落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

What's eating GILBERT GRAPE

2007年01月26日 | book
『ギルバート・グレイプ』 ピーター・ヘッジズ著 高田恵子訳
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先日再見した映画『ギルバート・グレイプ』の原作本。
最近とみに増えた気がする小説やコミックを原作とする映画だけど、「原作と映画はべつもの」とよくいいますね。
この作品に関してはまさにその見本みたいなものです。
なんでか?この原作者が映画の脚本を書いてるから。しかもストーリーはそっくり原作のまま、設定も一部の例外を除いてほぼ原作小説に忠実に再現しておきながら、映画『ギルバート・グレイプ』は小説『ギルバート・グレイプ』とはまったく違ったメッセージと世界観をもってるから。
読んでてすごく不思議な感じがしました。映画で既に知ってるはずの物語なのに、訴えてくるものが全然違うから。顔はそっくりなのに性格はまるで違う双子の兄弟としゃべってるみたいな感じ。

小説の原題は“What's eating GILBERT GRAPE”(映画の原題も同じ)、直訳すると“ギルバート・グレイプはなんでいらいらしてんのか”。
映画はこのタイトルから感じさせられるような、怒りやいらだちといった負の感情はあえて強調されることなく、全体にもっとおおらかであたたかく穏やかな雰囲気が印象的な作品に仕上げられている。それに対して、小説はもろにこのタイトルそのまま、ギルバート・グレイプという主人公の青年の、決して表情や言葉には表れない怒りやいらだちが、ユーモアと愛情をこめて丁寧に描かれている。
映画のあらすじにも書いたが、ギルバートの父は彼が7歳の時に自殺した。家族にも友だちにもひとことの別れの言葉もなく、ひとり黙って地下室で首を吊った。作中でははっきり明言されないが、おそらく直接の原因は当時2歳だった三男のアーニーに知的障害があることがわかったからではないかということが示唆されている。
死んだ父をみつけたのは長男ラリーだった。彼は成人後に家を出て、どこでなにをして暮らしているのか誰も知らない。定期的に小切手を送ってきて、年に一度アーニーの誕生日に山ほどプレゼントを抱えて帰ってくるが、家族とはほとんどろくに口も利かない。
アーニーには知的障害があるだけでなく、左目は義眼だ。長女エイミーが大好きだったエルヴィス・プレスリーが死んだ夜、屋根裏部屋で酒盛りをしていたエイミーとラリーと次女ジャニス(彼女は映画には登場しない)のところへ母のタバコをとりに行き、たまたまラリーが投げたダーツが命中したのだ。エイミーは変わらずエルヴィスの大ファンだが、当時6歳だったアーニーは今もエルヴィスが大嫌いだ。
三女エレンは父の顔を知らずに育った。父は彼女がまだ母の胎内にいるときに自ら命を絶ったのだ。そのために彼女は見知らぬ父を憎むだけでなく、ギルバートが時折示す“父性”にさえ激しく反発する。

小説には、そんなグレイプ一家の傷がひとつひとつ、やさしくさりげなく描かれている。
生きていれば人は傷つくものだ。それが人生だ。
ラリーもジャニスもふだんは家を離れ、ほとんど家族を顧みることはないが、それでも一度負った傷からは逃れられないでいる。ギルバートも家族を捨てたい、エンドーラの街を出ていきたいと夢想するが、どこへ行こうと傷はその人自身の傷であって、どこかへ置き去っていけるものではない。
ギルバートはそんな傷から目を背け、あたかも自分には怒りや悲しみなどという感情は存在していないかのように飄々としているが、いつかはその傷と向きあい、どうにでもして折り合いをつけないことには人生は先に進まない。エンドーラを出てどこへいくのか、何をしてどんな人間になりたいのか、彼にそんなビジョンがないのは、彼自身の心の「ギア」が「パーク」に入ったまま自閉しているからだ。

もうひとつ、映画とずいぶん違うのは、物語の舞台である80年代(たぶん89年)のアメリカ・中西部という背景の空気がかなり濃くくっきりと感じられるところ。
これは映画を監督したのがスウェーデン人=非アメリカ人のラッセ・ハルストレム(最新作は『カサノバ』)だからだろう。小説よりも映画の方が、もっと普遍的かつ広がりと奥行きをたたえた世界観をもった物語になっている。
とはいえ、時代色・ローカル色豊かなこの小説もぐりは好きだ。映画とはまた違った感動のある、いい小説だと思います。

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