ザ・コミュニスト

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続・持続可能的計画経済論(連載第18回)

2020-07-31 | 〆続・持続可能的計画経済論

第1部 持続可能的計画経済の諸原理

第3章 計画組織論

(4)領域圏計画経済の関連組織
 持続可能的計画経済の最前線となるのは、世界共同体の構成主体である領域圏である。各領域圏は通常、単立し、それぞれが世界経済計画の枠内で独自に経済計画を策定・運用していく経済計画主体ともなる。
 ただし、小規模な領域圏の場合は、単独で計画経済を運営するだけの経済基盤を持たないことが多い。そこで、こうした小規模領域圏は近隣の同規模領域圏またはより大きな領域圏と合同を結成し、合同領域圏という単位で計画経済を運用する。合同領域圏の主たる役割は、こうした共通経済計画の運用という点にある。
  これら領域圏経済計画は世界経済計画における汎域圏の地域計画をベースとして汎域圏内での経済協調を考慮しつつ策定されるところ、そうした汎域圏内経済協調の実務を担うのが五つの汎域圏の経済協調会議である。同会議は汎域圏内で経済協調の対象分野を担う生産企業体の代表者で構成され、汎域圏内の経済協調協定を締結したうえ、汎域圏民衆会議の承認・議決を得る。
 汎域圏経済協調協定に続いて、各領域圏経済計画の策定に進むが、単立、合同いずれの形態であれ、領域圏経済計画の策定機関となるのが、経済計画会議である。これは、旧ソ連の計画経済における中枢機関であった国家計画委員会のような行政機関ではなく、計画経済の適用対象となる生産企業体の共同運営による合議機関である。
 その構制は各生産企業体の計画担当役員を議員とする会議体であり、これに会議を実務的に支える事務局が付属する。会議は、一般、農林水産、製薬の三種類の計画に沿って一般産業部会と農林水産部会、製薬部会が分岐する三部会制であるが、これに消費計画の策定単位となる地方圏(または準領域圏)の消費事業組合の代表部もオブザーバー部会として設置される。
 三部会のうち一般産業部会の内部は、経済計画の基礎となる産業連関表の産業分類におおむね沿った専門部会に分かれ、それぞれ討議のうえで部会ごとの計画案を策定する。農林水産部会も同様に専門部会に分かれるが、製薬部会はそれ自体が専門部会を兼ねる。
 なお、経済計画の前提部分を成すエネルギー計画に関しては、経済計画会議の下部機関として、製油や電力等のエネルギー関連事業体で構成するエネルギー計画協議会が設置され、同協議会が発議するエネルギー計画案について、経済計画会議で審議・議決を行う。
 一方、領域圏の施政に関わる民衆会議も経済計画の策定にノータッチではないが、民衆会議が主導することはない。民衆会議の役割は、経済計画会議が議決した計画を改めて審議し、承認することである。その点、民衆会議と経済計画会議の関係性は、ある種の上院(≒民衆会議)と下院(≒経済計画会議)の関係に相当すると言える。ただし、民衆会議は計画を全面的に否決することはできず、できるのは一部不承認、差戻しのみである。
 なお、合同領域圏単位での経済計画の場合は、合同領域圏に民衆会議が設置されない代わりに、合同の政策協議会が計画の承認権を有することになる。この限りで、政策協議会が単立領域圏における民衆会議に相当する役割を果たす

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近代革命の社会力学(連載第130回)

2020-07-29 | 〆近代革命の社会力学

十七ノ二 フィンランド未遂革命

(4)白衛軍の勝利とその後
 フィンランド社会主義労働者共和国の支配地域は首都ヘルシンキを含むフィンランド南部の枢要な工業地帯であり、支配面積から言えば有利な立場にあった。しかし、問題は、共和国の軍事部門である赤衛軍の練度や指揮系統など、軍事組織としての力量不足にあった。
 赤衛軍の総司令官アレクシ・アールトネンは帝政ロシア支配時代のロシア軍に入隊し、日露戦争に従軍した経験もある軍人ではあったが、1905年のロシア立憲革命に参加して除隊した後は、社会主義系のジャーナリストとなった人物である。
 他方、反革命白衛軍側は、その支配地域こそ当初は北部に限定されていたが、総司令官カール・マンネルヘイムは旧ロシア帝国軍のエリートであり、豊富な戦歴を持つ職業軍人であった。
 白衛軍は寄せ集めとはいえ、ドイツで訓練された士官に加え、スウェーデンからの義勇兵も援軍となり、総勢7万人の練度の高い軍事組織に仕上がっていた。
 赤衛軍もボリシェヴィキの赤軍から軍事訓練と武器供給を受け、緒戦こそどうにか善戦したものの、1918年3月になると、白衛軍に追い込まれていく。その背景として、ロシア側の内戦も激しさを増す中、ロシア赤軍にフィンランド赤衛軍を本格的に支援するゆとりがなかったことがある。
 一方、白衛軍はボリシェヴィキ政権との講和条約を締結した後のドイツを巧みに味方につけることに成功した。条約締結後もフィンランド内に駐留していたドイツ軍を後衛として利用しつつ、赤衛軍に攻勢をかけ、南部のタンペレを落とした後、ドイツの援軍が上陸し、首都ヘルシンキを無血で制圧したのである。
 戦闘は5月までに終結し、内戦は白衛軍の全面勝利に終わった。双方合わせて戦死者1万人以上に上ったフィンランド内戦は今日、北欧の平穏な福祉国家、ムーミンの国の知られざる近代史となっている。
 内戦結果はロシアとは真逆となったため、内戦終結後は反革命側による白色テロが横行し、社会主義労働者共和国・赤衛軍側関係者1万人が処刑された。赤衛軍司令官アールトネンも拘束され、5月に強制収容所で銃殺されている。
 しかし、共和国の政府機構を率いていたクッレルヴォ・マンネルほか少なからぬ幹部はソ連に亡命し、当地でフィンランド共産党を結党した。同党はソ連共産党の衛星政党となり、1939年にはスターリン治下のソ連がフィンランドに侵攻した際、国境地帯に傀儡政権を樹立した。
 こうした経緯からも、フィンランド共産党は1944年に至るまでフィンランド国内では禁止されたが、ソ連と長い国境を接するフィンランドは、安全保障上反ソ路線を貫徹できず、イデオロギー上は西側資本主義陣営に属しつつも、1948年以降、ソ連との間に友好協力相互援助条約を締結して、親ソ路線―いわゆる「フィンランド化」―を維持した。
 こうして、ロシア十月革命と連動したフィンランド革命は未遂に終わったとはいえ、その地政学的な位置関係から、フィンランドは、結局のところ、ソ連の影響圏に組み込まれることを選択せざるを得ないという形で、ロシア十月革命の余波を受けることとなったと言える。

