関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件に所縁の場所をまわるフィールドワークに初めて参加したのは6年前だ。
横浜でのフィールドワークが終わった後、悲惨な虐殺事件が多発したという平楽の丘をみたくて主催の研究者グループのひとりに地図を確認したところ、連れていってくださるという。暗くなりかけた狸坂を上って、活動家の山口正憲がおよそ3万人もの避難民に演説をしたという辺りや、朝鮮人が暴行されている現場が目撃された植木会社の辺りを案内していただいた。
どこで何が起こっていたか、半日かけて現場を歩きまわるうち、二度とこんな過ちを繰り返さないためにほんとうに大事なことが何か、明瞭にわかってきたような気がした。
震災当時に殺害された朝鮮人はおよそ6,000人以上に及ぶという数字がある。公的かつ包括的な調査が行われていないため、正確なところは誰にもわからない。
殺され方はもういちいち酸鼻を極めるというか何というか、まあいうたら無茶苦茶なわけです。細かいことは各々なんか資料とか読んでください。今年発生からちょうど100年で本がいっぱいでてますし。
その話を聞きにくる人、フィールドワークや勉強会にくる人の動機はそれぞれだと思うんだけど、私は在日コリアンでどっちかといえば被害者側の立場でもあり、日本人参加者の心情に対してどうしても穿った見方をしてしまう。
歴史を繰り返さないために、事実をよく知って周りにも伝えていかなきゃいけない。
こんな負の歴史を学ぼうとしてる私は、ネトウヨなんかとは一段違う人間だ。
どんだけ惨たらしいことが起きたのかを詳しく知りたいという好奇心が辛抱堪らん。
性格悪くてごめんなさい。
でもね。虐殺の現実がホントに信じられないぐらい無残過ぎて、ホラーというかスプラッターとかそういう変態的に暴力的なコンテンツを愛好する人々に「消費」されてるんじゃないかという気がしてしょうがないんですよ。
感じ方は人それぞれだから、そういう「消費者」がいてもいなくてもどっちにしろ私個人にはどうしようもないんだけど。
それに、悲惨な事故や事件をコンテンツとして消費するのはいまに始まったことでもないし、ターゲットも朝鮮人虐殺だけに限らない。
とすれば、事件の暴力性をひろく伝えていくだけじゃダメだと思うわけです。
震災当時、大勢の日本人がデマに惑わされて凶器を手にしたけど、中には「そんなことがあるわけない」と朝鮮人たちを匿ったり、助けたりして必死にまもってくれた日本人もたくさんいた。
彼らがなぜそうしたのか。どんな人たちだったのか。そして何ができたのか。それをこそしっかり伝える必要があると思ったのだ。
なぜなら、災害時に必ず氾濫するデマに流されることなく、冷静に対処できる精神を広めていくには、実際にそう行動できた人たちの存在を知ることの方がずっと有効だと思う。
殺された人たちの無念に思いを馳せることもたいせつだけど、祖先たちが犯した罪にただ項垂れるだけでは、正しい未来を手繰り寄せることなんかできない。
この話をすると、ジャーナリストの加藤直樹さんは「そんなことで日本人が犯した罪は相殺されない」と答えてくれたけど、勿論その通りなんだけど、事件の酷たらしさを知ることも重要なんだけど、それと同じぐらい、非常時にこそマイノリティの立場に立ってものを考え動ける人を育成するには、ロールモデルがどうしても必要だと私は思う。
この本は横浜のフィールドワークでスピーカーをつとめてくださった後藤周先生が書いて、加藤直樹さんが編集して、今年9月に刊行された。
お世話になった6年前にも「本を出してください」とお願いしていた、待望の著書。やっと手にすることができて、感無量です。
読んで感動したのは、いわゆるロールモデルとなる大川常吉氏の「都市伝説」を詳しく調べた章があったことです。
大川氏は震災当時、いまの横浜市鶴見区にあった鶴見警察署の署長だった人だ。デマによって迫害される朝鮮人400人以上を署内に匿い、怪我人の手当てを手配した。
暴徒と化した群衆が署をとりかこみ「朝鮮人を出せ」と口々に叫ぶのを宥めたとき、大川さんが「朝鮮人を殺す前にこの大川を殺せと啖呵をきった」「朝鮮人が毒を投げこんだという井戸の水をもってこさせて一気飲みしてみせた」とかなんとかいういかにもドラマチックな美談がまことしやかに伝えられている。
後藤さんはこの美談の背景を詳しく調べ、当時の鶴見になぜ朝鮮人がたくさんいたのか、彼らはどうして鶴見署に匿われることになったのか、彼らの命をまもるために大川さんが何をしたのか、保護された朝鮮人たちがその後どうなったかを、記録をもとにひもといている。すごく客観的に。
すると大川さんはとくにとりたてて「正義のヒーロー」ではなかったことがわかってくる。
彼はただ警察官として、暴力をやめさせ、人の命をまもるという当たり前の職務をまっとうしようとしただけであって、逆に、他の警察ではこんな当たり前のことができていなかったという事実が見えてくる。
「当時、日本人が韓国朝鮮の方にあまりにひどいことをしたため、当たり前のことが美談になってしまった。だから私が日本人としてみなさんに申し上げる言葉は、これしかない。『ミアナムニダ』(ごめんなさい)」
先年、大川さんの事を知った病院長の招きでソウルを訪れた孫の大川豊さんは、集まった人々にそう告げた(ソース)。
確かに大川さんは立派な人だった。
ただ、非常時において平静を失わず、己のなすべきことに忠実でいることこそ、国家権力の当然の義務だ。
それが、あのときはほとんどできなかった。
けど、大川さんにはできた。
そういうことです。
この本にはどこでどんなことが起こっていたか/起こっていなかったのか、そこにはどんな背景があったのか、以後どんな経緯をたどったのかを、すべて記録にもとづいて丁寧に綴っている。憶測は一言も挟まれていない。無茶苦茶リアルです。
あまり話題にされない中国人虐殺についても、市民活動家たちの活躍についても、記録とともにまとめてあります。
6年間待ち焦がれた後藤さんの本、ひとりでも多くの人に読んでほしいです。
これはもう、ホントにすごくいい本です。
読めばとりあえず「朝鮮人虐殺の規模」がどれほどのものだったか、肌感はわかると思います。
関連記事:
『羊の怒る時 ――関東大震災の三日間』 江馬修著
『福田村事件』
『関東大震災』 吉村昭著
『九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響』 加藤直樹著
『虐殺のスイッチ 一人すら殺せない人が、なぜ多くの人を殺せるのか』 森 達也著
加藤直樹さんと一緒に、埼玉から関東大震災・朝鮮人虐殺を考える(フィールドワーク)
著者・後藤周さんといっしょに関東大震災時の朝鮮人虐殺地をまわったフィールドワーク
外部リンク:
9月、東京の路上で
「つまずきの石」
関東大震災直後に日本全国で起きた朝鮮人虐殺事件の発生地をまとめたGoogleマップ
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