ツモ爺のひとり言~アートフラワー~

人生を少し長く生きた一人としての”私のひとり言”を聞いてください。

器に添って(うつわにそって)

2010年03月31日 18時18分13秒 | アートフラワー製作日記
 馬には乗ってみよ、人には添ってみよ、という昔からの言葉がありますが、アートフラワ-の製作も器次第です、アレンジ(生けこみ)の変化を求めるならやはり花器が基本になります、写真は船底型の花器ですからそれにふさわしいアレンジをするとこのようになりました。

 春らしい淡い色調のアートフラワーです、細かい花には一本一本針金の足をつけて生けこんでいますから大変手間がかかります。(花の材料はちようど花束の大きさでそれを一本づつバラして使っています)一見しただけではこの仕事ぶりは分らないと思います、平凡に見えますが前述のような仕掛けがしてあります。

 また3本のカラー(ラッパのような花)の大きさもちょうど良くバランスがとれています、シンプルに見えますが、作者であるツモ爺の大変こだわりのある作品です。テーブルの上などに飾ると小粋な存在となります。

長寿型の人々の共通点

2010年03月30日 17時16分28秒 | ツモ爺のひとり言
 ツモ爺が80歳だから言うわけではありませんが、ある本に長寿型の共通点としてこう書いていました。

 長寿型の人々には共通に見られる心の特徴があるようです。物事に感謝し、美しいものを味わい夢を楽しみユーモアにあふれています。

 さらに、ゆとりがあり、感謝、沈着冷静、寛大な心、安心、希望というような心があります。

 ツモ爺などは遠く及ばない事ばかりですが、理想として覚えておくことは必要かと思います。人間ですから不充分な点が沢山あって、何時も「しまった!」と臍(ほぞ)を噛むときが多いのです。よく謹言を額にいれて何時も反省の材料にすると世間で言われています、この歳になると誰も注意をしてくれませんから自分で自戒するより仕方がありません。

 ですから前述の言葉を肝に銘じておき腹が立ったら思い出すというようなことが、生きて行く上で必要かなあ・・・と本から学びました。

脳の習性

2010年03月29日 19時22分26秒 | アートフラワー
 人間は同じことの繰り返し、つまりルーチンワーク(慣習的な仕事)をする時は楽に出来ますが、ちょっと変わったことに対してはおっくうになります。また馴れた店で食事をします、なかなか新しい店に足を運ばないのです。これらは脳の習性とでもいうべきで、放っておくと毎日同じことの繰り返しになります。

 ツモ爺のアートフラワーの仕事も一度味を占めると同じ傾向のものを作り勝ちです、これは脳が変わったことをするのが嫌いで、新しいことに挑戦したがらない習性があるからです。年を取るといっそうこの傾向が強くなり冒険しなくなり、何時しか世の中に受け入れられなくなります。

 ですから同じことの繰り返しは創作活動をする人にとっては命取りになってしまいます。ですから不利であっても犠牲を払っていかねばなりません。つまり脳の習性に反することをするのですからしんどいわけです。

誕生日

2010年03月28日 18時37分16秒 | ツモ爺のひとり言
 昨日、ツモ爺の誕生祝を娘たち家族が祝ってくれ楽しい一時を過ごしました。孫が私たち夫婦の結婚当時のことを知りたくて色々と質問が出ました。ツモ爺28歳妻が23歳の時に結婚しましたから約52年前のことです、「最初のお互いの印象はどうでしたか?」の質問には当惑する始末、鋭い質問にたじたじの呈でした。

 でもそれをきっかけにツモ爺の人生観、経済観を話すことが出来たのは収穫でした。振り返ってみると人生ではニッチもサッチもいかない時が2度ほどありました、そんな時の解決は自分自身の力で解決したというよりは他者から運よく解決の糸口をもらったような気がします。

 これからの人生はラストコーナーに差し掛かったようなもので、自分でも先が読めません、生命のある限り誠実にまた積極的な生き方をしていきたいと、今は思っています。先のことはすべて神仏にお任せして生きるしかありません。

お客様の言葉

2010年03月27日 16時36分02秒 | アートフラワー
 先日お送りしたお客様から予想外の喜びのお言葉を頂き嬉しくなりました、写真の花はその時にお送りしたアートフラワーです。

 お客様の言葉は「母がとても喜んでいます、感謝しています。前回同様とても満足しています」このようなお言葉はツモ爺を舞い上がらせるほど嬉しくなってきます。モノを売って代金を頂戴するということは一般的なことですがこのようなお言葉は生き甲斐となります。

 引き続いて、もっともっとお客様に満足して頂く作品を作っていかねばなりません、そのためには研究と努力研鑽に励んでいきたいと強く心に刻んでいます。

鳩山首相

2010年03月26日 19時04分05秒 | ツモ爺のひとり言
 今日のサンケイ新聞の正論にこんなことが書かれていました。京都大学名誉教授の市村真一氏の論説に、最近永田町界隈でこんな風刺話を聞いたとあり「東京には、正体不明の怪鳥がいる。日本人はサギだと言うが中国人はカモと見、米国人はチキン、欧州人はアホウドリだと言う。本人はハト(鳩)と言い張っているが、おれは日本のガンだと思う・・・」