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近代革命の社会力学(連載第129回)

2020-07-27 | 〆近代革命の社会力学

十七ノ二 フィンランド未遂革命

(3)社会主義労働者共和国の樹立
 フィンランド社会民主党急進派が1918年1月の革命的蜂起によって樹立した新体制は当初、単にフィンランド共和国を名乗ったが、レーニンの介入により、「社会主義労働者」を冠することになった。この「社会主義労働者共和国」(以下、単に「共和国」という)の政府機構は人民代表会議であり、これはロシア側の人民委員会議のカウンターパートと言える革命的権力機構であった。
 しかし、共和国をフィンランドの正統政権として承認したのは、ロシアだけであったから、これにより、ボリシェヴィキ政権の傀儡的姉妹国家としての性格付けがなされたと言える。とはいえ、共和国とボリシェヴィキ政権の間には、小さくはない溝があった。
 共和国指導部は民族主義の基調も帯びており、フィンランド南東部からロシア北西部にまたがるカレリア地方のフィンランド編入を望んでいた一方、レーニン政権は表向きは民族自決を唱えながら、フィンランドの併合すら裏で画策していたのである。
 溝はイデオロギー面にも認められた。憲法草案に表れた共和国指導部の理念は、ボリシェヴィキとは明らかに異なっており、レーニン流の革命的独裁の理念ではなく、民主的社会主義の理念にのっとり、アメリカ憲法が参照され、市民的自由の保障が明記されていた。また、国民投票制度の拡大など、直接参加も志向していた。
 このように、ボリシェヴィキ政権を後ろ盾としながらも、共和国の方向性にはより民主的な要素が強かった。歴史に「もし」は禁句とされるが、もし共和国が存続していたら、ロシア→ソ連とは異なるもう一つの社会主義体制のモデルとして確立されていたかもしれないが、歴史の進行過程はそうならなかった。
 共和国はボリシェヴィキ政権の軍事的な支援がなければ存続できない状態であったが、折しもロシア側も大規模な内戦に突入しており、ロシアにフィンランド支援の余裕はなかった。また、外交上もロシアは第一次世界大戦を終結させる対独講和を最大課題としており、フィンランド関係はマイナーな問題であった。
 一方、共和国内部にはレーニンに相当する最高指導者も、ボリシェヴィキに匹敵する中核的な革命集団もなく、政府に当たる人民代表会議はクッレルヴォ・マンネル、軍事部門の赤衛軍司令官はアレクシ・アールトネンと、共にジャーナリスト出自の指導者が分担する集団指導制であった。
 このような構造も、レーニンの指導力が圧倒的で、民主集中制原則により指導部が課す規律が貫徹されたボリシェヴィキとは大きく異なる党内力学であったが、平時ならより民主的な運営が期待できる水平的構造も、内戦に直面する存亡危機に際しては、マイナスに作用することになっただろう。
 また、ロシア支配下の大公国時代からの上級官吏らも共和国には参加・協力しなかったため、自前で統治機構を整備する必要があったが、内戦はそれを阻害した。共和国は支持基盤である南部工業地帯をどうにか支配地域として確保したものの、全土の掌握には至らないまま内戦に突入していく。結局のところ、共和国の建国は外交・内政ともに未完のままであった。

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比較:影の警察国家(連載第4回)

2020-07-26 | 〆比較:影の警察国家

Ⅰ アメリカ―分権型多重警察国家

1‐1‐1:連邦捜査総局の二面性

 前回概観したアメリカの連邦警察集合体を構成する諸機関の中でも、中核的な存在としてその名を世界に知られるのが、連邦捜査総局(Federal Bureau  of Investigation:FBI)である。FBIは連邦法執行機関の中でも最も権限が広く、実質上は単独で「連邦警察」に匹敵する陣容を備えた全米規模の捜査機関である。
 その中核要員である特別捜査官はしばしばテレビドラマなどで重大犯罪と闘うヒーローとして描かれるため、善のイメージでとらえられやすく、実際そうした一面を持つことは否めないが、一方で、言わば「裏の顔」としての政治警察的側面を秘めている機関でもある。
 そうした表裏併せ持つ機関としてのFBIの基礎を築いたのが、1924年から72年の死去まで半世紀近くにわたり終身間長官を務めたエドガー・フーバーであった。彼が上部機関である司法省に入省した当時は単に捜査局と呼ばれ、まだマイナーな組織に過ぎなかったものを一挙に大組織に育て上げたのがフーバーである。
 彼はこの間、ギャングの摘発などで実績を上げたばかりでなく、フーバー長官時代に最盛期にかかっていた東西冷戦時代には、反共政策の中心として共産主義者や容共主義者を検挙する「赤狩り」にも辣腕を振るい、さらには、反戦運動や公民権運動などの非暴力的社会運動への不法・不当な監視・干渉活動にも手を広げていった。
 そればかりでなく、フーバーは大統領を含む政治家の個人情報まで収集蓄積し、それを材料に政界に睨みを利かすという手法で、FBIを議会の監督も事実上及ばない聖域とし、自身の地位も保全していたのである。計八代もの大統領にまたがるフーバー時代のFBIは、大統領をも凌ぐ―唯一総統だけは超えられなかったナチの秘密警察ゲシュタポをも上回る―、超権力的な秘密政治警察機関そのものだったと言っても過言でない。
 フーバーの死後、FBIは「民主化」され、その政治性は希薄化されていったとはいえ、連邦政府高官や連邦裁判官人事における指名候補者の身元・素行調査の権限を通じて高位公務員の個人情報を蓄積することにより、今なお隠然たる政治性を保持している。
 ドナルド・トランプ大統領がロシアの2016年アメリカ大統領選挙干渉疑惑で自陣営を捜査対象としたFBIを牽制しようと長官を電撃解任し、FBIと緊張関係に陥ったことも、そうしたFBIの政治性と無関係ではない。
 一方、冷戦終結に伴い、反共イデオロギーは下火となったが、21世紀以降は、対テロ戦争の理念の下、FBIがテロ対策の中核機関となり、強制捜査権を持たないCIAやNSAのような諜報機関を補充する公安捜査機関としての役割を高めている。
 また、中国、ロシアの覇権主義的台頭に伴い、新冷戦的な構図が形成される中で、新冷戦における主要な諜報戦であるサイバー攻撃対策に関するFBIの役割も生じており、FBIが新たな政治警察機関として再編されてきていることも、影の警察国家の象徴として注目される。

