退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「わかっちゃいるけどということ」について

2017-06-19 02:17:47 | Weblog
くもり。夕空が異様にピンク。

ジェーン・スー「女の甲冑、着たり脱いだり毎日が戦なり。」を読む。

他人から要求される「女性らしさ」を拒む一方
自らはそうもなりたいという「こじらせ方」が興味深い内容。

「男子」からすると「自意識の壁」というかたちで理解はできる。
もっともこちらは「勝手にやるだけ」で「周囲からの要求」はない。

なるほどこれなら「ありの~ままの~♪」がウケるのも納得。
「女子の本気」に男子がついていけるかどうかは微妙。

「好きに生きること」はまだまだ難しいらしい。
わが国においては「外国人扱い」されれば「成立」しなくもないのだけれど。

菅野完「日本会議の研究」をようやく読む。

左翼全盛の時代に唯一成功した長崎大における右翼の運動。
そこで得た「ノウハウ」をひたすら続けてきた結果が今日の「成功」の源だと。

「地道にコツコツ」という「まっとうさ」は誰もが参考にすべきこと。
もっともそれが「日本会議とその周辺」だけだったという皮肉よ。

「大本」が結局は「難病から回復したひとりの男性」だというのがいやはや。
「当事者のリアル」を「尊重」しすぎているような。

「ラジオで聴いた話芸」を元に大いに力を発揮したとの解釈も。
「技の見事さ」とそれに納得することは「次元」が違うような。

要は「泣けること」と「映画の質」はあまり関係がないということ。
やはり「知性の欠如」がここでも。

今日のニュースでは安倍政権の支持率が10%ほど落ちたことなど。
祖父の岸同様「強引な国会運営」が響くあたり「どこまでも繰り返し」だったり。

マル激を観る。

「多数の賛同」を得るためには自分の思いは横に置いて「機能的にふるまうこと」が重要。
それに「耐えられる資質」がないとダメだと再確認。

「自分にはムリ」だということをあらためて。
まるで「うんこ」を「魅力的な存在」に見せるくらいの「難行」に思えてしまい。

この点においても「子ども」だということか。
流行りの「漢字ドリル」を鼻で笑ってしまうのだからどうにも。

もちろんそれで子どもたちが今まで以上に漢字を覚えやすくなることは認めるとして。
そもそも「好奇心」さえあればどうにでもなるはずだという感覚が残り。

「好奇心」をきちんと発動できるだけの「余裕」が「家庭環境」になければ無理なのも承知の上。
ここに至って「わかっちゃいるけどやめられない」の「真実」が。

勝手に生きることを続けるのみ。
ご縁があればできるだけ楽しく過ごしましょう。
コメント
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