ツモ爺のひとり言~アートフラワー~

人生を少し長く生きた一人としての”私のひとり言”を聞いてください。

お陰で・・・という考え方

2009年09月30日 16時27分31秒 | ツモ爺のひとり言
 ツモ爺は足腰が悪いので、つい外出は避けてしまいます。ところが今日は病院へお見舞いに行きました、大きな病院で駐車場から患者のいる場所までそうとうな距離を歩かなければなりません。痛い足腰をかばいながら歩くのですが、やはりしんどいのです。

 帰途、病院の10階に宝塚ホテルが経営するカフエレストランがありそこで美味しいケーキとコーヒーを頂きました、妻と色々話をしながら一時を楽しませてもらいました、振り返ってみるとつらい歩行をしたお陰でこんな機会が得られた、ラッキーだなあと思えるようになりました。

 このほか、つらい思いをしながら歩く機会は沢山あります、銀行行き、仕入れなど歩行につらい思いをさせられる時、こんな機会に歩かせてもらって健康のためになる、と思い返しながら出来るだけお陰でと思うようにつとめています。つらさを思い変えることで少しは苦痛が軽減するような気がします。

夢は駆け巡る

2009年09月29日 18時06分21秒 | ツモ爺のひとり言
 昨夜3時ごろに目が覚めて、それからなかなか寝付かれずついに朝まで眠れませんでした。目が覚めると、ついアートフラワーの仕事の段取りが頭に浮かぶのです、アレを作るためにはこの材料を仕入れをしなくては、とかコレにはこうして作ってみようなど頭の中をアートフラワーが駆け巡るものですから、こうなるといっそう寝付くことができません。

 仕方が無いのでラジオの深夜便でも聞けば眠れるかと思ったのですが、たまたま小椋佳の特集をやっていてこれまた興味深々で神経は高ぶる始末、遂に5時に起きだして本格的に読書に取り掛かりました。おかげで日中はあくびが出たり眠くなったりの一日でした。

 でもこの歳になって興奮するなんて幸せな方ではないかと思うのです、頭の中は夢が駆け巡りそのうちに夢の一つでも実現が出来るだろうと期待するのです。

モバイル(携帯)に進出します

2009年09月28日 17時30分19秒 | ツモ爺のひとり言
 最近のネット販売もインターネットから販売する数量と比較してモバイル(携帯電話)から売れる数量が無視できなくなってきました。ツモ爺も携帯電話を持っていますがあまりモバイルに関しては見ていませんでした。今日、コンサルト会社に出向き実際に弊社のアートフラワーが携帯にどのように映るかを実験しました。

 ところが昔に較べて鮮明に、しかもかなり大きく映るではありませんか、これなら販売が可能と判断したのです。ショッピングモールのカラメルに進出しますのでもしお暇がありましたらご覧下さい。ツモ爺は日経流通新聞を読んでいます、これにモバイルの記事が最近増えてきました。

 今まではモバイルは画面の小さすぎることでアートフラワーの販売には向かないと思っていましたが前述のように予想を超える映像が見られこれなら可能性が有りと判断しました。

人生のピンチ

2009年09月27日 20時16分28秒 | ツモ爺のひとり言
 昨日は知人の友達の自死を書きましたが、ツモ爺もこの歳まで生きてくるともうニッチもサッチもいかない(大阪弁で言いますと)度々ピンチに見舞われてもうどうしょうもないと追い込まれた経験があります。

 そんな時ある本で覚えたのですが「俯瞰(ふかん)せよ」”上から眺める”つまり自分がピンチに追い込まれると問題の周辺ばかりに目がいってしまいちょうど袋小路にはまったようになります、そんな時にこの言葉を思い出します。

 俯瞰せよ、とは逃げ場の無い袋小路のように見えても上から見れば必ず脱出口はあるはず、ピンチに老込まれると見える角度が狭くなり同じ場所を行ったり来たりします、角度を変えると案外なところに解決策がある場合があります。

 ですから、ピンチに際しては粘り強くタテ、ヨコ、ナナメと見る角度をかえると案外解決策が見えてきます。

知人の友達の自死

2009年09月26日 16時42分18秒 | ツモ爺のひとり言
 知人の話から、知人の友人が自殺をするという痛ましい話を聞きました、知人は50歳代前半で同じ年代の方が自殺、知人の話では前々から生活にも困り知人も僅かながらも援助もしたと言う、苦しみは当人しか分らぬことがあり他人は理解できないことと思いますが、それにしても50歳前半で人生に希望を失うということはあまりにももったいない。

 死ぬつもりとなれば何でも出来ると思うのですが、諦めることが早すぎる、親兄弟にも相談しただろうか、あるいは友人、今は電話のアドバイスもある、この人には家族は無かったのだろうか、もしあれば一部始終を話せばひょとすれば解決できたかも知れない。

