ぼくの美術鑑賞歴は浅いから、知らない画家は山ほどいる。古賀春江もそのひとりだった。はじめ名前をみて、女流画家だと思っていた(汗)。ときどき駅構内などでポスター絵をみていて、面白そうだなと思って、昨日、出掛けた。知らない画家でも、一度、展覧会をみると、たいてい”友達”になって帰ってくる。今回もそうだった。川端康成とも知りあいで、康成が彼の作品を何点も所蔵していたことを、県立近代美術館・葉山の図書室で知って、親近感は一層増したのだった。
彼は画家であり、詩人でもある。第四章まであるが、それぞれの入り口に彼の詩、あるいは散文がかかれたパネルがあり、展覧会に彩りを添えていた。たとえば、第一章”センチメンタルな情調/1912-1926)では下記の文章が掲載されている。
水彩は長編小説ではなく詩歌だ。そのつもりでみて欲しい。水彩はその稟性により 自由にして柔らかに而して 淋しいセンチメンタルな 情調の象徴詩だ
久留米のお寺で生まれ、1912年、画家を志し、上京する。水彩画を勉強しつつ、竹久夢二や北原白秋にも傾倒していた。その頃の作品が、第1章にずらりと並んでいる。どれも、詩歌のような絵で、白秋の故郷を描いた”柳川風景”、”考える女”、”檜”、”竹林”がとくに印象に残った。当時のスケッチブックも展示してあり、白秋ばりの詩や夢二風の絵も描かれていた。”白樺”の表紙絵も担当したことがあるらしい。
(竹林)
第二章”喜ばしき船出”1921-1925
はじめに、涙が出そうな絵があった。我が子を死産でなくし、その悲しみを想いつつ、描いた”埋葬”。その下絵もあった。それ以前に待望の二科展に連続入賞し、前衛グループ”アクション”にも参加し、キュピズムの影響を受けた絵を描くようになる。本人は”出タラメの画”を描いていくと宣言する。キュピズムも最近、”ぼくの固有の領土”に入ってきたので、楽しくみることができた。”海水浴”、”海水浴の女”そして”海女”の、半裸の女シリーズ(汗)も良かったし、”女”、”窓際の女”、”手をあぶる女”の和装女シリーズも気に入った。
(埋葬)
第三章 空想は羽ばたき 1926-1928
そして、画風はさらに変貌する。空想的な絵で、花やら人やら船やらが画面のあちこちにあふれている。でも色が明るく、ふとシャガールの画風に似ていると思った。”赤い風景”とか”月花””蝸牛のいる田舎”などが印象に残った。資料展示の中に、クレーとシャガールの模写をみつけた。やっぱり、彼らの影響を受けているんだ。
薄暗の中に動く水色の幻は、実在性がなくて善い 私の空想は羽ばたき 私は息を吸い込んだ (古賀春江)
(月花)
(蝸牛のいる田舎)
第四章 新しい神話 1929-1933
そして、古賀春江は、さらなる変貌を遂げる。
晴天の爽快なる情感、蔭のない光/過去の雲霧を切り破って/埃を払った精神は活動する/最高なるものへの最短距離/・・・世界精神の縫目を繕う新しい神話が始まる(古賀春江)
1929年以降、いわゆる、シュルレアリスムを取り入れた、新たな画風を確立する。科学雑誌の図版や絵ハガキの図柄を画面に積極的に取り入れている。”窓外の化粧”の作品の横には、そのとき使った資料が展示されている。科学画報、科学知識、キング、中央美術、西洋美人スタイル絵などである。こうして、代表作”海”も生まれたのだ。魚、海藻、船、飛行船、ビル、工場、西洋婦人と脈絡なく画面に配置されている。脈絡のない配置はシャガール風だが、絵柄は写実的になっている、面白い絵だった。
(窓外の化粧)
(単純な哀話)
(海)
そして、彼は38歳の若さでなくなるが、療養中に描いていた、たぶん最後の作品、”サーカスの景”。ぼくは、どの作家の遺作をみるときは、息もたえだえ必死にカンバスに絵の具をぬりつけている画家の姿を想いうかべ、いつも胸がつまってしまうのだ。
”サーカスの景”
・・・・・
川端康成との関係も、書こうと思ったのだが、遊びにいく時間が迫ってきたので(大汗)、次回にします。