三月書房にて多大なる戦果をあげ、さて今度はどこへ行こうか、と京都市役所のあたりをうろうろしていると、『北大路バスターミナル』と行き先を掲げたバスが通り過ぎていきました。
北大路……
ふと思いついて、家から持ってきた本の頁を捲ると、あったあった。
よし、ここでこの地名を見かけたのも何かの縁だ。名所でも何でもないけど、次は「あそこ」へ行ってみよう。
そう思った僕は、さっそく最寄りのバス停を探したのでした。
「地図やガイドブックのたぐいは一切持ってこなかった」
と先に言いましたが、実は一冊だけそれに類する本を持ってきていました。
『京都うた紀行』(京都新聞出版センター)。
歌人の永田和宏と河野裕子が、京都・近江の近現代歌枕を訪ねるエッセイ集です。
まだ読み始めたばかりですが、名所旧跡ばかりではなく、大学キャンパスや道、橋など何でもない所も取り上げており(先の三月書房も、もちろん選ばれていました)、とても興味深い一冊です。
その中に挙げられた一首。
階段を二段跳びして上がりゆく待ち合わせのなき北大路駅
言わずと知れた、梅内美華子の名歌です。
河野裕子は言います。
「待ち合わせがあろうが無かろうが、周囲の目なんか気にせず、思い切りありのままの勢いで階段を駆け上がってしまう。ああ、と溜め息が出るような若さ。」
僕も、この留保の無い躍動感に魅せられた一人です。
こんな歌を詠ませる駅って、どんな姿なんだろう。
京都まで来ておいて寺社仏閣も巡らず、酔狂なことだ、と自分でも思いますが、不思議なほど迷い無く、次に来たバスに乗り込みました。
バスは立錐の余地も無いほど混んでいましたが、車内にあふれる京都弁やスペイン語(外国人旅行客も乗っていたんです)を聞きながら見る車窓の風景は、思いのほか新鮮でした。
京都って、ほんとに道がまっすぐなんだなあ、などと妙な感心をしながら揺られること20分ほど。
『北大路駅前』という、まさに目的どおりの停留所に到着しました。
が、降りてみると、それらしき駅舎も見えないし、線路も見当たりません。
おっかしいなあ、少し離れてるのかな?とあちこちうろうろして、やっと見つけました。
―――『北大路駅』という看板と、その下の、地下へともぐる階段を。
恐ろしいのは、先入観と思い込みです。まさか、『北大路駅』が地下鉄の駅だとは思いもしなかった。
僕はあの歌を、電車に乗り込むべく改札への階段を駆け上る歌だ、と勝手に思っていたのです。
しかし、地下鉄駅だとすると、風景は全く逆で、電車から降りた少女が一気に地上へと駆け上がっていくことになる。
なるほどなるほど、あの歌の爽快感は、地下の息苦しさから一気に解放されようとしている喜びでもあったんだなあ、とやっと思い当たりました。
しかし、そうなるとちょっと具合が悪い。
僕は、せっかく来たんだから『北大路駅』の階段を二段跳びで駆け上がってみようかと思っていたのです。
駆け上って、改札口のあたりで情報を集め、次なる目的地を決めようかと。
しかしこれだと、いったん階段を降りたあと、改めて地上に向かって駆け上がるという、少々まぬけな構図になります。
で、どうしたか?
やりましたよ。ほとんどそのためにここに来たんだから。
せめて同じ階段の往復はしないように、上りは改札口からすぐの階段を選びました。だぶん、梅内美華子もこの階段を上ったんだろう、と信じて。(ちなみに、周囲の視線は「無い」ものとしました。)
結果。
慣れないことは、やるもんじゃないです。一段抜かしならよくやりますが、二段を跳ばして駆け上がるというのは、四十半ばのおっさんには想像以上に困難でした。危うく、ふくらはぎが痙攣するところだった。
まあしかし、こういうことは「やった」という事実が大切なのです。
こうして、なんの変哲もない地下鉄駅は、僕にとって忘れられない『歌枕』になったのでした。
烏丸の「る」を聞き落とし取り零しかけあがるには北大路駅
(烏丸=からすま)
二段跳び…って、私の中では「一段抜かし」とイコールだったのですが…
「二段抜かし」をやったのね!!!
それはふくらはぎもびっくりしたことでしょう~
私だったら、躓いて、顔面から落ちたかも~~
……や、やっぱり、二段跳びイコール一段抜かし、なんでしょうか?
いや、そう思わないではなかったんですが。
でも、遠い昔、はるか彼方の銀河系では、そんなこともしていた記憶が……
なんにせよ、歳を考えましょう、という教訓でした まる。