ツモ爺のひとり言~アートフラワー~

人生を少し長く生きた一人としての”私のひとり言”を聞いてください。

年寄りの先行きは明か暗

2008年06月30日 23時05分19秒 | ツモ爺のひとり言
数日前、千葉県柏市でおこった事件は77歳の男性が妻と長男夫婦さらに孫まで殺害するというむごい事件で78歳のツモ爺も胸が痛みます。

話は変わりますが、同じ部屋の隣のベッドの男性(推定83歳くらい)が昨夜はナースコールを使って、約7~8回呼びよせました。歩行困難のため車椅子を使いその都度電燈をつけますからこちらも眠れません。私は辛抱すれば済むことですから問題ありませんが、隣の患者が自宅へ帰ったらとてもこのような介護を受ける事は難しいと考えられえます。

このように年を老いることは体も不自由になり他者の手を煩わすことが多くなります。下手をすると家族の間にも険悪は空気が漂うかも知れません。ですから不充分な医療であっても周囲に感謝をしながらすべても受け止めていく気持ちでこれから先の明るさにつながるか暗さに直行するかの分かれ目のように思われます。



病院の今昔

2008年06月29日 21時37分40秒 | ツモ爺のひとり言
ツモ爺の入院している循環器病センター病院は完全看護です。しかし父が入院していた時代は付添いがいるのが普通でした。その付添いさんの日当で1万円で長期にわたると経済的にも深刻であった事を記憶しています。

その点今日の病院の入院システムは循環器病センターのように看護士がトイレ食事など生活全般をサポートしてくれています。これは家の者にとってはとても助かります。

前述のように付添いを頼むか家の人間が看護するにしても大きな犠牲が必要となります。その点時代の進歩でしょうか、すべて入院中は病院側におまかせすることは、入院する本人も家族も楽になってきました。


女性の二面性

2008年06月28日 20時33分46秒 | ツモ爺のひとり言
手術の時、手術室に入りますと看護士(女性)4名待ち受けていて、その場の言葉のやり取りは、ビジネスライクな至って事務的な単々たる応答でした。日頃ツモ爺の女性に対する認識は女性らしい、優しさというものを感じています。

手術室の女性は人の命を預かる緊張あふれる職場ですからピーンと一本張りつめたものがあり、従って先きほどの言葉になったものと思われます。

反対に病棟の看護士は私たちを優しくいたわりながら仕事を進めていきます。ですから、同じ女性でも職場環境によりそうとう違ってくるのは当たり前のことでしょう。

もちろん男性も仕事を進めていく場合はビジネスライクでやっていきますが、やはり仕事が一段落したら上下の距りなく付き合う優しさも必要です。その意味では人間、誰しも二面性を持っていますね。

管(くだ)が全部はずれました

2008年06月27日 21時51分00秒 | ツモ爺のひとり言
手術直後は、点滴が2本の管を通じて体力補強と血圧降下剤が体に送りこまれています。また、尿管もつけられ小水(尿)は自分の意識とは関係なく体から外へ流れ出ています。

この状態で便所に入り大便をするのですが、ふつうは大小便は同時に排泄しますが、小便の方は管を通じて、大便は意識して出そうとしますから妙な感覚で違和感があります。

これなども初めての経験です。管がスパゲッティのように付けられて身動きが出来ませんが、その管が全部はずれて、とても解放感を味わいました。

手術は成功しました

2008年06月26日 14時55分34秒 | ツモ爺のひとり言
当日(23日・月曜日)9時頃手術室に車椅子で連れていかれました。特殊な雰囲気、胸はドキドキ、ここまで来ても何とか逃げられないかな~~~往生際の悪いツモ爺です。

やがて手術台(いちおう安いふとんが敷いてありました)にのって吸入マスクで口をふさがれ頭がモヤ~として、もうそのあとは記憶がありません。時間にして1分たらず。あとは何も覚えていません。

妻の言うのに夕方7時頃対面したらしいのですが私は全然記憶がありません。オペ(手術)を担当した医師によればやはり右側の首の血管にはプラーグ(堆積したヘドロのようなもの)がちぎれ、それが脳に入る可能が大で、よい時期に手術をした、とのことでした。