 ツモ爺の人生でも死にたくなったことが一度や二度ありました、しかし死んでもこの問題は解決がつかない、だから辛抱に辛抱を重ねているうちにいつの間にか暗雲が過ぎ去った経験があります。長い人生には必ず修羅場があります、それを解決するためにはまず家族の力がいります、そのほか先輩、友人回りにきっと助けてくれる人がいます、簡単に希望を捨てないでとツモ爺は言いたいのです。

希望は自分で作るもの

2009年09月25日 15時39分45秒 | ツモ爺のひとり言
 先日NHKの放送の中で「この国は何でもあるが一つだけ無いものがある、それは希望」という言葉を聞いて驚きそして、受け身で考えていないだろうかとツモ爺は思いました、希望の無い理由として年収が低い、家庭を持つ希望が湧かない、職場環境が悪い、自分を取り巻く環境からは希望が見出せない等々。

 でも、もう一度自分の持てる力、長所思い出してみよう、学力が無いから東大に行けなかった、しかし体力はあり五感、聞く、見る、味わう、言語、嗅力そのうち人より優れた点があるはず、例えば料理人を目指す、音楽を目指す、画家をめざすそのほか職業は色々とあります。

 一念発起して10年やればプロになれる、ツモ爺はアートフラワーのアレンジは見よう見真似で今ではプロと思っています。結局は希望をもって執念を燃やす以外に成功の道は無いようにおもいます。あるいは現在お勤めの会社で頑張ることも大切だ、今出来ることをトコトンやり抜く。

 希望に対してアキラメが早すぎないか?

ハードな一日でした

2009年09月24日 17時39分42秒 | ツモ爺のひとり言
 連休も明けて溜まっていた仕事を一斉にやり出す、世間も動き始め車で街中が混雑、銀行へ行ってもATS機の前では人の行列、仕事の開始で他人も忙しいけれど、ツモ爺も一日多忙で暮れました。毎月恒例になっている書籍と共にメッセージを書いて印刷、そして24軒に出す作業で午前一杯かかりました。

 午後から銀行へ行き支払い先に送金手続き、明日の配達の準備、これがなかなか厄介、済んでからその伝票を書き、さらにこれから夕食を済ませ、夜の会合に出かけます、忙しいと言うよりは79歳のツモ爺にとっては少々ハードな一日でした。

今の流行は?

2009年09月23日 09時48分43秒 | アートフラワー
 以前から申し上げていましたように、現在のアートフラワー(造花)に限らず生のお花のアレンジに至るまで、グリーンの葉っぱを加えるアレンジ(組み立て)がナウい感じを与えています。この写真のアレンジはスッキリ伸びた葉っぱが印象的です、作っているツモ爺の感じでは葉っぱが主力でお花は従(じゅう)とすら思います。カラーバランスさえとれていればいいのです。

 思うに現代社会があまりにも近代建築となり、どちらかといえば無機質となり人が安らぎや故郷がえりを望んでいる象徴として緑すなわちグリーンを求めているのではないでしょうか?最近の建築物では屋上に緑の植物を植えるのを始め壁面にまでグリーンをはわせるところまで出てきました。

 これらの現象から見て現代の無機質に少しでも暖かさや安らぎを求める人間の気持ちがグリーンを流行らせてきたとツモ爺は大胆な論を立てました。その一端がこのようなアートフラワーのアレンジを作らせました。

可愛い絵をもらいました

2009年09月22日 16時19分38秒 | ツモ爺のひとり言
 敬老のお祝いに中学生の孫から夫婦の似顔絵をもらいました、実に私たち夫婦の特徴をとらえています、妻はカラオケのマイクを握って絶唱中というスタイルでツモ爺のは仕事がらお花を抱えている様子でユーモラスな絵です。

 さっそく額に入れて飾っておこうと思います、もう既に一枚、男の孫が小学生時代に書いた絵も飾ってあります、この絵は小学2年生の時の絵で稚拙ですが色使いがよく立派な額に入れてあります。

 こうして孫に対してできるだけ褒め、励ますことが孫たちが自分に自信を持つようになり将来を切り開いていける元になるのではないかとおおげさに考えています、

敬老の集いに参加してきました

2009年09月21日 18時38分34秒 | ツモ爺のひとり言
 79歳のツモ爺は地区の「敬老のつどい」に招待をうけて参加してきました、妻は74歳でお手伝いをする側です、じっと見ているとお手伝いする方々も、若い人は少数で相当な年齢の方が多く、世に言う「老老介護」を地でいっているような感じを受けます、高齢者の後にもすぐ高齢者が数珠つながりという風潮です。

 つどいには市長をはじめお歴々の祝辞にはじまりアトラクションの中には小学生の孫もよさこいの踊りに加わっていたので、ひたすらツモ爺も見ていました。その他に中学生の吹奏楽の演奏、幼稚園児の歌など盛りたくさんで一時を楽しませてくれました。

 なにせい、相当な高齢者も招いての行事ですから万一のことを考えると、そうとう神経を使う行事です、主催された方々やまたお手伝いの方々ご苦労さまでした。