴を取り寄せなさる。みなほんとうに酔って、南の廂の女房と話を交わすころは、お互いにおもしろいという気分になっている。◆◆

■羊(ひつじ)の時=午後2時頃。
■筵道(えんどう)まゐる=主上がおいでになるために筵道(貴人の通行の時、道に敷く薄縁様のもの)の支度をする。


 日の入るほどに起きさせたまひて、山の井の大納言召し入れて、御袿まゐらせたまひて、帰らせたまふに、殿ノ大納言、三位中将、内蔵頭などみな候ひたまふ。
◆◆日がはいるころに主上がお起きあそばされて、山の井の大納言(藤原道頼=中宮の異腹の兄)をお呼び入れになさって、お召し替えに奉仕おさせになって、お帰りあそばされるので、殿の大納言、山の井の大納言、三位の中将、内蔵の頭などみなお供申しあげなさる。◆◆


 宮のぼらせたまふべき御使ひにて、馬の内侍のすけまゐりたまへり。「今宵はえ」などしぶらせたまふを、殿聞かせたまひて、「いとあるまじき事。はやのぼらせたまへ」と申させたまふに、また、東宮の御使ひしきりにあるほど、いとさわがし。御むかへに、女房、春宮のなどもまゐりて、「とく」とそそのかしきこゆ。「まづ、さは、かの君わたしきこえたまひて」とのたまはすれば、「さりともいかでか」とあるを、「なほ見送りきこえむ」などのたまはするほど、いとをかしう、めでたし。「さらば遠きを先に」とて、まづ淑景舎わたりたまひて、殿など帰らせたまひてぞのぼらせたまふ。道のほども、殿の御さるがう言に、いみじく笑ひて、ほとほとうち橋よりも落ちぬべし。
◆◆中宮様が今夜清涼殿におのぼりあさばされるようにとの主上の御使いとして、馬の内侍のすけが参上していらっしゃる。「今晩はとても」などとお渋りあそばすのを、殿がお聞きなさって、「それはよくない事だ、早く御のぼりなさいませ」と、申し上げなさっていると、また、東宮の御使いがしきりにあって、その間たいそう騒がしい。に、主上付きの女房、春宮方の女房なども参上して、「早く」とおのぼりをお勧め申し上げる。「先に、それでは、あの淑景舎の君をあちらへ、お行かせなさってそれから」と殿に中宮様が仰せあそばすと、「それでもどうして私が先には」と淑景舎のお言葉があるのを、「やはりあなたをお見送り申し上げましょう」などと中宮様が仰せあそばす折のその場の様子など、とてもおもしろく、素晴らしい。「それならば遠いお方を先に」ということで、初めに淑景舎がそちらへお越しになって、殿などがそのお供から中宮様のもとにお戻りあそばされてから、中宮様はおのぼりあそばされる。そのお供の道中も、殿のおどけたご冗談に、女房たちなどはひどく笑って、ほとんどうち橋からも落ちてしまいそうである。◆◆

■「今宵はえ」=「え」は、「えまゐらじ」の略。

*8月末までお休みします。


枕草子を読んできて(121)その5

2019年07月24日 | 枕草子を読んできて
一〇八  淑景舎、東宮にまゐりたまふほどの事など (121)その5  2019.7.24

 しばしありて、式部丞なにがしとかや、御使ひまゐりたれば、おものやりとの北に寄りたる間に、御褥さし出でて、御返りは、今日はとく出ださせたまひつ。まだ褥も取り入れぬほどに、春宮の御使ひに、周頼の少将まゐりたり。御文取り入れて、殿、うへ、宮など御覧じわたす。「御返りはや」などあれど、とみにも聞こえたまはぬを、「なにがしが見はべれば、書きたまはぬなンめり。さらぬをりは間もなく、これよりぞ聞こえたまふなる」など申したまへば、御面はすこし赤みながら、すこしうちほほゑみたまへる、いとめでたし。「とく」など、いへも聞こえたまへば、奥ざまに向きて書かせたまふ。
◆◆しばらくして、式部丞なにがしという者が、主上の御使いに参上したので、配膳室の北に寄っている間に、御敷物を差し出して、中宮様からのご返事は、今日はちゃんと早くお出しあそばされた。まだその敷物を中に取り入れないうちに、東宮から淑景舎への御使いとして、周頼(ちかより)の少将が参上している。東宮のお手紙を中に取り入れて、あちらの渡殿はせまい縁なのでこちらの縁に敷物を差し出している。お手紙を中に取り入れて、殿、北の方、中宮様などご回覧あそばす。殿から、「ご返事を早く」などとお言葉があるけれど、淑景舎は急にもご返事申しあげなさらないのを、殿が、「わたしが見ておりますので、お書きにならないのでしょう。そうでない折にはひっきりなしに、こちらからお手紙をお差し上げになるということですね」などと申し上げなさると、御顔は少し赤くなりながら、少しはにかみの笑みをうかべていらっしゃるのは、とても素晴らしい。「早く」などと、北の方も申しあげなさるので、奥の方に向いてお書きあそばされる。◆◆

