ツモ爺のひとり言~アートフラワー~

人生を少し長く生きた一人としての”私のひとり言”を聞いてください。

アベノミックスの波及力

2013年04月30日 15時17分58秒 | ツモ爺のひとり言

 ご存じの「アベノミックス」という言葉が世間で喧伝され、訳のわからないお年寄りをだます材料にまで使われることが今日のニュースに出ています、何かいいことに聞こえるようです、幸い未然に防がれましたが、それほど多くの人たちにマジックのような言葉に聞こえるようです。

 つまり、本当の意味が理解されぬまま、言葉がひとり歩きしているようです、先日も知り合いが「アベノミックスって何?」とツモ爺は質問され意外にも真意を知らない人も多くいるような気がしました。

 これはご承知のように金融、財政、成長の三本の矢で日本のデフレ克服しさらに成長を図ろうと安倍首相が唱えだし、アメリカのレーガン元大統領の時代に経済政策を唱えたのがレーガノミックス、これに今回あやかってアベノミックスと唱えられたとツモ爺は理解しています。


大きいアートフラワー

2013年04月29日 14時00分31秒 | アートフラワー

 高さ126センチの大きなアートフラワーですメインの花はダリアのアートフラワー

「安倍首相のロシア訪問」

 機が熟したように安倍首相はロシアの訪問外交に出ました、このロシアと日本は平和条約が結ばれていない国、原因は北方四島をロシアが終戦のどさくさで占拠、この北方四島が解決されなければ平和条約が結ばれない。

 今ロシアは二つの面で日本に近づきたいのです、一つはシベリヤをはじめ極東の開発に日本の技術と資本が欲しいのです、もう一つはガスエネルギーを日本に売り込みたい、しかしアメリカがシェルガスを将来には日本へ輸出してくる、しかも価格が安い、つまり日本としてはアメリカとロシアの両方を天秤にかけることができます。

 やはり、ロシアのプーチン大統領は根本においては二つの課題を安倍さんと話がしたいのだろうと思われます、このため、北方四島をロシアがどう解決するのか、今現在は日本にとっては有利に話を進めるチャンスです、さて、どういう結果が出るでしょうかね。


八方塞がりの時は確かにありますね

2013年04月28日 17時10分38秒 | ツモ爺のひとり言

 ゼラニュームさん、まるで呪われているのじゃないかと疑うぐらい不調の時があったとのこと、「そうですか、誰にも一度ぐらいはそう思いたくなるような不調があるのですね」八方塞がりという言葉がありますが何をやっても巧くいかない。

 こんな時は急いで何とかしようと動いても駄目ですね、よけいに悪くする時すらありますものね、こんな時は、一度、ぼおーとして何も考えず、ゆっくり時の流れるのを傍観するぐらいが、良いと何かの本にも書いてありました。

 昨日も書きましたように人間にはバイオリズムがあってこれが下がっている時は、やることなすことすべて裏目に出ると言われています、ツモ爺は自分自身に言い聞かせています「待つのも仕事のうち」と。


背高ノッポのアートフラワー

2013年04月27日 17時05分50秒 | アートフラワー

 これで高さが60センチあり、ひよろりと背の高いアートフラワーです、ピンク色の花の濃い色と淡い色で色ぐみをしています。

「待てば海路の日和あり」

 これは昔より使われた言葉です、海が荒れて港で船が嵐の止むのをじっと待つていると、やがて海は穏やかになり航海日和となるさまを言った言葉です、人にはバイオリズムがあって、調子の良い時もあれば、逆に絶不調に陥りニッチもサッチもいかぬ時があります。

 ツモ爺も目下、不調な時を迎えていますが、こんな時ジタバタしても先ほどの嵐が吹いている時ですからじっと港で我慢する時と思っています、かえってジタバタするとよけいに深みにはまりいっそう悪い事態を招くことになります、

 やがて嵐も収まり待てば海路の日和がやってくるでしょう。


聞くよりしゃべるほうが脳は活性化する

2013年04月26日 18時00分52秒 | ツモ爺のひとり言

 今日は親しい仲間が4人集まり、一つの課題についてお互いに意見を出し合う機会がありました、家にばかりいると妻とのやり取りも「今夜どんなおかずにしようか?」とか風呂に入れるよ、返事は一言で済んでしまうような会話です。

 妻からはもっと会話を弾ませようと言われるがあまり、話題がない、新聞や、テレビを見ていると疑問が出てくる、その質問に答えるぐらいが関の山、乏しい会話で、もう少し何とかせねばならない、とは思うのだが思うほど会話ははずまない。

 今日の会合はテーマーはあるものの、色々の方法、各自の考え方、それぞれ自由闊達(かったつ)にお喋りができ、ツモ爺のその場の空気にのってかなりお喋りをした、やはり喋るのには自分の頭に一度まとめて話すようになるから、頭の中はめまぐるしく回転をする。

