真実一路くんのひとり言

だれがやっても同じやとあきらめず、一歩ずつ
長いものには巻かれず、真実を大切にして。

また、怒りがわいてくるー石破さん

2007-09-30 | 政治

責任逃れもはなはだしい!!

国から補助金の建設会社、石破防衛相代表の自民支部に寄付
 

 石破防衛相が代表を務める「自由民主党鳥取県第一選挙区支部」が2005年12月、国から補助金を受けていた宮崎県日向市の建設会社から10万円の寄付を受けていたことがわかった。http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/nation/20070929i406-yol.html

「適切でないので返金する。再発防止のために、国の補助金を受けている会社のリストをつくるなど、政府として対策を講じるべきではないか」と話した。

 大臣にもなる「有能な政治家」だ、知らなかったとでもいうのでしょうか。
 「政府として対策を講じるべき」とは、…開いた口がふさがらん、いったい誰のことやねん。
 もう、まったく無責任、責任逃れもはなはだしい。
 「適切でない」のではない「違法」なのだ。
 「返金」すればそれでしまい?

 はびこるはずだ。

 永田町にも、「山びる」がうようよしている。
 「オヤダマびる」に
 「ダンゴウキギョウケンキンびる」「キサイモレびる」「アワテテテイセイびる」などなど…
 まだ、隠れている「びる」もいる
 そんじょそこらの「塩」では足らない

 日本中の「塩」が必要だ。
 みーんな、「しーお」もっておいで!
 「しーお」もっておいで!
 怒りの「しーお」をぶっかけろ!
 ぶっかけろ!

 


 

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これを「不正」と言わずなんと言うー福田首相

2007-09-29 | 政治
 きちんとした説明責任を!うちらの税金(政党助成金)だぜ

首相の政党支部、領収書あて名書き換え 06年収支報告(朝日新聞) - goo ニュース

 たとえば、こうだ。「東京都内の高級うなぎ店が04年4月30日に発行した領収書のあて名は、福田氏の資金管理団体「千代田経済懇話会」(東京都)。これを二重線で消して「自由民主党群馬県第4選挙区支部」の判だ。(赤旗9月29日)

 領収書のあて先をわざわざ二重線で消して「自由民主党群馬県第4選挙区支部」や「福田康夫選挙事務所」の判をかってに押すなど常識外の話しだ。
 領収書は、発行する側が相手先を記入するのがあたりまえだ。あて先を勝手に改ざんしたり、白紙にあて先を記入したりすれば税務署では通用しない。勝手に書き換えたりすれば「文書変造罪」だ。これを収支報告書に計上すれば虚偽記載そのもの。政党支部には税金である政党助成金が入っている。そんなでたらめな領収書で税金を使わないでくれ!と言いたい。総裁選で福田首相は、「政治とカネ」ではいたって消極的だった。こんなことを知ってか知らずか。麻生元幹事長は総裁選のなかで言ってた。「税金である政党助成金については、はっきりさせる必要がある」と。
 「…別にそのことによって利益を得るとか、不正をしたとか、そういうことではありません」と釈明したそうだが、「汗顔の至り」ではすまされない。はっきりと説明責任を果たしてもらいたい。

 こんな不正がまかり通るようなら、税金である「政党助成金」は、廃止してほしい。
 参院選の結果を受けて、総務相は18日、再計算をした07年政党助成金の交付額を発表したが、自民党は165億9600万円だ。ちなみに民主党は110億6400万円。公明は28億600万円。社民9億6800万円。

 「背水の陣」内閣はいずこへ?いくのか。
 「カネ」で政治を喰いものする自民党政治の古い体質こそ「改革」を願いたいと思うのは私だけでしょうか。



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「無言館」に寄せて

2007-09-28 | 読書

    


 「無言館」って? 「ムゴンカン」と読みます。
 なんやろとお思いでしょう。
応援よろしく
 長野県上田市にある美術館です。
 なぜ、そんな名前がついているのでしょうか。ここの館長さんが「『無言館』にいらっしゃい」という本にそのワケをかいています。
 実は、その館長さんというのは、作家の水上勉さんの息子さんです。その人の名は、窪島誠一郎さんといいます。そのことを知ったのは、「同じ世代を生きて」(水上勉・不破哲三往復書簡」を読んで、巻末に窪島さんが父への思いや往復書簡について寄稿されていたからです。

