
今日も近所の桜です。
本日は、豊国廟。
豊臣秀吉のお墓です。
七条通りをまっすぐ東へ向かって東大路通りまで行き、ちょっと北へ上がって東へ曲がるとそこが豊国廟参道。
この参道は通称「女坂」京女の幼稚園、小学校、中学、高校、短大、大学がある。
幼稚園や小学校は共学ですが、中学以上は女性ばかり。
だから「女坂」と称します。
その坂を登りきったところにあります。

歩くと結構な坂です。
少なくとも今の京男にとっては。


行くと一人で貸し切り状態でした。
快適なお花見ができます。
でもちょっと不安になりますね。


↑この階段をあがると秀吉さんのお墓です。あがるのに50円が必要。50円だすから勘弁してください。
京男は、桜が怖いのかもしれません。
原因は、十代に読んだ坂口安吾の『桜の森の満開の下』が原因です。
クリックすると読めます。
これは、青空文庫というネット上の図書館です。
自由に読めるようです。
いまの京男は、テキストを読み上げてくれるソフトで読んでもらうのです。
寝ながら聞いたりしています。
これを読むと怖くなりますよ。

梶井基次郎の短編小説『桜の樹の下には』というのもある。
主人公が、桜の樹が美しいのは下に死体が埋まっているからであるという空想に駆られ、死体に象徴される惨劇(死?)への期待を深める物語。
これもタイトルをクリックするテキストページに移動できます。

桜は美しいけど、人を狂わせるように思う。
そういう妖艶さみたいなものを高校時代から感じておりました。
桜の樹の下で騒ぐ花見客は、桜の妖気の影響を受けているのかも。
その人間の生気を桜は養分にしているのかな。
でも最近の桜を見ていると人の毒気まで吸っているようで気の毒になる。
もしも人類が滅んでも、桜はしたたかに生き、誰もいない公園で咲いているのだろうな。そう思うとゾクッとする。

誰もいない状態で桜を観るのは、贅沢ですね。
いつもならデイサービスのお年寄りが来ているのに、最近はそういうのも許可というか有料なのかも。
しかたないのかな・・・。

↑2012年4月15日午前7時30分。今日は晴の一日になりそう。車が混むだろうな・・・。ソメイヨシノはもう終わりですね。

Twitter→@kyo_otoko
花見に集中できる、近所で花見は本当に贅沢ですね。
今年の桜もそろそろ見納めですね。
今年もそろそろ終わりですね。
新緑のシーズンが始まります。
ここの人の少なさにはちょっと驚きです。
ネットで紹介すると増えたりするかも・・・(^_^ゞ
盛りを過ぎるといつもやるせないような、もどかしいような気持ちになります。
誰もいなくなった場所で、咲き、そして散っていく桜。。。白昼夢みたいで怖いかな。
でも人間がいないのが一番「地球に優しい」のかもしれませんね。
まあ、あまり来て欲しくないですけど。
京都の桜は、御室と原谷ぐらいになったかな。
でないと自然からはじき飛ばされるかも。
謙虚さをわすれてはいけませんよね。