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比較:影の警察国家(連載第3回)

2020-07-24 | 〆比較:影の警察国家

Ⅰ アメリカ―分権型多重警察国家

1‐0:連邦警察集合体

 アメリカにおける複雑な多重警察機関体系は、これを概観するだけでも一苦労であるが、とりあえず、まずは頂上に当たる連邦全体の警察機関体系を概観するのが早道であろう。というのも、アメリカ流多重警察国家において最も管轄区域が広く、権限も強大なのがこの部分だからである。
 とはいえ、「アメリカに連邦警察は存在しない」というテーゼが依然として存在している。もっとも、歴史の古い公園警察をはじめ、議会警察とか最高裁判所警察等々、「警察」を冠する連邦機関がいくつか存在するが、これらはそれぞれ特化された領域に限定された部分警察機関であって、包括的な連邦警察機関がアメリカに存在しないことは事実である。
 しかし、最も著名で強力な連邦捜査総局(FBI)をはじめ、多数の連邦警察相当機関が林立する形で集合体―連邦警察集合体―を形成しており、実質的に見れば、アメリカにも連邦警察はそうした集合的な形態で立派に存在していると言えるのである。

 それにしても、この警察集合体に属する諸機関の数は多く、全体像の把握は困難であるが、それぞれが属する上部機関の別によって大きく分類すれば、司法省系・国土保安省系・国防総省系・内務省系・財務省系・その他系に大別することができる。
 さらに、正面からは警察機関に数えられないが、中央諜報庁(CIA)や国家安全保障庁(NSA)など、国家諜報長官が緩やかに束ねる諜報機関体系に属する諸機関も秘密政治警察的機能を果たしている。

 司法省系機関には著名な機関が多く、先のFBIを筆頭に、麻薬取締庁(DEA)、アルコール・タバコ・火器及び爆発物取締総局(ATF)、さらに最も歴史の古い保安官局が属する。
 次いで、9.11事件後に新設された国土保安省系には、歴史の古い合衆国機務局(シークレット・サービス)をはじめ、税関・移民関連の専従取締機関、さらにアメリカにおける海上警察に相当する沿岸警備隊(有事には海軍指揮下編入)などが属する。
 国防総省系警察機関は他国における憲兵隊に相当するが、アメリカでは憲兵隊とは別途、陸海空軍それぞれが独自の犯罪捜査局を擁している。中でも著名な海軍捜査局(NCIS)は要員が文官身分とされる独自の捜査機関としての地位を持つ。
 内務省系としては先の公園警察をはじめ、国土規制関連の法執行機関がある。財務省系は、かつてシークレット・サービスやATFも擁していたが、国土保安省創設に伴う省庁再編により移管されていき、現在は脱税捜査に当たる国税庁犯罪捜査部が主要な法執行機関として残されている。
 その他系は、先の議会警察や最高裁判所警察、歴史の古い郵政監察局など管轄が特化された部分警察機関である。
 さらに、諜報機関体系の諸機関は独立機関のCIAを除くと、NSAをはじめ国防総省系が大半を占めるが、一部に国土保安省、国務省、司法省、財務省、エネルギー省を上部機関とするものも含まれる。

 このようにアメリカの連邦警察は多数の諸機関の集合体として存在しているわけだが、警察機関を多岐に分散するのは、むしろ「自由の国」アメリカならではの高度な政治的知恵と評価することもできるかもしれない。
 たしかに、アメリカにおける連邦警察集合体をすべて単一の“合衆国警察庁”のような統合組織に一元化するという試みが現実になされるとは考えにくいし、そのような強大な包括警察機関は民主的でもないだろう。
 だからといって、このような警察集合体を理想のモデルと称賛することも適切とは思えない。これだけ多数の警察機関が林立し、権限関係の重複も整理されないまま、常時ばらばらに警察活動が実行されている状態は、決して市民的自由にとって好条件とは言えないだろう。それどころか、まさしく抑圧的な「影の警察国家」の象徴ともみなし得る。
 そこで、次節以降では、この連邦警察集合体を形成する主要機関の活動内容や実際の活動事例に立ち入って、アメリカ型警察国家の実態を分析してみることにしたい。

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近代革命の社会力学(連載第128回)

2020-07-22 | 〆近代革命の社会力学

十七ノ二 フィンランド未遂革命

(2)民族主義と社会主義の交錯
 フィンランドの1918年未遂革命は、長くロシアの実質的な植民地支配を受けた歴史とロシア支配下で急速な工業化が進展する中で、ロシアからの独立を目指す民族主義と労働者階級の解放を志向する社会主義の潮流が交錯する渦中で勃発した出来事である。
 前者の民族主義にはかなり長い前段階がある。古くは、1848年の第二次欧州連続革命の余波としてフィンランドにも民族主義の最初の芽が生じたが、顕在化したのは、1850年代のクリミア戦争後である。ただ、この時期の民族主義はスウェーデンと交戦したロシアに敵愾心を抱くスウェーデン支配時代の名残であるスウェーデン系知識人を中心とするものであった。
 1904年、自治権剥奪とロシア化政策に傾斜したニコライ2世治下のフィンランド総督としてロシア化政策の先鋒となったニコライ・ポブリコフ総督を暗殺したオイゲン・シャウマンも、スウェーデン系フィンランド人の軍人家庭の出自であった。
 当時のフィンランドでは、こうしたスウェーデン系フィンランド人が社会上層を占めており、土着のフィンランド人は伝統的な農民か、19世紀末の工業化の中で労働者階級を形成するようになっていた。こうした土着フィンランド人もロシアからの独立を希求はしていたが、それは社会主義的な志向においてであった。
 1899年に結党されたフィンランド社会民主党は、そうしたフィンランド社会主義運動の最初の核となった。同党は、後にボリシェヴィキが分岐することになるロシア側の社会民主労働者党とほぼ同時期に結党されたカウンターパートとなるべき党であった。
 同党は普通選挙制が導入された1906年までは議会外政党にとどまったが、その後、議会で伸張し、1916年総選挙では比較第一党に躍進した。ところが、ロシア十月革命後、フィンランド議会が独立宣言した直後の総選挙では一転して第一党の座を失った。このことが、急進派の革命的蜂起につながった。
 この背後にあったのは、スウェーデン系のブルジョワ民族主義勢力と土着フィンランド人系の社会主義勢力の対立構図であった。このように、ブルジョワ対プロレタリアの対立に、スウェーデン支配時代以来の民族対立がかぶさる構図は、帝政ロシア支配時代にはさしあたり民族主義という大枠に隠されていたが、ロシア革命に伴い、あっさり独立を達成したことで、とみに顕在化してきたと言える。
 この民族別階級対立関係は、革命派赤衛軍の司令官に土着フィンランド人アレクシ・アールトネンが就き、反革命派白衛軍の司令官にスウェーデン系のカール・マンネルヘイムが就くというように、内戦当事勢力両トップの顔ぶれにもはっきりと表れた。
 実際のところ、赤衛軍側要人には若干のスウェーデン系も含まれてはいたが、大半は土着フィンランド人であったのに対し、白衛軍側要人はスウェーデン系で固められており、このことがスウェーデンとドイツの支援を受けて内戦を優位に戦う鍵となった。

