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世界共同体憲章試案(連載第32回)

2020-05-31 | 〆世界共同体憲章試案

第19章 憲章理事会

【第110条】

1.憲章理事会は、総会で抽選された15の世界共同体構成領域圏で構成する。

2.理事会の理事領域圏は、五年の任期で抽選される。退任する理事領域圏は、引き続いて抽選される資格はない。

3.理事会は、各理事領域圏の民衆会議が任命した法律家の資格を有する特別代表によって構成される。

4.特別代表の中から、抽選により、議長及び議長代理を各一年の任期で選任する。

[注釈]
 憲章理事会は、世界共同体憲章の終局的な有権解釈を中心的な任務とする司法機関としての性格を有する特別な理事会である。よって、その構成も他の各理事会とは大きく異なり、各理事領域圏が任命した法律家資格を有する特別代表で構成される。その結果、憲章理事会特別代表は、判事としての任務を遂行することになる。

【第111条】

1.理事会は、世界共同体構成主体における終局的な司法機関の下した司法的決定が世界共同体憲章に違反している場合、紛争当事者の審査請求に基づき、憲章の正当な解釈を通じて、当該司法的決定を是正する権限を有する。

2.理事会は、世界共同体構成主体における終局的な司法機関が世界共同体法の解釈を誤っている場合、紛争当事者の審査請求に基づき、法の正当な解釈を通じて、当該司法的決定を是正する権限を有する。

[注釈]
 本条に示されるように、憲章理事会の任務は、世界共同体憲章及び世界共同体法(条約)の最終的な有権解釈を示すことにある。
 いずれにせよ、憲章理事会が判断を下せるのは、世界共同体構成領域圏をはじめとする各構成主体の終局的な司法機関の司法的決定に瑕疵が認められる場合だけである。逆言すれば、紛争当事者が世界共同体構成主体内の司法機関による終局的な審査を経ずして、跳躍的に理事会に提訴するようなことはできない。

【第112条】

1.理事会特別代表は、自身が属する世界共同体構成主体の市民が当事者である案件の審議及び評決に参加することはできない。

2.理事会の評決は、15人の特別代表の多数決でこれを行う。ただし、多数意見に反対する特別代表は、個別に少数意見を示すことができる。

3.第1項が適用されたことにより、評決が可否同数となったときは、議長が、議長が参加しない場合は議長代理が裁定する。

[注釈]
 憲章理事会は司法機関としての性格を持つ関係上、中立性の観点から、特別代表は自身が属する構成主体が関わる案件の審議・評決からは外れる。

【第113条】

理事会の決定は終局性を有し、評決に反する世界共同体構成主体の司法的決定は効力を失う。

[注釈]
 憲章理事会の決定は、それ自体が司法的な決定の性格を持つ。なおかつ、終局性があるため、これを覆すことはできず、理事会決定に反する世界共同体構成主体の司法的決定は無効とされる。

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共産法の体系(連載第42回)

2020-05-30 | 〆共産法の体系[新訂版]

第7章 争訟法の体系

(8)法令司法
 法令司法は、司法各部で法令を適用するに際して生ずる法解釈上の争点を解決する法律審を行なう司法である。民衆会議制度の下では、法令の解釈は法令を制定した民衆会議自身が有権的に示すことにより、民主主義が徹底される。
 法令司法の中でも、最高法規たる民衆会議憲章(以下、単に憲章という)の解釈に関わる違憲審査と、憲章以外の一般法令の解釈に関わる法令審査は区別される。違憲審査は、各圏域民衆会議に設置される憲章委員会が担い、法令審査は各圏域民衆会議に設置される法理委員会が担う。
 両委員会は、民衆会議の常任委員会であると同時に、法令司法権も行使するという二重の役割を持つ。従って、憲章委員会の委員は憲章そのものの改正発議に関わる一般代議員のほかに、法律家から任命され、専ら違憲審査を担う特別代議員(判事委員)を擁し、法理委員会は全員が法律家たる特別代議員(判事委員)で占められる(特別代議員の地位については拙稿参照)。
 前回まで見た各司法分野における司法機関はそれぞれ担当する案件を処理するに当たり、憲章をはじめとする法令の解釈を迫られる場合もあり得るが、そうした場合、第一次的には自ら法解釈を示す権限を持つ。その法解釈に基づく審決に不服のある当事者は、上記の各委員会へ法令不服審査を請求することができる。
 請求を受けた委員会では、第一次的な法解釈の妥当性を審査し、これを是認するか否かを決する。是認しない場合は、委員会としての解釈を審決したうえで事件を差し戻す。差し戻しを受けた司法機関は、改めて委員会の示した解釈を前提として処理をし直さなければならない。
 ところで、憲章は世界共同体憲章を究極的な統一法源とするため、領域圏憲章(例えば日本領域圏憲章)に関して示された民衆会議憲章委員会の解釈が世界共同体憲章に違反している疑いがある場合、不服の当事者は世界共同体憲章理事会に海を越えた民際上告をすることができる。
 同理事会は、世界共同体憲章の解釈に関する最終的かつ唯一の司法機関である。その審決は、世界共同体を構成する各領域圏すべてを等しく拘束する世界共通の先例として領域圏の法令司法機関もこれを前提とした審理を義務づけられることになる。

