退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「道しるべ」について

2010-05-15 02:05:25 | Weblog
快晴。今日も風強し。

福田恆存「日本を思ふ」を途中まで読む。

オリジナルは昭和四十四年(1969)に出たものらしい。
学生運動がまだ盛んだったはずの当時はどう読まれたのだろう。

個人的には今のところ「西洋近代」をまとめて見せた
「近代の宿命」(昭和二十二年)がなかなか興味深かった。

西洋のように「本物の近代」がなかったはずの日本が
どこを間違ったか「近代の超克」などを唱え始めて。

自らが「後発」であることを忘れむしろ「最先端」だと思うあたりは
「ポストモダン」が叫ばれた当時「喜劇」として繰り返されたもの。

「いまや、ぼくたちはぼくたちの立ってゐる位置をはっきりと見きはめている。
神と理想的人間像となくして、個人の確立もその超克もありえぬことを。」

「が、ぼくは知ってゐる。唯一のことを知ってゐる―すなはち文学者としてのぼくたちに
とつて、この絶望と希望との交錯のうちにただ静止する以外に方法のないことを。」

「進んでいること」や「遅れていること」を過剰に意識する者たち、
彼らの右往左往する様子を見ての言葉は今でも通用するはず。
コメント
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