 で、そんな名前がついているワケは、
「無言館にならんでいる絵が、名にも語らずに黙っているからです。そして、なにも語らず黙っているけれども、その絵からはたくさんの言葉が伝わってくるからです。…それともう一つ、「無言館」という名前をつけた理由があります。
 無言館の絵は、その絵が『おしゃべり』をしないだけでなく、その絵をみるわたしたちのほうもおしゃべりをせずに黙っているからです。無言館にやってくる人々は、みんな無言館の絵の前で立ちすくみ、何も言わずに静かに帰ってゆくのです。」
ということで「無言館」と名付けられたそうです。

 

 では、いったいどんな絵がかざられているのでしょうか?
 有名な人が描いた絵ではありません。
 「そこには、戦争で死んだ画学生さんー美術学校で絵を勉強して途中で戦争に行って、そのまま戦場から帰ってこられなかった画家のタマゴたちの絵ばかりがならんでいるのです」

 では、なぜその絵の前に立つ私たちまでが、無言のままそこに立ちすくんでしまうのでしょうか。実は、私も無言のまま、立ちすくんでいました。

 「画学生たちがこの絵を描いたのは、かれらが戦争にゆく直前のことでした。召集令状を受けとって、あと何日かで戦場にゆかねばならない、そんなギリギリの時間に描かれたのがこの絵でした。画学生たちは心のどこかで、『絵を描くのはこれがさいごかもしれない』、あるいは、『戦場に行ったら生きて帰ってこられないかもしれない』と覚悟をしていたはずです。…生きているうちに一つでも満足のゆく作品をのこしてゆきたい、いい絵を描いてゆきたいとそのことだけを考えて描いていたのにちがいありません。だからこそ、画学生たちの絵には私たちの心をうつ『情熱』があふれているのではないでしょうか。」と館長さん。
 伝わってくるんです。絵筆をもった愛の強さと情熱が、その絵から伝わってくるんです。

 館長さんは、「ですから、画学生たちの絵の前に立った私たちは、あらためて『戦争』のむごさ、『戦争』の悲惨さ、『戦争』がどれだけ人間を不幸にさせるものかを考えずにはいられないのです。
 そして、もう二どと戦争などという愚かな歴史を繰り返してはならない、今ある平和を大切にしなければならない、と言う気持ちにおそわれるのです。」と書いてます。

 「もう一度、描きたい!」
 その情熱が伝わってくる「無言館」です。その情熱を無にしてはならない。

 「無言館」館長・窪島誠一郎さんは、やはり父・水上勉とち かけいでつながっている。


さあ、みなさん
戦没画学生の待つ「無言館」にいらっしゃい!(館長さんのよびかけです)

←応援よろしく

 

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


















 

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「同じ世代を生きて」(水上勉・不破哲三往復書簡)を読んで

2007-09-27 | 読書



同じ世代を生きて 水上勉・不破哲三 往復書簡を読んで

―地下茎でむすばれている二つの土台―
<o:p> </o:p>

読み終えて、実にすがすがしい思いである。

戦後を代表する一人の作家と政党指導者の交心記録である。

二人の仕事ぶり、活動ぶりがかい間、見えて楽しい。

お互いを思いやる実直な交心が、読む人の感動を与えずにはおれない往復書簡だ。

きっかけは、お互いの「心臓病」であったが、「同じ世代を生きて」、地下茎でむすばれているものの土台を痛感させられた。

 不破夫婦が勘六山の山房を訪問(1995年8月23日)したとき、七加子(不破夫人)さんが「私が見るところ、それぞれの仕事を認めあっているけど、それでいて自分の考えを押しつけたりしない。通じるものがあるとすれば、水上さんの作品の中にあるように貧しい人、苦しんでいる人、いろんな障害をもってる人、そういう一人ひとりの人間への気持ちじゃないかしら…」と話されたとき、水上さんは「そう、目で見えない地下茎でつながっている。ただ、私は泣いとるだけですよ。泣き歌だから、それは通じるんでしょう。小説はその泣き節で読者に喜ばれ、支持をかちえるが、不破さんは泣くのがおいやで政治家になられたと思う。だが地面の下ではつうじるんですよ」と二人が共感しうる思いを述べている。

二人の対談(1999年11月27日、28日)で不破氏はこう語っている。「水上さんはすぐ『私は泣き節だ』とかいうんですが、“泣き節”でも“訴え節”でも共通なのは、社会を弱者の立場から、また底辺の側からみるということ、それがずっと流れているでしょう。…こうして、弱者の立場、底辺の立場から、人間をとらえ社会をとらえ、その角度からそのことの悲しさを描いてゆく。これが水上さんの言う“泣き節”だとしたら、それは同時に、これでいいのか、という“訴え節”になっています。…文学と政治、道はちがうのですが、この点では、水上さんの歩まれてきたこととの共通点というか、接点を非常に感じるんですね」と。