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近代革命の社会力学(連載第127回)

2020-07-20 | 〆近代革命の社会力学

十七ノ二 フィンランド未遂革命

(1)概観
 スウェーデンとロシアの間に挟まれたフィンランドは長くスウェーデンの支配を受けた後、19世紀初頭以降、敗戦したスウェーデンから割譲を受ける形でロシア帝国版図となり、ロシア皇帝が大公を兼ねる自治的なフィンランド大公国としてロシアの支配下にあった。
 そうした関係上、フィンランドはロシアにおける20世紀の革命動向の影響をほぼ直接に受けることとなった。1905年のロシア立憲革命は、フィンランド民族主義の芽を摘むため、自治権剥奪の方針を示していた時のロシア皇帝ニコライ2世に方針撤回を余儀なくさせた。
 続く1917年革命で帝政ロシアが倒れると、正式の独立へ向けた機運が到来し、フィンランド議会は十月革命直後の12月、独立を宣言した。時のロシア側ボリシェヴィキ政権としても、帝政ロシアと一体だったフィンランドの独立は革命の象徴でもあり、独立を承認する構えであった。
 しかし、当時のフィンランドではボリシェヴィキの影響を受けた急進派が伸張し、ロシア十月革命に歩調を合わせた革命を準備していた。かれらは、ロシア側でボリシェヴィキがクーデターを起こした直後の1918年1月末に蜂起し、フィンランド社会主義労働者共和国の樹立を宣言した。
 発足したばかりのボリシェヴィキ政権としても、地政学的に西側への入り口となるフィンランドに親ボリシェヴィキ派の社会主義政権が樹立されることは望ましかったから、フィンランド革命政権を直ちに承認し、同年3月には友好条約の締結に至った。
 このまま確定すれば、新生フィンランドが歴史上二番目の社会主義国家として歴史に記録されたはずであるが、そうはならなかった。革命に反対する保守派が直ちに決起し、内戦に突入したからである。
 この内戦は、ロシアにおける内戦と同様、革命派の赤衛軍と反革命派の白衛軍の間で行われることとなったが、結果は対照的に白衛軍の勝利となり、フィンランド社会主義労働者共和国は一度も全土を征することができないまま、わずか3か月余りで崩壊した。そのため、フィンランド革命は未遂に終わったことになる。
 しかも、ボリシェヴィキ政権を後ろ盾とし、フィンランド社会主義労働者共和国の名称もレーニンが命名したと言われる姉妹共和国の性格が強いものであったことからしても、「フィンランド未遂革命」は総体としてロシア革命の副産物としてとらえられるべき事象である。
 ただ、ロシア革命の単なる余波事象を越えて、そこにはスウェーデンとロシアの狭間にあるフィンランド独自の地政学を反映した個別性も認められるため、ロシア革命と関連付けしつつ、そこから分岐した革命的事象として本章を独自に立てることにする。

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比較:影の警察国家(連載第2回)

2020-07-19 | 〆比較:影の警察国家

Ⅰ アメリカ―分権型多重警察国家

[概観]

 アメリカは、その出発点においては組織的な警察制度を持たず、自治体ごとに選出される保安官が治安維持の要を担うというシンプルな構制を採っていた。合衆国成立当初、初代大統領ジョージ・ワシントンは連邦の法執行任務に当たる保安官を原始13州に一人ずつ任命したが、これとて連邦警察と言えるほどのものではなく、主要任務は連邦裁判所の令状執行を中心とした法執行及び警備であった。
 このように言わば非警察国家として出発したアメリカであったが、19世紀に入ると、都市レベルで警察組織が徐々に整備されていく。その背景として、広域都市の出現と19世紀前半期にパリ警視庁、ロンドン警視庁など近代都市警察の制度が旧大陸で発達し始めたことの影響があったものと考えられる。
 その嚆矢となったのが、1838年に設立されたボストン市警察である。その前身は17世紀の植民地時代に遡る自警団であり、アメリカではこうした伝統的な地域自警団が公式の警察に組織化される例が多かった。
 ただ、連邦警察の組織化がなされることはなく、南北戦争まで連邦レベルでの警察相当機関としては前出の合衆国保安官のほか、当時は首都コロンビア特別区の連邦財産の警備を担った公園警備隊と郵便犯罪の取り締まりに当たる合衆国郵政監察局しか存在していなかった。
 しかし南北戦争時、通貨偽造が多発したことを受け、時のリンカーン大統領は財務省に通貨犯罪など財務犯罪の取り締まりに当たる秘密捜査部を設置した。これがいわゆるシークレットサービスの始まりである。一種の秘密警察であるこの組織はその後、事実上大統領の身辺警護まで担うようになり、20世紀初頭以降、公式の大統領警護機関としても確立されていく。
 ところで、連邦法の発達に伴い、捜査を伴う法執行に当たるより高度な専門機関の必要性が認識されると、1908年、時のセオドア・ローズベルト大統領はシークレットサービス要員の一部を移籍させる形で司法省捜査局を設立、これが今日最も著名な連邦法執行機関である連邦捜査総局(FBI)の前身となる。
 他方、20世紀以降、州の増加と州法の発達に伴い、州レベルの警察組織の設立も相次ぐようになる。最も古い州法執行機関は1823年設立のテキサス州レンジャー部隊であったが、本格的な州警察の初例は1905年、炭鉱労働者のストを機に設立されたペンシルバニア州警察である。州警察の組織や権限は様々だが、上部機関として州公共安全省に所属するケースが比較的に多い。
 アメリカでは連邦警察を持たないという慣習的な建て前は今日まで維持されているが、前出連邦捜査総局が巨大機関に成長していく一方、種々の特別法を執行する特殊連邦法執行機関の設立が相次ぎ、それら諸機関の集合体としての連邦警察が事実上存在しているに等しい。
 またこうした犯罪取締機関とは別途、第二次大戦後、冷戦時代の産物として中央諜報庁(CIA)や国家安全保障庁(NSA)などの連邦諜報機関の設立が相次ぎ、これら諸機関も事実上の秘密政治警察的な機能を示すようになっている。
 それに加えて、2001年の9・11同時多発テロ事件を機に、史上初めて連邦レベルの国内治安管理機関として合衆国国土保安省が設置されたことで、連邦治安機関の統合強化が進んできている。
 さらに、従来よりアメリカでは民間企業や公社、大学等々の自律性を持った部分社会が独自の警察を組織することが認められている。これは、各部分社会の自律性を貫徹させるという民主的な意義に基づく分権化政策と釈明することもできるであろう。
 とはいえ、「自由の国」アメリカでは連邦―州―都市(郡)の三層権力体及び部分社会における多数の警察組織が、その総数や詳細な権限関係を把握することも至難なほど複雑に入り組んだ網目状に全土を覆い尽くすような状況―分権型多重警察国家―が生じているのが実情である。次回以降は、このアメリカ流多重警察国家の迷宮をいくらかなりとも整理した形で探検してみることにする。

