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映画『ブエノスアイレス』の撮影監督クリストファー・ドイルの制作日記。
アルゼンチンでのロケ前のプリプロダクション段階から4ヶ月間に及んだ撮影を経てカンヌ映画祭前の編集過程までが書かれている。
日記と云ってもどの項にも日付けはなく、どちらかと云えば素の感情や感覚を主に書き留めたような散文的な文章で、ドイル自身の撮影による写真集も兼ねていて、具体的な“撮影日記”のような内容が期待出来るような本ではない。あえてそういうメイキング本のような描写を排除して作品の空気を守ろうとしたような形跡も見受けられる。
ただそれでもところどころに登場する専門用語(訳注付き)を含む映画に詳しくない人間にとってはおそらく意味不明であろうと思われる記述は、ぐり自身が映画の仕事に関わるようになった今再読してみて改めて当時の撮影状況の特異さをひしひしと伺わせる。そりゃスタッフも逃げるだろうし、張國榮(レスリー・チャン)だって怒るだろうさ。
それだけにこの作品に賭けた出演者やスタッフの思いの深さ、熱さがより強く感じられる本です。
ところでこの本に使用されている写真は全てドイルが撮影の合間に撮ったものだが、映画『ブエノスアイレス』にはれっきとしたスチールカメラマンがいた。王家衛(ウォン・カーウァイ)組常連で最近は人気のファッションフォトグラファーでありグラフィックデザイン集団Shya-la-laの代表でも知られるウィン・シャ氏である。
不思議なのはこのウィン・シャが撮ったスチール写真とドイルの写真とのトーンにほとんど差異が見られないこと。パンフレットやポストカードなどグッズの中には両者の写真が混在して使用されている場合もあるのだが、当然キャプションもついてないしハッキリ云ってどの写真がウィン・シャでどれがドイルのなのか全く見分けがつかない。
いくら同じ現場で撮ったとは云え、使用しているフィルムやカメラの機種、レンズが違えば似た撮影スタイルの人物が撮っても色調や光の具合・構図などの面でかなり異なったテイストの写真が撮れる筈である。
これはやはり「似た雰囲気の写真」を制作会社側でセレクトしかつ両者が似るように手を加えて各方面に使用したとしか思えず、だとすれば、ラフにざらついた無造作な雰囲気のあの写真たちにも、オーガナイザー側のそれなりの意図が払われていると云うことになる。
そんなところに、カジュアルなようで意外にしっかりした王家衛のブランド戦略を感じた8年ぶりの再読でした。
映画『ブエノスアイレス』の撮影監督クリストファー・ドイルの制作日記。
アルゼンチンでのロケ前のプリプロダクション段階から4ヶ月間に及んだ撮影を経てカンヌ映画祭前の編集過程までが書かれている。
日記と云ってもどの項にも日付けはなく、どちらかと云えば素の感情や感覚を主に書き留めたような散文的な文章で、ドイル自身の撮影による写真集も兼ねていて、具体的な“撮影日記”のような内容が期待出来るような本ではない。あえてそういうメイキング本のような描写を排除して作品の空気を守ろうとしたような形跡も見受けられる。
ただそれでもところどころに登場する専門用語(訳注付き)を含む映画に詳しくない人間にとってはおそらく意味不明であろうと思われる記述は、ぐり自身が映画の仕事に関わるようになった今再読してみて改めて当時の撮影状況の特異さをひしひしと伺わせる。そりゃスタッフも逃げるだろうし、張國榮(レスリー・チャン)だって怒るだろうさ。
それだけにこの作品に賭けた出演者やスタッフの思いの深さ、熱さがより強く感じられる本です。
ところでこの本に使用されている写真は全てドイルが撮影の合間に撮ったものだが、映画『ブエノスアイレス』にはれっきとしたスチールカメラマンがいた。王家衛(ウォン・カーウァイ)組常連で最近は人気のファッションフォトグラファーでありグラフィックデザイン集団Shya-la-laの代表でも知られるウィン・シャ氏である。
不思議なのはこのウィン・シャが撮ったスチール写真とドイルの写真とのトーンにほとんど差異が見られないこと。パンフレットやポストカードなどグッズの中には両者の写真が混在して使用されている場合もあるのだが、当然キャプションもついてないしハッキリ云ってどの写真がウィン・シャでどれがドイルのなのか全く見分けがつかない。
いくら同じ現場で撮ったとは云え、使用しているフィルムやカメラの機種、レンズが違えば似た撮影スタイルの人物が撮っても色調や光の具合・構図などの面でかなり異なったテイストの写真が撮れる筈である。
これはやはり「似た雰囲気の写真」を制作会社側でセレクトしかつ両者が似るように手を加えて各方面に使用したとしか思えず、だとすれば、ラフにざらついた無造作な雰囲気のあの写真たちにも、オーガナイザー側のそれなりの意図が払われていると云うことになる。
そんなところに、カジュアルなようで意外にしっかりした王家衛のブランド戦略を感じた8年ぶりの再読でした。
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