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共産法の体系(連載第41回)

2020-05-29 | 〆共産法の体系[新訂版]

第7章 争訟法の体系

(7)弾劾司法
  
弾劾司法は公務員や公務員に準ずる公職者の汚職、職権乱用等の職務上の犯則行為を審理する特別な司法分野である。これは基本的に裁判という制度によらない共産主義的司法体系にあって、唯一裁判の形式による例外司法である。
 弾劾司法に属する裁判機関としては、民衆会議の現職代議員及び民衆会議が直任する公務員の犯則行為を審理する民衆会議弾劾法廷のほか、公務員及び公務員に準じる公職者による職務上の人権侵害事案を審理する特殊な弾劾法廷としての特別人権法廷、民衆会議が直任しない公務員及び公務員に準じる公職者の汚職事案を審理する公務員等汚職弾劾審判所がある。
 このうち、民衆会議弾劾法廷と特別人権法廷は事案ごとに設置される非常置の裁判機関であるが、公務員等汚職弾劾審判所は常設裁判機関である。
 裁判機関といっても、刑罰制度は存在しないから、有責と認められた者に科せられる制裁の中心は罷免であり、情状に応じて公民権の有期もしくは無期の停止または永久剥奪という処分が併科される。公民権が停止・剥奪されると、およそあらゆる公職に就くことができなくなる。

 民衆会議弾劾法廷は、領域圏及び領域圏内の各圏域すべての民衆会議にそのつど設置される特別法廷である。その第一の対象は民衆会議代議員であるが、民衆会議が直任する公職者の中でも中立性確保のため身分保障が強く求められる各種の司法職が第二の対象範囲である。その他の民衆会議直任職がそれに続く。
 民衆会議弾劾法廷は裁判の形式を取るため、刑事裁判に準じた起訴の手続きによって開始される。そのために検事団が任命されるが、その前に民衆会議弾劾委員会が予備調査を行い、弾劾法廷を設置する必要性の有無を議決する。
 弾劾法廷が設置されると、任命された検事団は、必要があれば人身保護監から令状を得て各種の強制捜査を実施する権限を有するが、被疑者に対する長期間の身柄拘束を行なう権限は持たない。被疑者や証人聴取のための勾引が限度である。
 捜査を遂げた検事団が起訴を決定すると、判事団が任命される。判事団は、法律家及び2名の民衆会議代議員で構成され、起訴事実に関して審理し、判決する。検事団の立証行為に対抗し、被告人は反論反証する権利を保障されるが、判決に対して控訴することはできず、一審限りで終結する。
 民衆会議弾劾法廷の対象外の公務員等の汚職事案は、常設の公務員等汚職弾劾審判所で審理される。常設裁判機関であるため、審判所検事局は、予備調査を経ず、直接に被疑者を起訴できる。公務員等汚職弾劾審判所の審判は法律家たる判事と民衆会議代議員免許を有する2名の市民参審員で構成される。
 一方、特別人権法廷の対象となるのは、主として市民に対して強制権力を行使する立場にある公務員等である。法廷の設置は、公務員による人権侵害を訴える市民の請求を受け、人身保護監が決定する。
 非常置である点を除けば、審判の手続き的な流れは公務員等汚職弾劾審判に似るが、審理の結果、反社会性が強く、一般の犯則行為者に準じて矯正処遇を要すると判断された場合は、有責者を矯正保護委員会に送致する。

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近代革命の社会力学(連載第109回)