■周頼(ちかより)=右近少将藤原周頼(ちかより)。伊周たちの異腹の弟。道隆の六男。


 うへ近く寄りたまひて、もろともに書かせたてまつりたまへば、いとどつつましげなり。宮の御方より、萌黄の織物の小袿、袴押し出だされたれば、三位中将かづけたまふ。苦しげに思ひて立ちぬ。松君のをかしう物のたまふを、たれもたれもうつくしがり聞こえたまふ。「宮の御子たちとて引き出でたらむに、わろくは侍らじかし」などのたまはするを、「げに、などか今までさる事の」とぞ心もとなき。
◆◆北の方が傍にお寄りになって、ご一緒にお書かせ申し上げなさるので、いよいよお恥ずかしそうである。中宮様の御方より、萌黄の織物の小袿、袴をお使いの禄として、縁の方に押し出されているので、三位の中将がお使いの者の方にお掛けになる。お使いの者は重くて苦しそうに思って立って行った。松君が何やらおもしろく仰るのを、誰もかれもおかいわがり申し上げなさる。殿が「中宮様の御子たちだといって人前に引き出したところで、劣ることはございますまいよ」などと仰せあそばすのを、「本当に、どうして中宮様には、そうしたことが(ご出産)おありにならないのか」と私は心もとない気がする。◆◆

■三位中将かづけたまふ=隆家が使者周頼の肩に載せる。「かづく」は、禄の衣装をもらうときの作法。

■さる事の=「さる事のなき」の略。「さる事」は、お子をお持ちになること。

■心もとなき=かくありたいという願望にたいして現状が不備である場合の、不安な、じれったい気持ちを表す語。



枕草子を読んできて(121)その4

2019年07月04日 | 枕草子を読んできて
一〇八  淑景舎、東宮にまゐりたまふほどの事など (121)その4  2019.7.4

おもののをりになりて、御髪あけまゐりて、蔵人ども、まかなひの髪あげて、まゐらすほどに、へだてたりつる屏風も押しあけつれば、かいま見の人、隠れ蓑取られたる心して、あかずわびしければ、御簾と几帳との中にて、柱のもとよりぞ見たてまつる。衣の裾、裳など、唐衣はみな御簾の外に押し出されたれば、殿の端の方よりご覧じ出だして、「誰そや。霞の間より見ゆるは」ととがめさせたまふに、「少納言が物ゆかしがりて侍るならむ」と申させたまへば、「あなはづかし。かれは古き得意を。いとにくげなるむすめども持ちたりともこそ見はべれ」などのたまふ御けしき、いとしたり顔なり。
◆◆朝のお食事時になって、御髪あげの女官が参上して、女蔵人(にょくろうど)たちや陪膳(はいぜん)の女房の髪を結いあげて、中宮様にお食事を差し上げるころに、今まで隔ててあった屏風も押しあけてしまったので、のぞき見の人であった私は、隠れ蓑を取られている気持ちがして、残念でつらい感じがするので、御簾と几帳との間で、柱のもとからお見申し上げる。わたしの着物の裾や裳など、唐衣はみな御簾の外に押し出されているので、殿(道隆)が端の方からお見つけ出しあそばして、「誰だ。霞の間から見えるのは」とおとがめあそばされるので、「少納言がなにかと拝見したがって控えているのでしょう」と中宮様が申しあげあそばすと、「ああ恥ずかしいこと。あの人は古いなじみだよ。困ったことに、ひどくにくらしく見える娘たちを持っているときっとみますよ」などとおっしゃるご様子は、たいへん得意そうである。◆◆

