はいほー通信 短歌編

主に「題詠100首」参加を中心に、管理人中村が詠んだ短歌を掲載していきます。

発作的奈良京都紀行(2)

2011年04月12日 20時34分10秒 | たんたか雑記

 さて、名残を断ち切り、次に向かったのはお隣の中宮寺。
 ここには、有名な「弥勒菩薩半跏思惟像」があります。
 二十年ほど前、一人でここに来たとき、この像に惚れたことがあります。
 そのときは、シーズンオフの朝一番ということもあり、参観者は僕一人。
 それをいいことに、一時間近くこの像の前にいました。
 眺める眼は、尊い仏や美術品を見る目ではなく、間違いなく「惚れた女」を見つめるものだったと思います。
 あの感覚をも一度味わいたい。そう思って足を運んだのですが。

 像は(当然ですが)何の変わりも無くそこにおわしました。
 が、妙な違和感がありました。
 こんなに、像と隔てられていただろうか?
 手を伸ばせば触れられそうな距離だった記憶があるのですが、仕切りや様々な供え物によって、なんだかとても遠いものに見えました。
 係のおばさんが、説明のテープを流してくれるのも、正直わずらわしかった。
 像の履歴(昔は違うところにこの寺はあったとか、半跏思惟のポーズは衆生を救うため悩む御仏の姿だとか)なんか、この不信心者にはどうでもいいんです。
 この女、じゃなかった像の美しさに再び会うためだけに、僕はここに来たのだから。
 それでも、やはり美しいものは美しい。
 かなう限り近づき、いろいろな角度から像を眺めました。
 本当ならずっと居たかったのですが、他の参拝者に迷惑です。
 五分ほどでその場を退きました。
 またシーズンオフの朝一番に来れば、あの親しさを味わうことが出来るでしょうか。

    みほとけ の あご と ひぢ とに あまでら の あさ の ひかり の ともしきろ かも
                                             会津八一



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