落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

a Girl in the Velsaiyu

2007年01月25日 | movie
『マリー・アントワネット』
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究極の女の子映画。
これぞまさにレディース・デーに観るべき映画でしょう。¥1800出す気にはなれないし、内容には全然期待なんかしないけど、でもちょっと観てみたい、そういう映画。
ええぐりも(元)女の子ですからー。一応ね。

ウン、思ってたより楽しめましたよ。てゆーか完全に思ったとおりの映画だった。
マリー・アントワネットといえば歴史上最も有名な“セレブリティ”。14歳で大国の最高権力者の妻となり、家族も友人もいない外国へ嫁ぎ、贅沢三昧の青春を過ごした後に、革命の犠牲者となった女性。彼女がどこでどんな家庭に生まれて、どこへ行って何をしたか、世界中の誰もが当り前に知っている。そんなもの今さら説明する必要がない。
だからこの映画には説明というものがほとんどない。ストーリーもない。セリフもごく限られている。ただただふわふわと華やかできらびやかありながら、淡い孤独の影にすっぽりとつつまれた“セレブ生活”の情景描写が淡々と続く。
つまりこれは「メイキング・オブ“マリー・アントワネット物語”─ヴェルサイユ篇」としてつくられた映画なのだ。
そこには激動の歴史も、ブルボン王朝やハプスブルグ家の権威もいっさい関係がない。
単純で素直で甘ったれの、どこにでもいる末っ子気質の女の子と、誠実で真面目ではあるがひたすら鈍感でオタクな長男坊という、豪華絢爛な王座にはいささか不似合いなほど平凡なカップルの日常。見知らぬ人々に囲まれた慣れない宮廷生活に窮屈さと寂しさを感じながら、なぜかうまくいかない夫婦生活や他人の噂話について何年も悩んだり、ヤケで買物やパーティーやギャンブルに朝から晩まで騒ぎとおしたり、美男の外国人貴族に熱をあげたり、そんなことは「ふつうの女の子」なら誰でもやりそうな・実際やっている生活だ。単にマリー・アントワネットは立場が「ふつうの女の子」ではなかった、生まれた時代が「ふつう」じゃなかっただけのことだ。
映画は彼女の立場や時代を無視して、彼女の“セレブ生活”を通して、彼女を「ふつうの女の子」として描いている。

歴史ドラマを観たいという観客には確かに不満足な映画かもしれない。
でも、言葉もロクに通じない国で、朝起きて夜眠るまですべてが衆目に晒されっぱなしという環境でひとりぼっちで暮らした女の子のドラマとしては、とてもわかりやすい、共感しやすい映画にはなってます。逆説的にいえば、彼女の外界への無邪気な無関心さこそが彼女を“セレブ生活”から追い出したという見方も簡単にできる。
傑作じゃないかもしれない。感動作でもない。もしかしたら1年もしないうちにみんなに忘れられちゃう映画かもしれない。
けどぐりはこれはこれでいいと思うし、少なくともこの映画が何をいわんとしてるかはすごくよくわかるし、結局はそれが一番大事なことじゃないかと思う。
期待通り、衣装や美術や音楽はすっごく楽しめました。実際のヴェルサイユでロケしたパートなんかはちょっと懐かしくもあり。またあそこ遊びに行きたいな。

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