『13歳の夏に僕は生まれた』
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昨今日本だけでなく全世界的に深刻化している不法移民問題を、13歳の少年の視線から描いた物語。イタリア映画ってちょっと久しぶりかな?
邦題からしてもっと重い映画かと思ってたんだけど、そうでもなかったです。けど考えてみればイタリア映画って大抵そうかもね。ズシッと重くなってしまいそうな物語を、ギリギリのところでサラッとスマートに、でもキチンと心に響く語り方をする。あざとくはあっても嫌味でも説教くさくもなくって、そういうとこがけっこう好きです。
このお話もモチーフは不法移民だけど、あくまでテーマは思春期を迎えた主人公の心の成長。裕福な家のひとり息子でそれまで何不自由なく暮してきたサンドロ(マッテオ・ガドラ)だが、夏休みに父(アレッシオ・ボーニ)と出かけたヨット旅行で事故に遭い、救助された移民船の人々と数日を過ごす。おそらくそんなアクシデントでもなければ、彼は国を逃げ出さない限り食べてもいけない人々と自分とが、「同じ人間」であることに気づきもしなかったのではないだろうか。彼の父が経営している工場にも不法就労の外国人はいるし、級友にもアフリカ系の子はいる。街にも外国人はいて、サンドロはそういう人々の存在をふだんから身近に目にしてはいた。だが、ボロ船の狭いデッキに寿司詰めで眠り、腐りかけた食糧を分けあい、衣類を貸し借りしてかばいあう経験を通じて初めて、言葉もろくに通じない彼らを対等に感じることができたのだ。
人は成長過程においてしばしば、それまで住んでいた閉じられた世界の扉を発見し、その外にも世界が続いていることを知る。そしてそこへ自分の足で出ていくことや、そこで自分の力で生きていくこと、外の人間や文化やモノに触れるよろこびを知る。サンドロにとって扉は事故で、外の世界には不法移民がいたわけだ。
この映画がとても素直に観る人の胸にしみてくるのは、ともすれば説明っぽくなりがちな社会問題を、あえて正義を振りかざすことなく、ストレートに淡々と、無私無欲な子どもの立場から描いているからだ。本来なら盛りこみたいはずの多くの要素を必要最低限まで排除し、サンドロにわかること、サンドロにできること、サンドロが感じとれることに限定して構成している。非常にオトナなアプローチだと思う。
このサンドロを演じた子役は映画初出演だそーですが、なかなか存在感があってお芝居もうまかったです。父親役のアレッシオ・ボーニは二枚目なんだけどとても40歳にはみえない。せいぜい30か、ヘタすると20代後半の青年のようだ。それも狙ったキャスティングなのだろう。子どもを失いかけるという衝撃的な経験をして改めて父の自覚を感じるという複雑なキャラクターにとてもあっている。
クルド系ルーマニア人兄妹役のふたり(ヴラド・アレクサンドル・トーマ/エスター・ハザン)もなかなかインパクトある風貌。とくに妹の方は小柄なのにダイナマイトバディ(爆)で野性味たっぷりな顔だちがセクシーでした。ったってあの子たぶん13〜4歳くらいなんだろうけど。
オープニングのトム・ウェイツが激シブでした。
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昨今日本だけでなく全世界的に深刻化している不法移民問題を、13歳の少年の視線から描いた物語。イタリア映画ってちょっと久しぶりかな?
邦題からしてもっと重い映画かと思ってたんだけど、そうでもなかったです。けど考えてみればイタリア映画って大抵そうかもね。ズシッと重くなってしまいそうな物語を、ギリギリのところでサラッとスマートに、でもキチンと心に響く語り方をする。あざとくはあっても嫌味でも説教くさくもなくって、そういうとこがけっこう好きです。
このお話もモチーフは不法移民だけど、あくまでテーマは思春期を迎えた主人公の心の成長。裕福な家のひとり息子でそれまで何不自由なく暮してきたサンドロ(マッテオ・ガドラ)だが、夏休みに父(アレッシオ・ボーニ)と出かけたヨット旅行で事故に遭い、救助された移民船の人々と数日を過ごす。おそらくそんなアクシデントでもなければ、彼は国を逃げ出さない限り食べてもいけない人々と自分とが、「同じ人間」であることに気づきもしなかったのではないだろうか。彼の父が経営している工場にも不法就労の外国人はいるし、級友にもアフリカ系の子はいる。街にも外国人はいて、サンドロはそういう人々の存在をふだんから身近に目にしてはいた。だが、ボロ船の狭いデッキに寿司詰めで眠り、腐りかけた食糧を分けあい、衣類を貸し借りしてかばいあう経験を通じて初めて、言葉もろくに通じない彼らを対等に感じることができたのだ。
人は成長過程においてしばしば、それまで住んでいた閉じられた世界の扉を発見し、その外にも世界が続いていることを知る。そしてそこへ自分の足で出ていくことや、そこで自分の力で生きていくこと、外の人間や文化やモノに触れるよろこびを知る。サンドロにとって扉は事故で、外の世界には不法移民がいたわけだ。
この映画がとても素直に観る人の胸にしみてくるのは、ともすれば説明っぽくなりがちな社会問題を、あえて正義を振りかざすことなく、ストレートに淡々と、無私無欲な子どもの立場から描いているからだ。本来なら盛りこみたいはずの多くの要素を必要最低限まで排除し、サンドロにわかること、サンドロにできること、サンドロが感じとれることに限定して構成している。非常にオトナなアプローチだと思う。
このサンドロを演じた子役は映画初出演だそーですが、なかなか存在感があってお芝居もうまかったです。父親役のアレッシオ・ボーニは二枚目なんだけどとても40歳にはみえない。せいぜい30か、ヘタすると20代後半の青年のようだ。それも狙ったキャスティングなのだろう。子どもを失いかけるという衝撃的な経験をして改めて父の自覚を感じるという複雑なキャラクターにとてもあっている。
クルド系ルーマニア人兄妹役のふたり(ヴラド・アレクサンドル・トーマ/エスター・ハザン)もなかなかインパクトある風貌。とくに妹の方は小柄なのにダイナマイトバディ(爆)で野性味たっぷりな顔だちがセクシーでした。ったってあの子たぶん13〜4歳くらいなんだろうけど。
オープニングのトム・ウェイツが激シブでした。