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世界共同体憲章試案(連載第1回)

2020-07-18 | 〆世界共同体憲章試案

 世界共同体(世共)は、現在世界の主権国家の連合体として機能している国際連合(国連)に代えて、主権国家体制によらない世界諸民族の共産主義的な統合体として筆者が年来提唱している未来的な枠組みである。  
 世界共同体自体は国家ではないが―従って、いわゆる「世界連邦」論とは全く異なる―、地球全域を包摂する単一の統治機構として、基本法を擁する。これが「世界共同体憲章」である。世界共同体憲章は、国際連合憲章に相当するような基本法であると言える。  
 しかし、あくまでも国連の設立根拠と組織編制を定めた条約法にとどまる国連憲章とは異なり、世共憲章は、世界共同体を構成する各領域圏の憲法に相当する領域圏憲章の統一的な法源を成すものであり、構成領域圏は世共憲章に反する領域圏憲章を制定することはできない。そのような強い規範的拘束力を持つことが、世共憲章の性質である。  
 もっとも、世共憲章も世界共同体の設立根拠法にして、その組織編制を定めた組織法としての性質も有するが、それに加えて、基本的人権に関する諸規定を包含する点も、現行国連憲章との相違点である。その点、現行国連憲章は基本的人権に関する規定を包含せず、規範性の弱い世界人権宣言と二本の国際人権規約が国連憲章とは別立てで散在していることに脆弱さが見られる。  
 これに対して、世共憲章はその中に直接に基本的人権条項を包含し、従ってそれが各構成領域圏の憲章を拘束するという形で、基本的人権の民際的な保障が確保されることとなる。そのため、各領域圏民は、基本的人権を侵害された場合、世界共同体の人権査察機関に対して直接に救済を求めることも可能となるのである。  
 このように、国連憲章と世共憲章には重要な相違点もあるが、世界共同体自体、国際連合を否定するのではなく、国際連合の歴史的な意義を踏まえつつ、その限界性を脱構築的に克服して創出されるものであるからして、世共憲章も国連憲章の構成や内容を吸収・継受したものとなるであろう。  
 本連載では、世界共同体憲章を概説するにとどめず、逐条的に試案を示す形で提示するが、もとより私案としての試案であるので、最終的には、世界共同体の創出主体となる世界民衆会議内部の集団的討議を経て正式な草案が策定されることを予定している。  
 以下、憲章の全体構成を目次的に示すが、具体的な章立てや章の表題は、行論中の再考の結果、修正または変更される場合があり得ることを予めお断りしておきたい。※再考・修正の結果、現在、条文番号にずれが生じているため、補正中です。

前文  ページ1
第1章 目的  ページ2
第2章 世界共同体の構制
第3章 原則及び構成領域圏等の地位 ページ3
第4章 機関 ページ4
第5章 総会 ページ5 ページ6
第6章 汎域圏全権代表者会議  ページ7
第7章 持続可能性理事会 ページ8 ページ9
第8章 世界経済計画 ページ10 ページ11
第8章a 持続可能なエネルギー開発 ページ11a
第9章 天然資源の民際管理 ページ12 ページ13
第10章 恒久平和 ページ14
第11章 平和理事会 ページ15 ページ16
第12章 紛争の平和的解決 ページ17 ページ18
第13章 平和維持及び航空宇宙警戒 ページ19 ページ20
第14章 基本的人権 ページ21 ページ22 ページ23 ページ24 ページ25
第15章 人権査察院  ページ26
第16章 特別人道法廷 ページ27
第17章 民際捜査機関  ページ28
第18章 社会文化理事会 ページ29 ページ30
第19章 憲章理事会 ページ31
第20章 地球環境観測 ページ32
第21章 宇宙探査 ページ33
第22章 信託代行統治 ページ34
第23章 独立宗教自治圏域 ページ35
第24章 事務局及び人事評議会 ページ36
第25章 独立調査及び弾劾 ページ37
第26章 雑則 ページ38
第27章 世界公用語に関する経過規定 
第28章 世界共同体暦
第29章 改正 ページ39
第30章 署名及び批准

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世界共同体憲章試案(連載最終回)

2020-07-18 | 〆世界共同体憲章試案

第29章 改正

【第148条】

この憲章の改正は、総会の代議員総数(特別代議員を除く。以下、本章において同じ)の三分の二の投票による発議に基づき、世界共同体の全構成主体から成る全体会議の三分の二の多数で採択され、それらの構成主体の五分の四によって各自の憲章上の手続に従って批准された時に、すべての世界共同体構成主体に対して効力を生ずる。

[注釈]
 憲章の改正に関する要件である。流れとしては、総会の発議→全体会議での採択→各構成主体による批准である。発議・採択・批准ともに厳格な要件に基づく硬性の規範である。

【第149条】

前条の全体会議は、総会の代議員総数の三分の二の投票で決定される日時に、世界共同体本部で開催される。世界共同体構成主体は、この会議に各一名の代表者を選出し、各一票の投票権を有する。

[注釈]
 憲章改正のための全体会議の開催及び投票に関する規定である。おおむね総会に準じるが、全体会議では合同領域圏に属する領域圏も、独立して投票することができる。