地下茎は「社会を見る角度」という考え方の土台の部分で深く結ばれている。
<o:p> </o:p>

もう一つ地下茎で強くむすばれているものは、日本の戦争の問題である。いまその時代をふりかえるとき、あの戦争も他国への植民地支配も、絶対にくりかえしてはならない誤った歴史と見る点で、おなじ見方、同じ気持ちをもっていることが、じかの対談で直接確認できたことを心強く思っている。(不破氏)

1989年の昭和天皇死去のとき、朝日新聞が「昭和と私」という文章を10人の知識人に書かせ(夕刊の連載)、その文章の最後の部分、「平成と改元されても、あやまちの多かったこの人生をひきずってゆくしかないのである。戦争をおこそうとする者にはあとわずかな命ゆえ、命がけで闘わねばならぬとぼくは、1月7日から8日にかけて、ひとり考えた」。(「戦争を呪う今日を生きる 欺瞞の過去に感慨無量」1989年1月13日付夕刊)
 この文章について不破氏は「このとき、追悼の言葉をいっさい言わないで、昭和を総括するというのは、なかなか勇気のある文章ですね」とそして「人の心を打つ強烈な力をもった文章だった」と、自身の感動を述べている。
 

 水上作品の一つに「釈迦内棺唄」がある。若州一滴文庫版の「あとがき」に「この事件は日本人というものが、私もふくめて、いざパニックがくれば、どんなことをしでかすかしれないという、恐ろしい人間業としての残忍さを剥すのである。『花岡事件』にかぎられていなかった。…戦後も40年もすぎると、人には、イヤな暦を破りすてたい気分が生じ、ややもすると古傷を堀だす行為を云々する傾向にある。それでいいのだろうか。この世には忘れてはならないことというものがあって、人間である以上は、何ども何ども語りつがねばならないことはあるものだ。戦争というものを二どと起こしてはならないならば、『花岡事件』は、日本人として忘れてはならないことの一つだ。」と記し、不破さんはそのことを「日本の過去の侵略戦争や植民地支配についての歴史認識が問題になっている今日、これは日本の過去をふりかえるさいに、銘記すべき文章だと思う」と述べている。

 沖縄戦「集団自決」問題での文科省の検定や従軍慰安婦問題など侵略戦争を美化する動きが強まっているとき、水上氏が書いた「戦争をおこそうとする者には、命がけで闘わねばならぬ」は、二人の揺るぎない土台として、地下茎でしっかりとむすばれているのである。

※「釈迦内柩唄」は新日本出版社で新刊発売中



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福田康夫語録…一寸先は闇

2007-09-25 | 政治

人の嫌がることはしないそうだ。
そう、しないで欲しい。
庶民の嫌がることはしないでください。
でないと、一寸先は闇。
「こんなことになるとは夢にも思っていなかった。…」
「風のごとく来りて、風のごとく去るということだ」
てな、ことになりかねません。

福田康夫さん語録より
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070924-00000922-san-pol

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福田新総裁に期待できるか?

2007-09-24 | 政治

福田新総裁、「カネ」控えめ 資金透明化には慎重

 自民党新総裁に決まった福田康夫氏はこれまでの首相や総裁選候補に比べ、「カネ」の面でも控えめなのが特徴だ。06年の資金管理団体の総収入額は、当時総裁選の準備を進めていた安倍首相の5分の1以下。ともに総裁選をたたかった麻生太郎氏らを大きく下回る。一方、政治資金に関しては透明化に慎重な発言が聞かれるなど、積極的な姿勢は見えてこない。http://www.asahi.com/politics/update/0923/TKY200709230151.html?ref=desktop


 「政治とカネ」の問題で言えば、国民の多くは「やましいことをしているのではないか」と不信をもっているわけで、胸をはって、堂々と国民の前に公表できなければならない。焦点になっている政治資金の領収書を1円から公開する問題については、「すべてを公開することが妥当がどうか、疑問に思っている」とすこぶる消極的だ。こういう姿勢では、国民からの「信頼」を取りもどすことはできない。自民党の古い体質、そのもので、ここにこそ「自民党をぶっ壊す」ぐらいの「改革」が必要だ。そうでもしないと国民の政治への不信はなかなかぬぐい去れない。

 総裁選で、「政策論戦」をしたかのように見せかけても、結局は、財界いいなりで大企業中心、アメリカいいなりの枠組みから、脱することができない古い自民党政治をそのまま続けることを示したにすぎない。

 民意にそむき、破綻した政治路線にしがみつくようでは、誕生する福田新政権に期待することはできない。

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テロ特措法ー給油活動のほんとうの中味は?

2007-09-22 | 政治

米艦への給油量訂正、イラク流用の可能性 防衛省

http://www.asahi.com/politics/update/0921/TKY200709210338.html?ref=desktop2007年09月22日10時20分
 インド洋で活動する海上自衛隊の補給艦が03年2月、対イラク戦争開始直前の米空母キティホークに間接的に給油していた問題で、防衛省は21日、当初20万ガロン(760キロリットル)と国会答弁などで説明していた燃料の供給量を80万ガロン(3030キロリットル)に訂正した。同空母は、給油を受けた後、ペルシャ湾内に入って対イラク作戦に従事していたことが判明している。日本が提供した燃料がテロ対策特別措置法の目的外で使われた可能性が高まっている。  この問題は、03年5月にキティホークを率いる第5空母戦闘群のモフィット少将が横須賀に帰還した際、海自から間接的に燃料補給を受けたと証言して発覚。当時の福田康夫官房長官は会見で「キティホークの燃料消費は1日20万ガロンで、(海自提供の燃料は)ほとんど瞬間的に消費してしまう。イラク関係に使われることはあり得ない」と述べていたが、80万ガロンに訂正したことで、説明と食い違いが生じる。


 国民にほんとうの中味をもっと知らせてくださいーー
                テロ特措法延長も新法もいらない

 総裁選も大詰めだが、日本記者クラブ主催の21日の討論会でも、福田氏は「(新法は)この臨時国会に出す」、麻生氏も「少なくとも臨時国会で成立をはかれるようにすべき」と強硬姿勢だ。
 キティホークは当時、対テロ作戦だけでなく、対イラク作戦の任務をもっていた。キティホークへの間接給油は、海自の補給先をアフガニスタンでの「不朽の自由作戦」(OEF)にあたる艦船に限定しているテロ特措法に違反だ。
 「データの入力の誤り」?。米側に確認中だと。
 市民団体ピースデポの代表は「80万ガロンでキティホークはやく1週間航行できる。日本の燃料がイラクの南方監視作戦に使われた」と指摘している。

 「アメリカのためにやっているわけでもなんでもない」(麻生氏)、「国際社会から高く評価されている」(福田氏)なんていいながら、「国連安保理へ「謝意」の根回しだ。、「国連が期待しているという実態をぜひわかるようにしてもらいたいという話しはした。これが根回しと言われれば根回し…」と麻生氏。もうバレバレだ。

 アフガンでの報復戦争は、泥沼状態。
 戦争でテロはなくせない。
 戦争継続のための軍事支援は、中止すべきである。
 平和憲法をもつ、日本の果たす役割はいくらでもある。


 


 


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もっと、教育に予算を!

2007-09-21 | 政治

東京新聞:公的支出ワースト2 教育費、OECD調査:社会(TOKYO Web)
公的支出ワースト2 教育費、OECD調査 2007年9月18日 21時07分 経済協力開発機構(OECD)は18日、加盟30カ国の教育環境を比較した調査結果を公表、2004年国内総生産(GDP)に対する日本の公的な教育費の支出割合は3・5%で、ギリシャの3・3%に次ぐ最低水準だったことが分かった。03年調査では3・7%で、加盟国最下位だった。

せめて、OECD加盟各国平均の5.0%に

 フィンランドは、義務教育無償の国。授業料は大学まで無償である。しかも、OECDの学力調査(03年)でも世界一です。
 フィンランド並みの教育を実現しようとするとどうなるか。
 まず、小中学校で30人学級を実現するのに文科省の試算で約8000億円。義務教育の完全無償は、文科省の「子どもの学習費調査(04年)」をもとにした試算で、小中学校で約1兆5000億円程度。高校の授業料と教科書代を無償にするのに約7000億円、大学、短大などの学校納付金を無償にするには、文科省の「学生生活調査」(04年)をもとに試算すると約3兆円(私立学校分も含む)。総計で約6兆円。消費税でいうと約2.5%分ぐらい。ただし、消費税でまかなう必要はない。
 現在でも、学校教育への財政支出は約17兆8000億円。いまの予算の約3割増しになる。たしかにフィンランドは、消費税22%で物価も高い。いまの日本は、税金の集め方もおかしいが、足りないのではなく使い道がまちがっている。大型公共事業や軍事費のムダを削減する、大企業や大資産家への特別な減税を止めれば実現可能な金額だ。
 せめて、OECD加盟各国の平均5%にするとあと8兆5000億円増えることになる。フィンランド並の無償にしてもなお、お釣りがくる。