■かいま見の人=隙見をしている作者自身。
■かれは古き得意を=古い知り合い。「を」は感動。


 あなたにもおものまゐる。「うらやましく、かたつかたのは、まゐりぬ。とく聞しめして、翁、おんなに、おろしをだに給へ」など、ただ日一日、さるがう言をしたまふほどに、大納言殿、三位中将、松君もゐてまゐりたまへり。殿いつしかと抱き取りたまひて、膝にすゑたまへる、いとうつくし。せばき縁に、所せき昼の御装束の下襲など引き散らされたり。大納言殿は物々しう清げに、中将殿はいとらうらうじく、いづれもみでたきを見たてまつるに、殿をばさる物にて、うへの御宿世こそめでたけれ。「御円座」など聞こえたまへど、「陣に着きはべらむ」とて、いそぎ立ちたまひぬ。
◆◆あちらの淑景舎の方にもお食事を差し上げる。「うらやましいことに、片一方のお食事は、差し上げ終わった。早く召し上がって、じじばばにせめておさがりなりとください」など、ただ一日中、滑稽な冗談を言っておいでになるうちに、大納言様(伊周)と三位の中将(隆家)が、松君(伊周の長男道雅の幼名)も連れて参上していらっしゃる。殿は待ち遠し気に松君をお抱き取りになって、膝の上にお座らせになっていらっしゃる、その松君の様子は、とても可愛らしい。狭い縁に仰山な正式の御衣装の下襲などが無造作に引き散らされている。大納言様はどっしりとして、たいへん美しいご様子で、中将様はたいへん巧者な感じで、どちらもすばらしいのをお見申し上げるにつけて、殿はもちろんのこととして、北の方の御宿世のほどこそ素晴らしい。「御円座(わろうだ)を」などと殿がおすすめ申しあげなさるけれど、「陣の座にまいりますから」と言って大納言様は急いで座を立っておしまいになった。◆◆

■かたつかたのは=不審。父母にたいして娘たちをさすか。三巻本「方々のみな」とある。
■おんなに=老女。ふざけて言う。
■さるがう言=冗談。
■陣(じん)=公卿が参集し公事を議する所。
■松君=伊周の長男道雅の幼名。
■藤原兼家⇒(兼家の長男)道隆⇒(道隆の次男)伊周(これちか)、(道隆の三男)高家。中宮定子は道隆の長女。


枕草子を読んできて(121)その3

2019年06月10日 | 枕草子を読んできて
一〇八  淑景舎、東宮にまゐりたまふほどの事など (121)その3  2019.6.10
  
 殿、薄色の御直衣、萌黄の織物の御指貫、紅の御衣ども、御紐さして、廂の柱にうしろをあてて、こなたざまに向きておはします。めでたき御ありさまどもをうちゑみて、例のたはぶれ言どもをせさせたまふ。淑景舎の、絵にかきたるやうにうつくしげにてゐさせたまへるに、宮はいとやすらかに、いますこし大人びさせたまへる御けしきの、紅の御衣ににほひ合はせたまひて、なほたぐひはいかがでかと見えさせたまふ。
◆◆殿は、薄い紫色の御直衣、萌黄の織物の御指貫、下に紅の御内着を何枚か召され、直衣の御紐をきちんとしめて、廂の間の柱に背を当てて、こちらの方を向いておいでになる。中宮様と淑景舎の女御とのすばらしいご様子をにこにこして、いつものように冗談を仰っていらっしゃる。淑景舎が、絵に描いてあるようにかわいらしげなご様子でお座りあそばしていらっしゃるのに対して、中宮様はたいへん落ち着いて、もうすこし大人びておいであそばされるお顔のご様子が、紅のお召し物にうつくしく映え合っていらっしゃって、やはり匹敵するお方はどうしてあろうかと素晴らしくお見えあそばされる。◆◆

■紅の御衣ども(くれないのおんぞども)=紅色の内衣。直衣の下に着る。
■御紐さして=直衣の襟の紐をさし入れて入れ紐にした状態。寛いだ時は外しておく。ここは敬意を表わしたもの。