 ゼラニュームさん、スマホのお薬手帳を紹介するNHKテレビ見ましたよ、若い人たちには便利でしょうね


四角な花器にアートフラワーを

2013年04月25日 17時29分54秒 | アートフラワー

 可愛い色合いとフオルムで出来上がりました、緑の若草が新鮮に見えます。

「安倍首相の啖呵(たんか)」

 既に新聞やニュースでご承知のことと思います、閣僚の靖国参拝に対して中国、韓国が批判、首相は「脅かしに屈せず」と胸のすくような反論を国会で行っている、中韓は歴史問題で日本をゆさぶりをかけてくる、今までお茶を濁すような反論しかできなかった。

 首相いわく「私たちの歴史や伝統の上に立って私たちの誇りを守っていくのも私の仕事だ、どんどん削っていけば(中国や韓国との)関係がうまくいくという考え方が間違っている」この言葉で日本人として救われるような気がする。

 まさに胸の空くような答弁でツモ爺も「そのとおり!!」と声を掛けたい、とことん安倍さんやって・・・


外見は大人だが?

2013年04月24日 18時28分05秒 | ツモ爺のひとり言

 今日眼科の検診を受けに待合室で待っていた時のことだ、親子、娘と母親の二人連れが入ってきた娘は身長は165センチぐらいのスラリとした大人然とした女性だ、初診ととみえて書類を書き始めたがいちいち母親に聞きながら記入する。

 母親もこの大人然ととした娘に親切丁寧に教えながら記入の手伝いをする、その娘が容姿端麗、雰囲気は大人の女性だが、親子のやりとりは甘えた子が母親にすがりつくような様子に、いささかツモ爺も唖然たる態度で見守る。

 少子家庭がほとんどだから親は何時までも濃厚密接な関係を維持する、しかし、結婚して家庭を持つようになれば波風もあるだろうし、いい親子関係ながら、いささか前途不安に感じるのはツモ爺一人だけだろうか?


爽やかなムードのアートフラワー

2013年04月23日 17時34分34秒 | アートフラワー

 そろそろアートフラワーの企画は春から初夏へ移りかけています、写真のアートフラワーはグリーンを主として黄色を使い爽やかなムードに仕上げました、花器は冷たく感じるガラス製。

「まじめに真剣に」

 まじめで真剣に、ということは重要なことで、誰しも尊重しますが、反面、世間で言う「くそまじめ」と揶揄(やゆ)される場合もあります、亡くなった臨床心理士で元文化庁長官の河合隼雄さんはこんなことを言っています、「まじめに真剣に」ということにとらわれると視野が狭くなるおそれがある。

 そして視野を広げるために必要なものは、道草、ゆとり、遊びと言っています、ツモ爺もどちらかと言えばまじめで融通が利かないと、言われます、だからこの言葉を胸のどこかにしまっておかねばならないと思っています。

 時々、袋小路にはまることがあるのです。


最後の看取り

2013年04月22日 17時40分43秒 | ツモ爺のひとり言

 昨夜のNHKスペシャルで「家で親を看取る」で考えさせられました、ツモ爺もお年頃で何時そうなるかわからないだけに、真剣になって見ました、一つの例は胃婁(胃に直接管で栄養をおくる)を受けている老女、看護している娘さんが親の苦しむ様子に、医者に胃婁は中止してほしい、と伝える。

 言うならば死を待つばかりの状況になるので、医者も苦悩する、結局その女性は他の原因で死亡するが、考えさせる大きな問題でした。

 もう一つの例は、高齢の男性、病院から退院後やはり徐々に食べられなくなり、付き添う娘さんが苦悩しながら最後を看取るという例でした、食べられなくなったら、それは寿命の終わりということになることを知りました、以前読んだ中村仁一著「大往生したけりゃ医療とかかわるな」で食べられなくなったら自然死なのだ、の言葉を思い出しました。


華やかなアートフラワー

2013年04月21日 16時38分47秒 | アートフラワー

 写真で目立つのは上のほうに咲いたグロリオサ(カミナリ様のような)それにダリア、チューリップと満艦飾を呈したアートフラワーのアレンジです。高さは114センチと背の高いアートフラワーです。

 「宗教心があるのと無いのは」

 ツモ爺が幼い時見た祖父母は、何時も「南無阿弥陀仏」と事あるごとに唱えていた記憶があります、またよくお寺参りに連れていかれ訳も分からぬのにお坊さんのお説教を聞かされた思い出があります、齢をとれば間もなく阿弥陀様のもとに帰るという意識が常にあったのだとおもいます。

 このことは、死に対して全然恐怖心が起こらないと思います、死ねば阿弥陀様の胸に抱かれ極楽往生するという確信にも似た信念があり、死に対する抵抗感が殆ど無かったのではないかと、推察されます。

 それに反して現代人はほとんどの人が宗教心が無く、科学的思想に支配されてあの世に仏陀が存在することなどが想像されなくなりました、その結果死に対する恐怖心は絶大なものがある、と思われます、「死」というものへの考え方は古き時代と現代では大きく違ってきたと、思います。