2020-05-27 | 〆近代革命の社会力学

十五 メキシコ革命

(3)開発独裁体制の矛盾
 1872年のフアレス大統領の急死は、権力の空白という以上に、精神的な支柱の喪失状況を生み出した。フアレスの後継者となったセバスティアン・レルド・デ・テハーダ大統領は執政者として十分有能ではあったが、この頃、強力な対抗馬として、軍人のポルフィリオ・ディアスが台頭してきていた。
 元来は自由主義派にしてフランス傀儡第二帝政打倒の抵抗戦の指揮官でもあった彼は、フアレス存命中から権力への野望を示し、1867年の大統領選挙でフアレスと争うも、敗退している。その後も1871年大統領選に出馬するが、またも敗退した。
 それでもなお権力への野望を捨てなかったディアスは、フアレスの死後、三度目の挑戦で臨んだ1876年大統領選に敗れ、レルド大統領の再選を許すや、軍事クーデターに出てレルド政権を転覆した。
 こうして政権奪取に成功したディアスは当初、側近を短期間傀儡大統領に据えた後に自ら大統領に就任、1884年に再選すると、87年には憲法を改正して、大統領の多選禁止規定を排除、終身的に大統領にとどまることを可能にした。彼は元来、フアレスを意識して大統領の再選禁止を公約としていたにもかかわらず、自身には公約を適用しなかったのである。
 こうして通算で30年以上に及ぶことになるディアス体制は、長期執権の見返りとして、半封建的な大農園アシエンダを保有する白人農園主の特権を保証するものとなった。
 彼のライバルだったフアレスは19世紀のラテンアメリカでは―今日ですら―異例の非白人先住民族出自の大統領であり、理念的な面では農民層である先住民族の権利擁護を打ち出したものの、アシエンダ農園主の特権に切り込むことはできなかった。
 ディアスはそうしたアシエンダ農園主層の特権を擁護しつつ、メキシコ社会を近代化する計画にも着手した。その手段として、かねてよりメキシコに触手を伸ばしていたアメリカ資本を優遇し、鉄道や鉱山などメキシコ基幹産業を外資に切り売りする形で開発を推進していったのだった。
 このように、内に向けては農園主優遇、外に向けては外資導入という二枚政策はある面では的中し、メキシコ社会はディアス時代に近代的工業化を遂げ、インフラストラクチャーの整備も進んだ。そうした点で、ディアス体制は20世紀のラテンアメリカ諸国やアジア諸国にも、しばしば軍事政権(もしくは軍人政権)の形態で現れる開発独裁体制の先駆けとも言える性格を伴っていた。
 しかし、ディアス式のメキシコ近代化は都市部にとどまり、地方では半封建的なアシエンダ農園が温存され、先住民系を中心とした農民は農場労働者として搾取される状況が続くというように、都市と地方のねじれ的な矛盾現象を生じた。
 この矛盾は貧困状況に閉じ込められた地方農民層に強い不満を広げ、やがて世紀が変わると革命の地殻変動を促進するとともに、下層階級の暴発が革命に進展することを恐れる農園主や新興のメキシコ人企業家層―両者は時に重複した―の間にも「ディアス降ろし」の機運をもたらすこととなった。

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近代革命の社会力学(連載第108回)