 御手水まゐる。かの御方は、宣耀殿、貞観殿を通りて、童二人、下仕へ四人して持てまゐるめり。唐廂のこなたの廊にぞ、女房六人ばかり候ふ。せばしとて、かたへは御送りして、みな帰りにけり。桜の汗衫、萌黄、紅梅などいみじく、汗衫長く尻引きて、取り次ぎまゐらす、いとなまめかし。織物の唐衣どもこぼれ出でて、相尹の馬頭のすむめ少将の君、北野の三位のむすめ宰相の君などぞ近くはある。あなをかしと見るほどに、この御方の御手水、番の采女、青裾濃の裳、唐衣、裙帯、領巾などして、面などいと白くて、下仕へなど取り次ぎて、まゐるほど、これはたおほやけしく、唐めいてをかし。
◆◆朝の御手水を差し上げる。あちらの淑景舎の御方のは、御手水は宣耀殿、貞観殿をとおって、童二人、下仕へ四人で持って参上するようだ。女房六人ほどが伺候している。廊が狭いということなので、半分は淑景舎をお送り申し上げて、皆帰ってしまったのだった。童女の桜の汗衫やその下に着た萌黄色、紅梅色などの着物が素晴らしく、汗衫の裾を後ろに長く引いて、御手水を取り次いで差し上げるのが、大層優美だ。織物の唐衣がいくつか、御簾からこぼれ出ていて、相尹(すけまさ)の馬の頭の娘である少将の君、北野の三位の娘である宰相の君などが廊近くにいる。「ああおもしろいこと」とみているうちに、こちらの中宮様の御方の御手水は、番に当たっている采女が青裾濃の裳、唐衣、裙帯、領巾などを着けて、顔などを真っ白に塗って、下仕えなどが取り次いで、差し上げるときの様子、これはまたさすがに公事らしく、唐風でおもしろい。◆◆

*写真は女童(めわらわ)の汗衫(かざみ)姿。

枕草子を読んできて(121)その2

2019年05月24日 | 枕草子を読んできて
一〇八  淑景舎、東宮にまゐりたまふほどの事など (121)その2 2019.5.24

 さてゐざり出でさせたまひぬれば、やがて御屏風に添ひつきてのぞくを、「あしかンめり。うしろめたきわざ」と聞こえごつ人もあり。いとをかし。御障子のいとひろうあきたれば、いとよく見ゆ。うへは白き御衣ども、紅の張りたる二つばかり、女房の裳なンめり、引きかけて、奥に寄りて、東向きにおはすれば、ただ御衣などぞ見ゆる。淑景舎は北に少し寄りて、南向きにおはす。
◆◆さて、中宮様が御席へと膝行してお出ましあそばされてしまったので、私はそのまま御屏風にぴったり寄り添って覗くのを、「悪いでしょう。気がかりなやりようだこと」と中宮様にお耳に入るように言う女房もいる。たいへんに面白い。御襖障子がとても広く開いているのでよく見える。殿の北の方は白いお召し物を何枚か、紅の張った衣を二枚ばかりお召しで、(それは)女房の裳なのだろう、その裳をひきかけて、奥の方に寄って、東向きに座っておいでなので、ただお召し物などが見える。淑景舎は北に少し寄って、南向きにおいでになる。◆◆

■女房の裳なンめり=中宮の前なので臣下である北の方は女房の裳を着けたのであろう。


 紅梅ども、あまた濃く薄くて、濃き綾の御衣、すこし赤き蘇芳の織物の袿、萌黄の固紋の、わかやかなる御衣奉りて、扇をつとさし隠したまへる、いといみじく、げにめでたくうつくしと見えたまふ。
◆◆紅梅の内着を、たくさん濃いの薄いのを重ねて、それに濃い綾の単衣のお召し物、少し赤い蘇芳の織物の袿、萌黄の固紋の、若々しい御表着をお召しになって、扇をじっとお顔にさし隠していらっしゃるご様子は、とても素晴らしく、なるほど本当にご立派でおかわいらしいとお見えになる。◆◆


枕草子を読んできて(121)その1

2019年05月16日 | 枕草子を読んできて
一〇八  淑景舎、東宮にまゐりたまふほどの事など (121)その1  2019.5.16

 淑景舎、東宮にまゐりたまふほどの事など、いかがは、めでたからぬことなし。正月十日まゐりたまひて、宮の御方に、御文などはしげう通へど、御対面などはなきを、二月十日、宮の御方にわたりたまふべき御消息あれば、常よりも御しつらひ心ことにみがきつくろひ、女房なども、みな用意したり。夜中ばかりにわたらせたまひしかば、いくばくもなくて明けぬ。登華殿の東の二間に、御しつらひはしたり。
◆◆淑景舎が東宮の妃として入内なさるころのことなど、どうして、素晴らしくないことは何一つない。正月十日に(小右記では十九日)参上なさって、中宮様の御方に、お手紙などは頻繁に通うけれども、ご対面などはないのを、二月十日、中宮様の御方にお出でになるはずのご案内があるので、いつもよりもお部屋の飾りつけを特に心を入れて磨きをかけ、立派に整え、女房などもみな緊張して心構えをしている。夜中のころお越しあそばされたので、いくらの時もたたないうちに夜が明けてしまった。登華殿(とうかでん)の東の廂の二間に、お迎えするお飾り着けはしてある。◆◆

