退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「怠惰ゆえの『めんどくささ』が生み出すもの」について

2017-04-25 02:13:05 | Weblog
晴れ。背中の日差しが熱い。

小田嶋隆「超・反知性主義入門」を読む。

「反知性主義」とは本来「硬直した知性」に疑問を投げかけるもので
「現実」に向き合う考え方だったはず。

ところがこれがわが国という「特殊な磁場」にかかると「バカの代名詞」に。
相変わらずその「翻訳の歪み方」は激しい。

大して「現実」を知らない者たちは
「『現実を知っている』とされる者」に「過剰適応」する傾向が強く。

それが例えば「戦場」だったりすると
「安穏な平和の大切さ」をある種の「弛み」だとして批判することになる。

ただし「戦争」という「圧倒的に広範囲な交通」について
「神」のようにすべてを見通す者がいるわけもなく。

あるいは。

何事にも「シニカル=嘲笑的」であることが「最優先」されたり。
なぜならそれがいかにも「何事かを知っている者の態度」に似ているから。

所詮「素人のモノマネ」なのだから「化けの皮」が剥がれるのも早い。
せめて「本職の芸人」並みの「技」がないとどうにも。

すべて「本音」を優先する「ルール」を無根拠に信じ込むなのはなぜか。
「それこそが『現実』だ」という思いをもたらすものについても同様に。

いたずらな「正義感もしくはその裏返し」を
「事実もしくは証拠」もないままに「拡散」「同調」するのはよした方がいいだろう。

結局「ネット」という「誰もが発信可能で容易につながれる装置=おもちゃ」に引きずられ
「自分というフィルターの単純さ」に甘んじているのみ。

繰り返すがわれわれの脳は「世界そのもの」を受け入れられず「単純化」する「装置」。
ならばむしろ「世界の複雑さ」にもっと目を向けたいもの。

そもそも「思い通り」になるわけがないのが「普通」である環境で暮らす以上
「束の間のカタルシス」に「中毒」するのは「貧しさ」ゆえ。

その「貧しさ」をまずは噛みしめた上で
できれば「楽しい人」になっていただきたいところ。

「複雑さ」を味わえないのはむしろ「怠惰」のせいだと思うくらいがいいかも。
「思い通りにならないこと」を「めんどくさい」とのたまう人々の多さよ。

なぜそれが「めんどくさい」のか。
たまにはそうしたことを考えてみるのも一興。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする