団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

味方の兵士を監視するより、もっと敵方を監視しろよと言いたくなります。

2018-01-12 05:08:17 | 日記
先日 義兄宅へかみさんと遊びに行ってきました。
本当は去年の12月に行く予定でしたが、お互いのスケジュールが合わずに年越しになってしまいました。
私の心臓病の件なども話したかったです。


 義兄は義兄の故郷の友人たちと去年の11月に靖国神社へ初めてお参りにいかれたとのこと。
その思いを年賀状に和歌にして載せられていたので、その話に触れました。

 義兄の父親は義兄がお腹にいる頃 戦死されました。
義兄は父親を写真でしかご存じないです。

 お母様が亡くなったとき、残されたものを整理していると戦地にいるお父様とのやり取りをされている
ハガキや手紙が段ボール箱にいっぱいあったとのことです。
お父様から来たハガキを拝見しましたが、検閲の印鑑が押してありました。
全てのハガキに押されていました。
戦地の場所とか不都合なことが書いてないかを検閲する部署があったんですね。
それにたづさわる人間は膨大な数だったんでしょうね。
日本の兵士の全ての手紙やハガキを検閲してたのでは?

 こんな小さなことを膨大な数の人間で調べて、肝心の暗号をアメリカには筒抜状態。
ゾルゲというロシアのスパイなどにもやられ放題。

 味方の兵士を監視するより、もっと敵方を監視しろよと言いたくなります。

 スノーデンの本を読むと、アメリカではネットで書き込んだことや電話なども全て監視されているようです。
日本でも同じ状況かも。
戦前と同じ状態かもしれないです、迂闊なことをブログに書けないですね。(苦笑)

 拝見したハガキの話ですが、びっしりと綺麗な文字で書かれていました。
書きたいことがいっぱいあるようでした。
赤ちゃんの名前も男の子だったら何何、女の子だったら何何が良いのではと書かれていました。
義兄の話では、そのハガキが届いた頃には男の子で名前も決まっていたそうです。


 義兄宅では私が甘いもの好きと知っていて、ケーキやだんご、いちご大福、らくがんなどを
出されましたので、全て平らげました。
かみさんがあきれていました。(苦笑)






春よ、来い - 松任谷由実
コメント (6)
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