第30章 署名及び批准

【第150条】

1.この憲章は、署名した各領域圏または加入を希望する領域統治団体(以下、本条では「署名当事者」という)の正規の手続きに従って批准しなければならない。

2.批准書は、世界民衆会議に寄託される。同会議は、すべての署名当事者に対して、および、この機構の事務局長が任命された場合には、事務局長に対して各寄託を通告する。

3.この憲章は、署名当事者の過半数が批准書を寄託した時に効力を生ずる。批准書寄託調書は、その時に世界民衆会議が作成し、その謄本をすべての署名当事者に送付する。

4.この憲章の署名当事者で憲章が効力を生じた後に批准するものは、各自の批准書の寄託の日に世界共同体の構成主体となる。

[注釈]
 本憲章の署名と批准に関する形式的な規定である。第2項で批准書の受託者となる世界民衆会議は世界共同体総会の前身たる世界革命遂行組織であると同時に、世界共同体発足後には総会を兼ねる主要機関となる。

【第151条】

この憲章を批准した領域圏が国際連合加盟国である場合は、批准書を寄託した時点で、国際連合を脱退したものとみなす。

[注釈]
 世界共同体は現行国際連合に取って代わるべき新たな民際機構であるから、両機構が併存している状況下でも、両機構に同時加盟することはできず、国連加盟国が世共憲章を批准した場合は批准書の寄託をもって国連を脱退したものとみなす。ただし、実際の脱退に当たっては、改めて国連側の手続きを踏む必要がある。

【第152条】

1.この憲章は、英語及びエスペラント語の本文を正文とする。

2.前項の正文は、世界民衆会議の記録に寄託しておく。この憲章の認証謄本は、同会議が署名当事者の民衆会議に送付する。

[注釈]
 第146条で見たように、世界共同体の公用語はエスペラント語であるが、当分は英語も併用公用語とするため、エスペラント語正文と英語正文を併存させる。

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世界共同体憲章試案(連載第39回)

2020-07-17 | 〆世界共同体憲章試案

第26章 雑則

【第143条】

1.この憲章が効力を生じた後に世界共同体構成主体が締結するすべての条約及びすべての民際協定は、すみやかに事務局に登録され、かつ、事務局によって公示されなければならない。

2.前項の条約または協定で同項の規定に従って登録されていないものの当事者たる構成主体は、世界共同体のいかなる機関に対しても当該条約または協定を援用することができない。

[注釈]
 世界共同体構成主体が締結する諸条約及び協定に関する登録・公示に関する規定である。本条を含む本章各条は現行国連憲章第16章「雑則」からの実質的な継承規定である。

【第144条】

世界共同体構成主体のこの憲章に基づく義務と他のいずれかの民際協定に基づく義務とが抵触するときは、この憲章に基づく義務が優先する。

[注釈]
 世界共同体憲章の最高規範性を示す規定である。

【第145条】

1.この機構は、その任務の遂行及びその目的の達成のために必要な法律上の能力を各構成主体の領域において亨有する。

2.この機構は、その目的の達成に必要な特権及び免除を各構成主体の領域において亨有する。

3.汎域圏全権代表者及び世界共同体総会代議員並びにこの機構の職員は、この機構に関連する自己の任務を独立に遂行するために必要な特権及び免除を亨有する。

4.総会は、本条第2項及び第3項の適用に関する細目を決定するために勧告をし、またはそのために汎域圏全権代表者会議もしくは世界共同体構成主体に条約を提案することができる。

[注釈]
 世界共同体とそれに関連する関係者の各構成主体の領域圏における権能及び特権に関する規定である。国連憲章にも同様の規定があるが、国家主権概念が揚棄される世界共同体機構においては、当然の注意的規定となる。

第27章 世界公用語に関する経過規定

【第146条】

1.世界共同体は、エスペラント語をもって公用語とする。ただし、エスペラント語が普及するまでの間は、暫定的に英語を併用公用語とする。

2.前項本文の目的を達成するため、世界共同体構成主体は、エスペラント語を教育における必修言語として普及に努めなければならない。

3.本条の規定は、世界公用語たり得るより中立的かつ実用的な新たな計画言語を開発することを妨げるものではない。

4.世界教育科学文化機関は、エスペラント語の普及のための計画及び前項の開発に関するプロジェクトを支援するものとする。

[注釈]
 世界共同体は、現行国際連合のように、既存の自然言語を公用語とせず、計画言語の中でも最も話者・学習者が多いエスペラント語を公用語とする。しかし、エスペラント語が普及するまでは事実の世界語として普及率の高い英語との併用を認め、かつエスペラント語に代わる新たな計画言語の開発も支援するという三段構えの言語政策を採る。

第28章 世界共同体暦

【第147条】

1.世界共同体は、この憲章が発効した年度を第一年として起算する世界共同体暦に則って運営される。

2.前項の規定は、世界共同体構成主体が独自の暦法を採用することを妨げるものではない。

[注釈]
 世界共同体の創設は人類史にとっての一大転機となることを銘記して、従来事実上の世界共通歴となってきた西暦(グレゴリオ暦)に代わり、世界共同体憲章発効年度を第一年とする新たな暦法により運営される。ただし、西暦を含め、独自の暦法を各国構成主体が採用することは自由である。

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近代革命の社会力学(連載第126回)

