退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「卑屈」になれという「教育」をするシステムについて

2011-01-25 02:55:43 | Weblog
晴れ。寒さは少し緩む。

藤原智美「検索バカ」を読む。

ネットで検索した情報ですべてを済ますのはおかしいと。
いわゆる「空気を読む」という姿勢もよろしくないと。

著者の主張はわからなくもないものの
全体に「朝日新聞」のような「匂い」がするのがやや鼻につく。

若者たちが「空気を読む」のはある意味で当然。
なぜなら彼ら彼女らは「内申書」で評価される世界を経験してきたから。

「評価される」ためには
イヤイヤながらだとしても先生もしくは学校の「評価するもの」を受け入れざるをえない。

学力そのものを測ることはテストで出来るし
生徒の「人間性」などを測るというのはむしろおこがましいこと。

なぜなら評価する先生の「好ましい人間像」というフィルターが
そもそも本当に「好ましい」かどうかはわからないから。

テストの点数で学力を評価するだけでいいのに。
人は学力だけで判断されるものではないということが自動的に明らかになるはず。

現在の「内申書」は「卑屈なふるまい」をむしろ奨励するだけのもの。
これでまともな人間が育つわけもなく。

実は大人の世界も同様だったりするので
心ある子どもたちはその種の「悪習=悪臭」に染まらないようにしていただきたい。

とりあえずその場を「しのぐ」ためには
そうしないわけにはいかない「現状」は重々承知しているけれど。

生徒たちに立派な「感情教育」が出来る人こそ先生になるべきなのが「本来」。
ただしわが国にはその種の「人材」が払底して久しい。
コメント
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