 まさに言いえて妙、私たち夫婦も腹を抱えて大笑い、巧い風刺話と思います。ツモ爺は夢見鳥(ゆめと現実の見さかいがつかない鳥)と名づけたい。今の一番の心配は子供手当てを本年度は隠し財源や大きな国債の発行で賄いましたが来年は今年の倍の金額になります。

 鳩山首相は財政の見直しをして不要部分を削りそれにあてるというがそんな巨額の無駄が果たしてあるのだろうか、まさしく夢を見ているとしか言いようがありません。

外は寒いのですが

2010年03月25日 17時47分00秒 | アートフラワー製作日記
 降り続く雨で気温は真冬のようですがアートフラワーの世界は春爛漫です、写真は赤のチューリップにピンクのカサブランカのコントラストのはっきりした出来上がり、綺麗な仕上がりとなりました。この頃分ってきたのですが、やはりツモ爺のフラワー工房に対してお客様のご要望は明るく派手目のアートフラワーを求められています。

 もちろん色んな多種多様な流行があり、市場を調査すると随分違った好みのものも流行っています。しかし、それに目を奪われてツモ爺らしくない作品は結局売れ足が遅いのです。ですから作品の構成するバランスが大切になってきます。

 たとえば食べ物屋であれば甘いもの酸っぱいもの辛いものの中でツモ爺のお客さんが甘いものを好まれるならこれを60パーセント残り40パーセントを辛いもの酸っぱいものに振り分けたらよいのです。全部甘いものにしたらこれはお客さんにあきられるでしょう。

80歳の身に過酷なほど仕事があります

2010年03月24日 18時32分49秒 | ツモ爺のひとり言
 明日25日はツモ爺は満80歳を迎えます、一つ年を取るぐらいなことは別に言うことではありませんが年代が70歳代から80歳代に代替わりすることが本人にとっては大きな変化と感じるのです。例えば普通の方が60歳の還暦を迎えると意外なほどショックがあるようです。友人たちの殆どが60歳を迎える時に「もう還暦や」と言い、年をとったような言い方をします。

そのように代替わりは少しショックがあります、さて今日のテーマーは80歳にしてはあり余る仕事や雑事があり、月末特有の仕事や帳簿や伝票の記載などが加わり、それを終えて、今やっとこのブログを書いている次第です。こんなことが出来る健康に感謝をしています。

 ここ数日は注文が入り、その出荷作業も加わって仕事量が増えています、これも有り難いことで文句はありませんが、一日中息つく暇がないのも少々過酷と思うのです。すべては自分の選んだことですから止むを得ないとは思いつつも今日は少し愚痴になりました。

配達を兼ねて小旅行

2010年03月23日 18時31分07秒 | ツモ爺のひとり言
 姫路のお客様からご注文を頂き配達を兼ねて夫婦で小旅行をしてきました、残念ながら雨模様の一日でしたが途中には山桜のピンク、マンサクの黄色そして白と色とりどりの花の美しさを愛でながら車を走らせました、配達を済ませ、せっかくの姫路城も大修理に入る前に見ておこうと雨の中をお城まで行きました。

 途中で団体を率いる女性ガイドに出会いました、服装はバスガールのような制服姿ですが、顔をみてびっくり、おばちゃんというよりはお婆ちゃんのガイドさん、高齢化もここまで進んだのかと、おかしいやら、驚きでご本人の前で笑うわけにもいかず笑いを堪えるのに苦労をしました。

 それと外人が多いのも特徴です、欧米人、中国人と彼らにとっても姫路城は、人気の存在です。雨の中観光客はひきもやらず大勢の観光客が姫路城に押しかけていました。

弟の好物

2010年03月22日 16時17分17秒 | ツモ爺のひとり言
 今日は春分の日、お彼岸の日でもあります、ツモ爺の弟は60歳代の前半で亡くなりました、その弟が生前茜丸(あかねまる)という店のどら焼きが好物でした。そのどら焼きをを妻が買い求めて仏前に供えてくれた妻の好意に何とも言えない嬉しさを感じました。

 弟は遂に結婚せずに生涯独身でしたので、私たちと共に住んでいました、後年入院をして恵まれない人生を過ごして、いまだに可哀そうなことをしたと忸怩たる思いです。

 その恵まれなかった弟の好物をお彼岸に供えてくれた妻の記憶は、言葉にも出せないツモ爺の喜びです。こうして亡き弟や両親のことを思い出させてくれるのが命日やお彼岸、お盆です。日々の生活はお互いに忙しく故人を思い出すことが少ないのですがこうして行事を通じて思い出させてくれます。