2020-07-15 | 〆近代革命の社会力学

十七 1917年ロシア革命

(13)革命の余波
 1917年ロシア革命は、前節で見たソ連共産党政権による積極的な革命の輸出のほかにも、波及的な事象を世界各国で引き起こしている。その最も大きなものは、帝政ロシアと並ぶ欧州におけるもう二つの帝国であったドイツとオーストリア(ハンガリー二重帝国)において、強力な帝政を打倒した革命である。
 このドイツ革命及びオーストリア革命は、後の章で詳しく見るように、最終的にはブルジョワ共和革命の線で収斂し、親ソ革命政権の樹立には至らなかったが、反帝政・共和革命としては今日まで効果が持続し、20世紀の欧州地政学を大きく変える契機となる出来事であった。
 他方、ロシア革命に先立って共和革命(辛亥革命)に成功していながら、その後、軍閥支配の混乱に陥っていた中国でも、1921年に共産党が結党されていたが、当初の中国共産党はマイナー政党にすぎず、孫文の国民党が圧倒的な革命勢力であった。
 もっとも、中国に十月革命やボリシェヴィズムの思想をいち早く紹介したのは、孫文配下の革命派軍人・陳炯明であった。彼は孫文の護法革命に参加し、ごく短期間ながら福建省漳州に革命解放区を樹立することに成功した。この陳による漳州統治は、ソ連からも中国における初の社会主義の小さな実験と評価された。
 孫文も陳を評価していたが、地方自治や人民による権力掌握など、より革命的な思想を抱懐し、孫文の北伐作戦にも異を唱えた陳は孫文と袂を分かち、孫文をクーデターで追放するに至ったが、最終的には孫文と国民党軍に反撃され、香港に亡命した。なお、彼が亡命中に結党した中国致公党は、現在も中国共産党と協力関係にある傘下小党として存続している。
 コミンテルンとしても、こうして革命勢力として地歩を築いてきた国民党を中国における革命センターとみなす現実的な戦略から、国民党をソ連共産党の協力政党とすべく、ミハイル・ボロディンをコーディネーターとして孫文の顧問に送り込んだ。
 その結果、孫文は「連ソ」・「容共」・「扶助工農」の新方針を掲げ、1924年に国民党と共産党の呉越同舟的な共同戦線たる第一次国共合作を成立させた。同年のレーニン早世と翌年の孫文早世が重なり、合作は頓挫したが、これは、ソ連による革命輸出政策の中国版と言える面とともに、中国大陸でも共産党が伸張していく余波の一環ともなった。
 中国革命の余波を連動的に受けてきた旧清朝版図モンゴルにも、動きがあった。モンゴルでは辛亥革命の後、外モンゴルは活仏ボグド・ハーンを推戴する君主国として独立していたが、ロシア内戦中、侵入してきた白軍のウンゲルンによる暴虐な占領統治に反発したモンゴル民族主義勢力が赤軍に支援を求め、ウンゲルン軍を放逐、改めてボグド・ハーン体制を復旧した。
 ハーンの没後、1924年に君主制を廃止、社会主義を標榜する人民共和国へ再編された。この再編は、コミンテルンの指導下、一種の平和革命により無血で行われた。結果として、モンゴル人民共和国はソ連に次ぐ史上二番目の社会主義国家とみなされることになった。
 以上のような前向きの余波以外に、言わば反面的な余波が及んだのが、スウェーデンであった。スウェーデンでも社会民主労働者党が19世紀末から伸張していたが、ロシア十月革命をめぐる党内抗争で、非主流のボリシェヴィキ支持派が集団離党、1921年に共産党を結成したため、残留主流派はメンシェヴィキ支持の議会主義政党として純化・発展することとなった。
 社民党は、1920年には早くも政権を獲得したが、ヤルマール・ブランティング首相に率いられたこの最初の社民党政権は、選挙で成立した史上初の「社会主義」政権とみなされている。ブランティングは翌年の普通選挙制導入後もさらに二度、20年代に計三度にわたり首相として社民党政権を率いた。
 こうして他国の同種政党に先駆けて親メンシェヴィキ派社民党が議会政治に適応し、1930年代以来、今日に至るまで優位政党として断続的に長期政権を担うことになるスウェーデンは、ロシア→ソ連とは対照的な修正資本主義国家(福祉国家)の20世紀史を歩むことになる。
 一方、ロシアとスウェーデンの間に挟まれた旧帝政ロシア領フィンランドでは、1918年、親ボリシェヴィキ派の革命的蜂起があった。結果的に失敗に終わったフィンランドの未遂革命については、ロシア革命の余波事象を越えた性格も認められることから、続いて独立の章を立てることにする。
 また、帝政ロシアが覇権を及ぼしていたイランでは、1920年、北部ギーラーン地方に、民族主義勢力と共産党が連合して、ボリシェヴィキの支援の下、イラン・ソヴィエト社会主義共和国を建てたが、この地方的な革命もイランに固有の事情を背景としているので、独立の章を立てる。
 また、オーストリア革命の過程で独立したハンガリーでも、1919年、親ボリシェヴィキ派が蜂起し、ハンガリー社会主義連邦ソビエト共和国を建てたが、これはオーストリア革命の枝分かれ的な革命でもあるので、後にオーストリア革命と関連づけた独立の章にて論ずることにする。

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近代革命の社会力学(連載第125回)

2020-07-13 | 〆近代革命の社会力学

十七 1917年ロシア革命

(12)革命の輸出
 1917年ロシア革命、中でも十月革命によるボリシェヴィキ政権の成立に続き、史上初めて共産党を名乗る政権が支配するソヴィエト連邦が樹立されたことは世界史的な激震であり、主要国は軒並み革命の波及を警戒した。列強による干渉戦としてのシベリア出兵は成果を上げなかったとはいえ、ソヴィエト共産党政権は国際的な孤立無縁状態にあった。
 そこで、状況打開のため、レーニンとソ連共産党は諸外国での同種革命の助長と支援を意識的に行った。従来の諸革命でも、その影響が外国に波及することはしばしばあったが、諸外国に革命を積極的に「輸出」するという策は、ソ連共産党が始めた新策であった。
 このような革命の輸出は、すでに内戦中から、旧帝政ロシア版図に属した周辺地域に対しては「小さな輸出」として行われていた。1922年に最初のソ連邦構成国となるアゼルバイジャン、グルジア(現ジョージア)、アルメニアを包括したザカフカ―スやウクライナ、白ロシア(現ベラルーシ)が、その最初の事例であった。
 内戦中、これらの地域はロシアからの分離独立の動きを見せていた。中でも、ウクライナは二月革命当時、ロシアからの独立を目指し、ウクライナ人民共和国を樹立して対抗していたが、ボリシェヴィキ党はこれを認めず、親ボリシェヴィキ派で固めた同名のウクライナ人民共和国の結成を支援した。
 ボリシェヴィキ党はこのようにして、周辺地域にも革命を輸出し、親ボリシェヴィキの地域的な革命政権の樹立を支援する形で、最終的にソ連の領域に組み込んでいったのであった。こうした「小さな輸出」は中央アジア方面にも及び、最終的に、ソ連はロシアを軸に、全15ものソヴィエト共和国で構成される広大な連邦体となった。
 このように、ソ連という新国家自体が革命の輸出によって形成されたと言ってよいのであるが、周辺諸国以外への「大きな輸出」の核となったのが、1919年に結成された共産党の国際組織「共産主義者インターナショナル」(コミンテルン)である。
 この組織の理念的なバックボーンとなったのは、労働者階級による共産主義革命と資本主義の廃絶を歴史的必然とみなす世界革命論であったが、ソ連における世界革命論はそうした社会理論を越えて、ソ連と同盟する親ソ政権をさしあたりは欧州各国に拡大することで孤立を解消する外交戦略でもあった。
 コミンテルンは、発足当初のソ連外交政策を支える革命の輸出のマシンとして機能することが期待された。そのため、コミンテルンの加盟条件としても、内乱へ向けた非合法組織の設置、党内における鉄の規律、共産党への党名変更など、ソ連共産党と同等の目的・組織を持つことが要求された。
 このことにより、各国で従来活動してきた労働者階級政党が、まさにロシア社会民主労働者党におけるボリシェヴィキとメンシェヴィキの分裂と同様の党内分裂をきたし、親ソ派勢力がコミンテルン入りしてソ連共産党の各国支部に近い形となった。
 このような分断策は功を奏し、コミンテルンの結成を契機に、各国で共産党の結党が相次いだ。その余波はコミンテルンの当初の予定を越えて、中国や日本のようなアジア諸国にも及び、中国共産党や日本共産党の結党につながっていく。こうして、20世紀は、今日でも世界の大半の諸国に大小問わず共産党が存在するという形でその影響が残る「共産党の世紀」ともなっていくのである。
 ただ、革命の輸出は、最も望まれていたドイツで失敗に終わったように、各国における反共勢力によって阻止され、所期の目的は達成されなかった。基礎理論の世界革命論も、1924年のレーニンの早世の後、後継者の座を得たスターリンによって事実上撤回され、ソ連限りでの一国社会主義論に転換されていくが、革命の余波はすでに多方面に及んでいた。