2020-05-26 | 〆近代革命の社会力学

十五 メキシコ革命

(2)革命前史
 20世紀のメキシコ革命には、前世紀1821年の独立に始まる長期の過程を経た一世紀近い前史がある。メキシコを含むラテンアメリカでは、フランス領ハイチの独立革命を皮切りに、地域の大半を占めていたスペイン植民地の独立運動が19世紀に入って地殻変動的に連鎖していく。
 そうしたラテンアメリカ独立運動の先陣を切ったのが、ラテンアメリカのスペイン植民地で枢要な部分を占めていたメキシコであった。メキシコの独立運動は1810年に始まり、1821年、独立運動指導者アグスティン・デ・イトゥルビデが皇帝アグスティン1世として即位し、成立した第一帝政でひとまず完了する。
 この一連の過程を「メキシコ独立革命」と呼ぶこともあるが、その主要な性格は革命というよりも独立戦争にあったので、本連載では個別の項目としては扱わなかった。いずれにせよ、アグスティン1世は保守的な君主制支持者であり、すぐに専制化したため、1823年、各地の軍司令官や知事らの決起により退位させられ、アメリカ型の連邦共和制メキシコ合衆国が成立した。
 この1823年革命(第一次共和革命)は無血のうちに成功したが、これによって成立した第一共和政は安定せず、以後のメキシコ近代史の展開はめまぐるしい。
 1835年に連邦共和制が改編され、集権共和制のメキシコ共和国が成立するが、州の自治が制限されたことで内乱が続き、1846年に再び連邦制メキシコ合衆国に復帰する。
 しかし、この第二次メキシコ合衆国は内憂外患を抱え込んだ。まずは、北隣の大国アメリカ合衆国が南部領土の拡大を目論み、米墨戦争が勃発、これに敗れたメキシコは北部領土の相当部分を喪失した。
 そのうえ、1850年代半ば以降は、自由主義的な連邦制支持派とカトリック支持の保守的な中央集権制支持派の間で内戦が起きた。1860年に自由主義派が勝利するや、翌年、フランス第二帝政のナポレオン3世がメキシコ侵略を断行した結果、1864年には事実上のフランス傀儡体制として第二帝政が樹立される。
 この第二帝政の皇帝に据えられたのはメキシコ人ではなく、オーストリアのハプスブルク家出身のマクシミリアンであったから、これによりメキシコは再び西欧植民地に復帰する恐れがあった。しかし、第二帝政は安定せず、フランスが占領軍を撤退させると、1867年、メキシコ人の自由主義勢力が決起して、マクシミリアンを捕らえ、処刑した。
 この二度目の共和革命の結果、メキシコ合衆国が回復され、ようやく安定化に向かった。この時点で、最初の独立から50年近くが経過していた。合衆国回復の立役者は、先住民系農民出自のベニート・フアレスであった。彼は、自由主義的な改革派指導者として1850年代末に台頭していた。
 フアレスは1858年から内戦期、傀儡第二帝政期を通じ、病死した1872年までメキシコ合衆国大統領の地位にあり、連邦制に基づく民主的な共和制と先住民の権利の尊重を軸とする自由主義的な政治を主導したが、社会主義者ではなく、ブルジョワ民主主義の枠内での進歩主義者であった。
 とはいえ、現在でも「建国の父」と目されているフアレスの政治理念はその後もメキシコ合衆国のバックボーンとなり、20世紀のメキシコ革命にしても、フアレスの没後に独裁化した共和政に対抗して、フアレスの理念を取り戻すことが主要な目的であったと言ってもよい。

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近代革命の社会力学(連載第107回)

2020-05-25 | 〆近代革命の社会力学

十五 メキシコ革命

(1)概観
 メキシコ革命とは、1911年5月の政変により、前世紀の1876年以来断続的に続いていたポルフィリオ・ディアス大統領の独裁体制が打倒された時点から、様々な革命勢力が競合する内戦を経て、1917年に革命憲法が制定されて現代メキシコ合衆国の基礎が築かれた時点までを指す。
 その時期は、ポルトガルの共和革命や中国の共和革命(辛亥革命)とほぼ同時並行的であり、かつ1917年ロシア革命に先立つ位置にあり、20世紀初頭における大陸を越えた革命的地殻変動を象徴する出来事であったと言える。
 ただ、同時代的な革命との大きな相違点は、ポルトガルや中国、ロシアにおける革命が君主制に対する共和革命であったのに対し、メキシコではすでに19世紀の間に共和制が確立されており、革命も独裁化した共和制に対して起こされたという点である。
 このような近代的共和制内における民主化革命は、まだ共和制国家そのものが希少であった当時には稀有のものであり、帝政崩壊直後の臨時の共和制に対して起こされたフランス・コミューン革命を除けば、史上初例と言えるのが、メキシコ革命であった。その意味で、メキシコ革命は20世紀後半以降に増加していく新しいタイプの革命の先駆けともなった。
 メキシコ革命のもう一つの特徴は、その内部に農民革命の要素を伴ったことである。近代革命において農民は保守的・反革命的な立場を取ることが多い中、メキシコではアナーキストに率いられた農民革命派が重要な役割を果たした。かれらは革命において勝者とはならなかったが、その影響性は時代を越えて残り、遠く1990年代に地域的な革命に成功するのである。
 このように、メキシコ革命では農民運動と結びついたアナーキズムの影響性が強かった一方、当時欧州で台頭し、ロシア革命では主導的な革命集団となった労働者階級・マルクス主義勢力は弱く、ほとんど足跡を残さなかった。
 とはいえ、メキシコ革命は単なるブルジョワ革命でもなく、革命の結実である1917年憲法は土地や天然資源・水の国家管理や社会権の保障などを軸とする社会主義的な要素を持っており、ロシア革命に先立つ(半)社会主義革命という性格も伴っていた。
 しかし、資本主義を明確に否認することもなく、イデオロギー的な両義性・混交性が止揚されていなかったことから、革命の保守的収斂の結果として1929年に誕生した国民革命党(後の制度的革命党)は、労働者には社会主義を約束し、資本家には資本主義を保証するようなヌエ政党として自己確立された。
 しかし、そのことが党略的には長期的な成功を収め、制度的革命党はメキシコ革命以降のメキシコにおいて圧倒的な優位政党となった。党は1929年から2000年まで70年以上にわたり連続して大統領を輩出し続け、近代メキシコの政治経済を支配する包括的与党勢力として君臨したのである。