■淑景舎(しげいしゃ)=中宮の妹、原子。長徳元年(995)一月東宮(後の三条帝)に入内。
■東の二間=東の廂の、二つの柱間を仕切って一室にしたもの・



 つとめて、いととく御格子まゐりわたして、暁に、殿、うへ、一つ御車にてまゐりたまひにけり。宮は、御曹司の南に、四尺の屏風、西東にへだてて、北向きに立てて、御畳、御褥うち置きて、御火桶ばかりまゐりたり。御屏風の南、御帳の前に、女房いとおほく候ふ。
◆◆翌朝、とても早く御格子をお上げ申し上げて、夜明け前のまだ暗いころに、関白道隆(中宮、淑景舎の父)、奥方様(道隆の妻貴子)が、一つの御車にて参上なさったのであった。中宮様は、御部屋の南に、四尺の屏風を
西から東に隔てとして、北を正面に向けて立てて、そこに御畳や、御敷物を置いて、御火鉢くらいをお入れ申し上げている。御屏風の南や、御帳台の前に、女房がとても大勢伺候している。◆◆



 こなたにて御髪などまゐるほど、「淑景舎は見たてまつりしや」と問はせたまへば、「まだいかでか。積善寺供養の日、ただ御うしろをはつかに」と聞こゆれば、「その柱と屏風とのもとに寄りて、わがうしろより見よ。いとうつくしき君ぞ」とのたまはすれど、うれしく、ゆかしさまさりて、いつしかと思ふ。紅梅の固紋、浮紋の御すそどもに、紅の打ちたる御衣三つぞ、ただ上にひき重ねて奉りたるも、「紅梅には濃き衣こそをかしけれ。今は、紅梅、着でもありぬべし。されど萌黄などのにくければ、紅には似はぬなり」とのたまはせれど、ただいまめでたく見えさせたまふ。奉りたる御衣に、やがて御かたちのにほひ合はせたまふぞ、なほことよき人もかくやおはしますらむとぞゆかしき。
◆◆こちらで中宮様の御髪などをお手入れ申しているとき、「淑景舎はお見申しあげていたか」とお尋ねあそばされますので、「まだどうしてお見申しあげましょう。積善寺供養の日に、ただ御後ろ姿をちらっと」と申し上げますと、「その柱と屏風とのそばに寄って、私の後ろから見なさい。とても可愛い方よ」と仰せあそばすので、うれしく、お見申しあげたさがつのって、早くその時がこないかなと思う。中宮様は紅梅の固紋、浮紋のお召し物の御裾に、紅の御打ち衣三枚を、ただ上にひき重ねてお召しになっていらっしゃるのも、「紅梅には濃い紅の打ち衣こそおもしろい。今は、紅梅を着ないでいるほうがきっとよいであろう。だけれど萌黄などが好きではないから、萌黄は紅には合わないのだよ」と仰せあそばすけれど、今の今、素晴らしくお見えあそばされる。お召しになっている御衣装に、そのままお顔のつやつやとしたお美しさが映え合っていらっしゃるのは、やはりもう一人の素晴らしい御方もこのようでいらっしゃるのだろうと、お見申し上げたい気持ちになる。◆◆

■御髪(みぐし)などまゐる=貴い方に御整髪をしてさしあげるの意。

■積善寺(しゃくぜんじ)供養の日=この前年の正暦五年(994)二月二十日道隆の主催で行われた。

■紅梅の固紋=紅梅の織色か。縦糸紫、横糸紅という。一説、襲の色目。表紅、裏紫。それを固くしめて織ったもの。

■浮紋=糸を浮かせて紋様を織り出したもの。

■紅の打ちたる御衣(おんぞ)=紅の綾を砧(きぬた)で打って艶を出したもの。
*この文のままでは紅梅の衣の上に紅の打ち衣三枚を着たと解いされるが、打ち衣は表着(うわぎ=ここでは紅梅の衣)の下に着るのが普通だとすれば、不審。ただ打ち衣は表着に用いたようにも見える。

■今は、紅梅、着でもありぬべし。……=紅梅は十一月から二月までの着用なので、二月十日の今は珍しげがないから着なくてもいいはずだとするのが通説だが、萌黄云々と考え合わせると、この年齢(中宮十九歳)ではもう着ないほうがよい、の意とする説に従うべきか。