『極北』 マーセル・セロー著 村上春樹訳
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映画が好きだというとよく「今まで観た中でいちばん良い映画は?」みたいな質問をされるが、これほど答えに窮する質問はない。映画好きを自称する人はだいたいそうだと思うけど、映画の良さは観たときのメンタリティにかなり左右されるし、相手によって勧められる作品はかなり限られてくるからだ。
だがこれが「今まで読んだ中でいちばん良い小説は?」となると話が違ってくる。まあこのブログに関していえば映画を観るほどには大して読んでないから、ということもできるけど、映画を観るよりは小説を読むのは時間を食うし、それだけの時間を費やすだけの価値のある小説を見つけるのは、映画ほど簡単ではない。
という訳で、ぐりがこれまでに最も心を動かされた小説を3冊挙げろといえば、すぐにタイトルは挙げられる。
ヘミングウェイの『日はまた昇る』と、カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』、それからポール・セローの『写真の館』。
『写真の館』を読んだのは23歳のときで、季節は春だった。阪神淡路大震災と、地下鉄サリン事件があったころだった。『写真の館』を読んで、ぐりは大学を出て社会人になった。
あれからもう18年も経ったなんて何かの冗談みたいに思える。
著者のマーセル・セローはポール・セローの息子だという。もしかしてそうかもと思ったけど、訳者あとがきにしっかりそう書かれていた。阪神淡路大震災の直後に『写真の館』を読んで、いまこの『極北』を手にとったのは単なる偶然だと思うけど、それでもどこかに宿命を感じる。そういう小説だった。
あまり細かい内容に触れたくないのでやはり訳者あとがきを引用するが、著者はテレビの取材でチェルノブイリを訪れ、近郊に住む復帰居住者(いわゆるサマショール)の女性に出会ったことから、この小説を書くことを思い立ったという。孤独に自給自足の生活を営む彼らの生活は原始的だが、タフで知的でどこまでも自立していなければできないわざだ。
セローは、彼女に出会ったことで、われわれ人間社会がどれほど自然と本能を犠牲にして、文明と地球資源を無反省に浪費してきたかを知ったという。
小説の主人公はメイクピースという、タフで知的でどこまでも自立した人物だ。
メイクピースの両親は物質社会に背を向けて未開の土地─おそらくシベリア─に新しい世界を建設すべくやってきた入植者だったが、物語が始まった時点で既にこの世を去っていた。そして彼らが建設した新しい世界も崩壊してしまっていた。
メイクピースはその崩壊した世界にたったひとりで住んでいる。かつてまだ街があったころ、メイクピースは警察官だった。誰もいなくなった街で、メイクピースはその勤めをただ続けている。他にやることがないから。
そこにある変化が訪れる。思いがけない変化だ。メイクピースは魂の赴くままに、その変化に導かれていく。
物語は常に思いがけない展開の連続で、それでも、重く、恐ろしく、そして熱い。「極北」の、凍えるように冷たい世界を描いているのに、その冷たさ故に命に脈打つ血潮の熱さを、その沸点をひしひしと感じさせる。
メイクピースは苛酷に暴力的な試練に何度となく挫折しながらも生き続ける道を選ぶ。そこには明確な理由はない。
メイクピースにとっては、それはまさに自分自身との勝負だ。愛してはいても共感することのできなかった家族、懐かしくはあっても居心地よくはなかった故郷、何もかもが姿を消してしまっても、自分だけはこの世に留まり続けることで自らの運命に負けまいとする。
目的はただひとつ、自分が誰よりも正しかったことを、間違ってはいなかったことを自らに証明するためだ。誰に対してでもない、自分自身に対して証明したい。
だからこそメイクピースはどこまでも傲慢になれるし、自分を疑うことも決してしない。
そもそもメイクピースは救いなど求めてすらいない。自らの身を守り、命をつなぐために必要のないものに価値はない。
その価値観はどこか西部劇を思い出させるけど、西部劇にももうちょっと救いはあった気がする。この小説に比べれば西部劇はまだまだロマンチックといっていいくらいかもしれない。
訳者あとがきでも触れている通り、2011年3月11日を経た今となっては、この小説に描かれた世界はもはや絵空事ではなくなってしまった。
ここに描かれる破滅と絶望と荒廃は、ぐりの目にはいつか起こり得る─それこそ明日か明後日か、ごく近い将来の出来事を示唆しているように感じてしまう。
あの未曾有の大災害と大事故を通して、われわれは人間社会が築き上げてきた文明の脆さを、人間の愚かさと強欲の醜さを痛いほど思い知らされた。どこにどんな救いがあるのかも、もうわからない。
ひとつだけいえるのは、この小説そのものがぐりに、小説を読むということがどれほど人の心を潤し、力づけてくれるかという懐かしい感覚を思い出させてくれたことだ。
子どものころ、寝る時間も惜しんで本にかじりついていた、読書の愉楽。