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共産法の体系(連載第40回)

2020-05-23 | 〆共産法の体系[新訂版]

第7章 争訟法の体系

(6)護民司法
 護民司法は、基本的人権・市民的権利の擁護を主任務とする司法分野である。しかし、統一的な組織は持たず、一般護民監と個別の専門分野ごとに任命される専門護民監がそれぞれ単独で、各自所掌する事案の解決に当たる。
 また、各護民監は、当事者の請求によることなく、自身が独自に認知した問題事案に対して強制調査権を行使し、是正のための措置を取ることができる点で、護民司法は受動的な紛争解決を超えた能動性を持つ点に特色がある。
 護民監は、いずれも司法作用を担うからには、証人の召喚・聴取や各種証拠の提出命令などを発する司法的権限を有し、命令違反者は司法侮辱の犯則に問われる。
 また、護民監は司法作用として終局的な審決ないし決定を発することができる。護民監の審決は遵守違反に対して司法侮辱の制裁を科せられる是正命令という形で示される。ただし、審決に至らず、強制力のない是正勧告で終了させることもできる。
 
 一般護民監は最も広範囲な権限を有する護民監であり、各圏域の民衆会議によって任命され、各民衆会議管轄下のあらゆる法権力機関を対象とし、法令適用・法執行をめぐる不服・紛争の解決及び法令順守の監査にも当たる。
 一般護民監の任務は個人の権利の擁護とともに、それを超えて法権力機関やその他の公的組織体に対する監察を通じた公正な社会の保持という公益にも及ぶものとなる。
 さらに、一般護民監は、以下の各専門護民監の決定ないし審決に対する不服審判を担当する上級審の役割も担う。
 一般護民監は常に複数任命されるが、その職権行使は各自単独で、かつ民衆会議からも独立して行なう。
 
 一方、専門護民監として最も主要なものは、人身保護監である。これは人身保護に専従する護民監職ゆえに、名称を人身保護監とする。
 その最も重要な任務は犯則司法の分野で、身柄拘束令状や捜索差押令状、通信傍受、監視撮影等の監視令状等各種の強制捜査令状の発付とそれに付随する被疑者の権利擁護、さらに前回見た真実委員会の招集や再審議請求などである。
 それ以外にも、私的か公的かを問わず、不法・不当な拘束状態にある人やその親族、第三者の請求に応じ、人身保護令状を発して直接に身柄を解放する任務も持つ。
 人身保護監は広域自治体である地方圏(連合型の場合は、準領域圏)の民衆会議が地域ごとに管轄を定めて任命するが、その職権行使は常に単独で、かつ民衆会議からも独立して行なう。

 その他の専門護民監職の例を挙げると、次のようである。

〇情報護民監
 これは、公私を問わず、個人情報を蓄積する組織における個人情報の扱いをめぐる不服・紛争の処理や問題事案の調査・是正に当たる護民監職である。

〇労働護民監
 これは、労働基本権の擁護に特化した護民監職である。職場における各種のハラスメント事案の解決にも当たる。ただし、企業体の場合は、護民監への跳躍出訴が認められるハラスメントの事案を除き、企業内の労働仲裁委員会で解決できなかった事案に限り、当事者の請求に基づいて介入し、紛争解決に当たる二段階制を採る(拙稿参照)。

〇反差別護民監
 これは、個人または集団が引き起こす各種の差別事案に対応し、被差別当事者の救済と差別解消を図る護民監職である。

〇子ども弁務監
 これは、未成年者の権利擁護に特化した護民監職である。いじめを含め、子どもの人権全般に関する紛争解決を担う。権利主張が未熟な子どもを代弁するという趣意から、名称を「弁務監」とする。

 なお、これらの専門護民監はいずれも中間自治体(郡)及び大都市ごとにそれぞれの民衆会議によって任命されるが、職権公使は単独で、かつ民衆会議からも独立して行なう。

:人身保護監を除く専門護民監の制度は、上掲の代表的な制度以外にも、実情に応じて個別の分野ごとに新設することができ、そうした新設あるいは統廃合は各圏域民衆会議の政策に委ねられる。