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世界共同体憲章試案(連載第38回)

2020-07-11 | 〆世界共同体憲章試案

第25章 独立調査及び弾劾

〈独立調査〉

【第136条】

世界共同体総会は、その機構に属する諸機関または諸機関の構成員が関わるあらゆる不正もしくは非違行為を調査するため、独立調査委員会を設置することができる。

[注釈]
 世界共同体内部の不正・非違行為を調査する独立調査の制度である。調査対象となる非違行為には、各種のハラスメント行為のような個人的な非違も含まれる。

【第137条】

1.独立調査委員会は、その任務の遂行に当って、いかなる世界共同体構成主体からも、またはこの機構外のいかなる他の当局からも指示を求め、または受けてはならない。

2.各世界共同体構成主体は、独立調査委員会が責任を果たすに当たってその判断を左右しようとしてはならない。

[注釈]
 特記なし。

【第138条】
独立調査委員会は、調査のため必要と認めるときは、人権査察院の発付する令状に基づき、関係者を召喚し、または文書等の記録の提出を求め、もしくは立ち入り調査をすることができる。

[注釈]
 独立調査委員会は捜査機関ではないが、令状に基づき、一定の強制調査をすることができる。

【第139条】

1.独立調査委員会は、調査を終了した後、すみやかに特別報告書を総会に提出しなければならない。

2.独立調査委員会は、前条の報告に際して、不正行為等に関与した総会代議員、汎域圏全権代表者及び総会が任命する役職者並びに規則で別に定めるこの機構の幹部職員が弾劾に相当する場合は、その旨を勧告しなければならない。

[注釈]
 独立調査委員会自体は弾劾機関ではないが、第2項掲記の者が弾劾に相当する場合は、総会に勧告する。
 
〈弾劾〉

【第140条】

1.総会は、前条によって弾劾を勧告された者について、弾劾に相当する事由があると認めるときは、弾劾委員会を設置し、該当者を弾劾審査に付さなければならない。

2.弾劾委員会の委員は、問題となっている案件に関わる世界共同体構成主体または弾劾された者が属する世界共同体構成主体以外の構成主体から選任されなければならない。

[注釈]
 弾劾委員会は、問題のつど設置される非常置の審査機関である。

【第141条】

第137条の規定は、弾劾委員会にも準用する。

[注釈]
 中立性及び独立性に関わる規定の準用である。

【第142条】

1.弾劾委員会は、審査の結果、弾劾に相当する事実があると認めたときは、該当者を世界共同体公職からの永久または無期限の追放処分に付する。

2.前項の処分に不服のある者は、一回に限り、総会に対して、不服審査を請求することができる。

3.総会は、前項の不服を相当と認めるときは、決議に基づき弾劾の処分を取り消し、または減軽することができる。

4.総会は、無期限の追放処分に付せられた者が、追放処分の解除を申し立てた場合において、その申し立てに理由があると認めるときは、決議に基づき処分を解除することができる。

[注釈]
 弾劾審査とその処分をめぐる規定である。弾劾処分は、永久の公職追放または将来の解除可能性を残す無期限の公職追放の二種である。

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世界共同体憲章試案(連載第37回)

2020-07-10 | 〆世界共同体憲章試案

第24章 事務局及び人事評議会

〈事務局〉

【第130条】

事務局は、1人の事務局長及びこの機構が必要とする職員から成る。事務局長は、世界共同体総会が任命する。事務局長は、この機構の行政職員の統括者である。

[注釈]
 世界共同体の事務局は主要機関ではなく、文字通りの事務処理機関である。その点で、事務局自体が主要機関の位置づけを持ち、官僚主義に陥っている現行国際連合とは異なる。

【第131条】

事務局長は、事務局の活動について、総会及び汎域圏全権代表者会議に対して、年次報告を行う。

[注釈]
 特記なし。

【第132条】

1.事務局長及び職員は、その任務の遂行に当って、いかなる世界共同体構成主体からも、またはこの機構外のいかなる他の当局からも指示を求め、または受けてはならない。事務局長及び職員は、この機構に対してのみ責任を負う民際的職員としての地位を損なうおそれのあるいかなる行動も慎まなければならない。

2.各世界共同体構成主体は、事務局長及び職員の責任のもっぱら民際的な性質を尊重しなければならず、またこれらの者が責任を果たすに当たってこれらの者を左右しようとしてはならない。

[注釈]
 事務局長及び職員の民際的中立性に関わる担保規定である。

〈人事評議会〉

【第133条】

1.人事評議会は、事務局長を除く全事務局職員の人事及び懲戒を司る。

2.人事評議会の評議員は、総会がこれを選任する。

[注釈]
官僚主義に陥らないため、世界共同体事務局職員の人事及び懲戒については、事務局から切り離し、総会の補助機関である人事評議会が一元的に管掌する。

【第134条】

1.人事評議会は、その任務の遂行に当って、いかなる世界共同体構成主体からも、またはこの機構外のいかなる他の当局からも指示を求め、または受けてはならない。

2.各世界共同体構成主体は、人事評議会が責任を果たすに当たってその判断を左右しようとしてはならない。

[注釈]
 人事評議会の中立性に関する規定である。

【第135条】

1.職員は、人事評議会の指名に基づき、事務局長が任命する。

2.人事評議会が職員の雇用及び所属並びに勤務条件の決定に当たって最も考慮すべきことは、民際公務員としての最高水準の見識及び誠実を確保しなければならないことである。職員をなるべく広い地理的基礎に基いて公平に採用することの重要性については、十分な考慮を払わなければならない。

[注釈]
 事務局人事は、新規採用から転属、昇進に至るまで、人事評議会が管轄し、事務局長の任命権は形式的なものにとどまる。

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