そういう小説に巡りあえるのも、ぐりにとっては救いであることは間違いない。
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だがこれが「今まで読んだ中でいちばん良い小説は?」となると話が違ってくる。まあこのブログに関していえば映画を観るほどには大して読んでないから、ということもできるけど、映画を観るよりは小説を読むのは時間を食うし、それだけの時間を費やすだけの価値のある小説を見つけるのは、映画ほど簡単ではない。
という訳で、ぐりがこれまでに最も心を動かされた小説を3冊挙げろといえば、すぐにタイトルは挙げられる。
ヘミングウェイの『日はまた昇る』と、カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』、それからポール・セローの『写真の館』。
『写真の館』を読んだのは23歳のときで、季節は春だった。阪神淡路大震災と、地下鉄サリン事件があったころだった。『写真の館』を読んで、ぐりは大学を出て社会人になった。
あれからもう18年も経ったなんて何かの冗談みたいに思える。
著者のマーセル・セローはポール・セローの息子だという。もしかしてそうかもと思ったけど、訳者あとがきにしっかりそう書かれていた。阪神淡路大震災の直後に『写真の館』を読んで、いまこの『極北』を手にとったのは単なる偶然だと思うけど、それでもどこかに宿命を感じる。そういう小説だった。
あまり細かい内容に触れたくないのでやはり訳者あとがきを引用するが、著者はテレビの取材でチェルノブイリを訪れ、近郊に住む復帰居住者(いわゆるサマショール)の女性に出会ったことから、この小説を書くことを思い立ったという。孤独に自給自足の生活を営む彼らの生活は原始的だが、タフで知的でどこまでも自立していなければできないわざだ。
セローは、彼女に出会ったことで、われわれ人間社会がどれほど自然と本能を犠牲にして、文明と地球資源を無反省に浪費してきたかを知ったという。
小説の主人公はメイクピースという、タフで知的でどこまでも自立した人物だ。
メイクピースの両親は物質社会に背を向けて未開の土地─おそらくシベリア─に新しい世界を建設すべくやってきた入植者だったが、物語が始まった時点で既にこの世を去っていた。そして彼らが建設した新しい世界も崩壊してしまっていた。
メイクピースはその崩壊した世界にたったひとりで住んでいる。かつてまだ街があったころ、メイクピースは警察官だった。誰もいなくなった街で、メイクピースはその勤めをただ続けている。他にやることがないから。
そこにある変化が訪れる。思いがけない変化だ。メイクピースは魂の赴くままに、その変化に導かれていく。
物語は常に思いがけない展開の連続で、それでも、重く、恐ろしく、そして熱い。「極北」の、凍えるように冷たい世界を描いているのに、その冷たさ故に命に脈打つ血潮の熱さを、その沸点をひしひしと感じさせる。
メイクピースは苛酷に暴力的な試練に何度となく挫折しながらも生き続ける道を選ぶ。そこには明確な理由はない。
メイクピースにとっては、それはまさに自分自身との勝負だ。愛してはいても共感することのできなかった家族、懐かしくはあっても居心地よくはなかった故郷、何もかもが姿を消してしまっても、自分だけはこの世に留まり続けることで自らの運命に負けまいとする。
目的はただひとつ、自分が誰よりも正しかったことを、間違ってはいなかったことを自らに証明するためだ。誰に対してでもない、自分自身に対して証明したい。
だからこそメイクピースはどこまでも傲慢になれるし、自分を疑うことも決してしない。
そもそもメイクピースは救いなど求めてすらいない。自らの身を守り、命をつなぐために必要のないものに価値はない。
その価値観はどこか西部劇を思い出させるけど、西部劇にももうちょっと救いはあった気がする。この小説に比べれば西部劇はまだまだロマンチックといっていいくらいかもしれない。
訳者あとがきでも触れている通り、2011年3月11日を経た今となっては、この小説に描かれた世界はもはや絵空事ではなくなってしまった。
ここに描かれる破滅と絶望と荒廃は、ぐりの目にはいつか起こり得る─それこそ明日か明後日か、ごく近い将来の出来事を示唆しているように感じてしまう。
あの未曾有の大災害と大事故を通して、われわれは人間社会が築き上げてきた文明の脆さを、人間の愚かさと強欲の醜さを痛いほど思い知らされた。どこにどんな救いがあるのかも、もうわからない。
ひとつだけいえるのは、この小説そのものがぐりに、小説を読むということがどれほど人の心を潤し、力づけてくれるかという懐かしい感覚を思い出させてくれたことだ。
子どものころ、寝る時間も惜しんで本にかじりついていた、読書の愉楽。
そういう小説に巡りあえるのも、ぐりにとっては救いであることは間違いない。
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