 フィランドでは、強制や受験競争がないとのこと。日本は、国連子どもの権利条約委員会から「過度に競争的な教育」と指摘される始末。
 今年の4月の全国学力テストはその典型である。事前に学力テストの問題が配布されたり、テストの際に教師が誤答している児童に合図するなどの不正、京都・八幡市でもテストのためのテストを入学式の日にも行ってみたり、教育の現場でこういう不正がまかり通る異常な国、恥ずかしい国である。地域間や学校間に格差をつくるゆがんだ競争、市場原理にもとづく競争である。ゆがんだ教育は、昨年の「高校の未履修問題」もその典型例だ。

 「全国学力テスト」が、「全国的な義務教育の機会均等と水準向上のため、児童生徒の学力・学習状況を把握・分析することにより、教育の結果を検証し、改善を図る」「各教育委員会、学校等が全国的な状況との関係において、自らの教育の結果を把握し、改善を図る」というが、ほんとうに「義務教育の機会均等と水準向上」につながるとはとても思えない。
 全国の約3万3000の学校、約233万人の児童生徒が参加して、そのために06年度は準備のために29億円が費やされ、07年度は66億円が計上されている。市場原理にもとづき、地域間、学校間の教育格差に道をつけ、弊害を生んだ「全国学力テスト」は浪費である。

参考文献 「フィンランドの教育から日本の教育を考える」井内哲也・月刊生活と健康No,931


 

 

 

 

 

 

 
 

 

 

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税金の使い道

2007-09-20 | Weblog

いやー、びっくりした。


住民税2期分を納めなくっちゃ、46,000円なり。(年184,000円)


先日10日に、健康保険料156,624円(10月~20年3月6ヶ月分)を


納めてきたばっかりや。


ムッ、 ムッ、


 ムッ、 ムッ、 ムー、 ……。





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もう、ごまかされぬ消費税増税ームダ使いはないのか

2007-09-19 | 政治

 そして、もう一つ、ほんとうに「税金のムダ使い」はないのだろうか?

  政府が「聖域」にしてきた軍事費だ。毎年5兆円近い軍事費を支出している。
 最大規模のムダ使いとなるのが、在日米軍再編に総額3兆円以上におよぶ経費が投入されようとしていることだ。欧州でも米軍再編が進んでいるが、ほとんど米側負担だ。ところが日本の場合は、85%以上が日本の負担だ。この費用にはグアムへの米海兵隊新基地建設費用7千億円も含まれている。いくら「日米同盟強化」といえども、よその国の新基地建設だ。そこまで面倒見る必要があるのか。庶民には、とても理解できない。
 日本政府は1978年度以来、日米安保条約上も支出の義務のない米軍への「思いやり予算」総計5兆円も投入してきた。07年度でみると2千3百七十億円。これは中小企業対策費千6百25億円より5割も多い異常なもの。
 軍事費で、もう一つだけムダをあげると、旧ソ連の「侵攻」を想定した装備が今なお温存されていることだ。現在の陸上自衛隊の主力戦車は「90式」だ。もともとソ連が日本に侵攻するという想定で開発されたものだが、実際に配備されたのは、ソ連が崩壊した1991年からだ。07年度も9両を購入する計画。これまでの総計で324両、本体の購入価格だけでも約3千億円だ。90式戦車は重さ50トン。通常の道路や橋を渡ることができず、鉄道輸送も困難。空輸はできない。まさに時代遅れの代物の配備を続けているとしか思えない。

 この「聖域」、軍事費にこそ、メスを入れて欲しいと願うのは私だけであろうか。
 定率減税廃止による大増税は1兆7千億円、投入されようとしている米軍再編経費・国内分は約2兆3千億円。総裁選の福田康夫候補も、麻生太郎候補も「地方の再生・振興」、「地域間格差の解消」をいうがグアム米軍基地建設費約7千億円は地方交付税削減に匹敵するものだ。

 「高齢化社会のために」「社会保障のために」とかいっぱい口実をならべて、消費税が導入され、引き上げられてきたが、なんのことはない高齢者や障害者をはじめする弱者・庶民に痛みをおしつけてきたのではないのか。そして、またぞろ、「福祉目的」とか「年金財源」にとかだ。アメリカや財界に顔を向けた政治ではなく、庶民に顔をむけた政治を!だ。
 消費税増税に頼らなくとも、「軍事費」やゆきすぎた大企業・大資産家減税の「聖域」にメスをいれることが民意に応える一歩だと思う。

  

 

 

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