やっと意識が戻り始めたのは夜9時頃で「深呼吸してください!」の言葉でした。これがつらくて、大変しんどいものでした。

今回手術をして成功しましたが、大きい手術にはそれなりの体力がいることです。翌日少々熱が出、食事ものどを通りませんでした。

病院内のカルテ

2008年06月24日 10時46分40秒 | ツモ爺のひとり言
循環器病センターのカルテは約30センチ四方のブリーフに綴られていて、そうとう部厚く重いものです。行く検査場によってはこの他に各所のレントゲン写真のようなもの、例えばMRIでしたら頭脳の輪切り写真が幾つも写った写真を持っていきます。

つまり、各検査場は専門化していてカルテ集や他部門の写真を見て総合判断できるシステムになっています。専門部門同士が連携できるようになっています。

これからの医療が高度となれば、ますます専門化せざるを得ないしょう。しかし人間としてその箇所の病気は治っても極端な例、死んでしまうかもしれません。専門化は時代の趨勢ですが、人間を扱う以上は全体も見つめてほしいものです。

その意味で病院内のカルテは、その人の全体像と個有病を見るために必要なものです。

今日は手術の当日です

2008年06月23日 07時26分14秒 | ツモ爺のひとり言
今朝9時から循環器病センターで右頚動脈内の血管(血管内のプラーク、いってみれは“ヘドロ”のようなもの)切開してプラークを取り除く手術が始まります。

これまでの病院側の医師団の真摯なご努力と懇切丁寧な看護師さんの姿勢を見て安心して、また感謝して手術を受けます。もちろん人間ですから不安もありますが、これまでの病院側の態度は何とか助けてやろうと、多くの人たちが協力してくれました。

首筋のことですからリスクもあります。脳にも関係します。しかしそれにあまりある病院の方々の熱意と万全の態勢にツモ爺は信頼して手術をしていただきます。


人材の豊富さ

2008年06月22日 16時16分29秒 | ツモ爺のひとり言
手術といえば患者にとって恐怖心がつきまといます。まして首筋ですから、いっそう不安を増します。もちろん専門医師たちによって行われますが、理屈はそうでもい感情のほうが許しません。

ところが外科・麻酔の医師と面接し内容の説明を充分に聞けば少しは納得します。それでも怖ろしさは完全には拭えません。

最後に面談したUCN(手術後すぐ看護ケアする部屋)の看護師さんはすばらしい方でした。表情、話しかけなどを通して全幅の信頼を与えてくれました。もちろん現在の病棟の看護師さんたちも優秀な方ばかりですが、前述の看護師さんは一頭地抜きんでていました。

このように医師、看護士、検査技師はいずれも優秀な人材が揃っていて、しかも層が厚く感じる病院です。

気分転換に帰宅しました

2008年06月21日 17時39分15秒 | ツモ爺のひとり言
明後日の手術を控えて、担当医師の許可をもらって自宅に土、日曜を利用して帰宅しました。

幸い兄弟3人が吾が家に集ってくれて、お見舞いと励ましを受けました。私は経緯を説明し状況を報告しましたところ、脳梗塞になるのも未然に発見できてよかったと言われ、もし知らずに生活をしていたらと思うと不幸中の幸いであったと思うのです。

何はともあれ、吾が家の空気、雰囲気にひたりながら手術用の品々を揃える一日です。夕食は娘たちと共にします。

何かこの世の別れのような雰囲気となりましたが、明日への希望の門出としたいと思います。


手術をする決心をしました

2008年06月20日 19時09分37秒 | ツモ爺のひとり言
約15日間にわたる検査の結果、医師側もこのままでは危険と判断して、首筋の血管の右側が内部にプラーグ(堆積物)が途切れて、その断片が脳に入り脳梗塞をおこす可能性が高いと判断されました。(もっかのところ痛くもかゆくもなくピンピンしています)

私の病棟の入院患者の約3分の1(1/3)が脳梗塞の患者で、その日常生活の不自由さは目に余るものがあり、この方が退院して家庭生活に入ったら家族の犠牲は大変なものだろうと想像がつきます。

私も、これから生きていくうえで家族に犠牲をなるべくかけたくないという思いが強くあります。脳梗塞には程度が色々あり、何とか自分の事は出来る軽症から、全く人の手を借りなくてはならぬものまで程度の差はあります。人それぞれによって違います。

そんな事を考えると手術は恐ろしいのですが、前述のように死ぬよりつらい状況に陥ることを避けるため手術を受ける決心をしました。