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共産法の体系(連載第39回)

2020-05-21 | 〆共産法の体系[新訂版]

第7章 争訟法の体系

(5)犯則司法②
 前回も触れたように、捜査が終了した後、被疑者が被疑事実を争う意思を表明した場合、事実解明のプロセスは、事実の解明のみに特化した司法機関である真実委員会に託される。
 真実委員会は法律家2名(うち1名は委員長)、法律以外を専攻する有識者1名及び民衆会議の代議員免許を有する一般市民代表2名の計5名で構成される合議体であり、人身保護監の請求に基づきそのつど招集される非常設機関である。
 真実委員会の審議開始前には、証拠関係を整理する予備調査が行なわれる。予備調査員は捜査機関から送致された証拠を検分し、適法性が確認された適格証拠のみを整理して真実委員会に提出する。その際、予備調査員は必要に応じて被疑者・証人等の関係者を召喚聴取することができる。
 真実委員会は罪人を裁く裁判制度ではなく、純粋に事件真相を解明するための制度であるから、訴追専門職としての公訴官(検察官)は存在せず、被疑者も被告発者たる「被告人」とはならず、プロセスの過程を通じて「被疑者」のままである。
 よって真実委員会の審議は刑事裁判に見られるような当事者間での主張立証の応酬にはならず、提出された証拠に基づき事実関係を再構築することに重点が置かれる。そこでは、被疑者も、真実委員会の審議の必要に応じて一個の証人として召喚・聴取されるにすぎない。
 ただし、被疑者を含むすべての証人は真実委員会による召喚・聴取に際して、法曹資格を有する弁務人を付けて、証言の補佐を依頼することができるが、弁務人が代わって証言することはできない。
 真実委員会の審議は原則として公開されるが、少年事件の場合はその親族や被害者のほか、第三者から選ばれる独立傍聴人を含む当事者限定公開とする。
 審議を終了した真実委員会は、解明された事実関係を示す審決を発する。これは刑事裁判の判決に相当するが、「有罪」「無罪」という形式で示されるのではなく、事案の真相を詳述する報告書の体裁で記述的に提示される。従って、被疑者が真犯人と確証できない場合は、「無罪」ではなく、犯行者不詳として記述される。
 真実委員会の審決に不服のある被疑者は人身保護監に対し、再審議を請求することができる。この場合、第一次真実委員会とは全く別個のメンバーによる第二次審議が行われるが、そこでの結論のいかんを問わず、第三審を求めることはできない。
 
 被疑者を真実の犯行者と認定する真実委員会の審決が確定した場合、引き続いて犯則行為者の処遇を決定する矯正保護委員会へ送致される。
 この委員会は矯正保護の専門家のみで構成された常設機関であり、犯行者の犯行内容や犯歴、人格特性、心身の病歴などを科学的に審査した上で、最適の処遇を決定する。少年事件の場合は、少年問題の専門家で構成された矯正保護委員会少年分科会が特別に審査する。
 矯正保護委員会の審議は非公開で行なわれるが、被審人は法律家または矯正保護に関する専門知識を有する有識者を付添人として補佐させることができる。
 矯正保護委員会の決定に不服のある被審人は、矯正保護委員会の控訴審に相当する中央矯正保護委員会に不服審査を請求することができるが、そこでの結論のいかんを問わず、第三審を求めることはできない。
 矯正保護委員会は、決定確定後も犯則行為者に対する処遇の執行から終了までフォローアップする任務を負い、処遇タームの更新の権限を有するほか、処遇の執行状況に対する監督是正の権限も有する。それには、処遇執行中の犯則行為者からの苦情申立てに応じて必要な監督是正措置を取る権限を含む。
 その限りにおいて、矯正保護委員会は犯則司法と同時に、処遇の執行過程での人権擁護を担う護民司法という二つの司法領域にまたがる任務を持つ特殊な司法機関であると言える。

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共産法の体系(連載第38回)

2020-05-21 | 〆共産法の体系[新訂版]

第7章 争訟法の体系

(4)犯則司法①
 犯則司法は、犯則行為の解明及び犯則行為者の処分を目的とする司法の分野を指す。資本主義社会における刑事司法に相当するものであるが、「刑事」と呼ばないのは、共産法には刑罰制度が存在しないからである。
 犯則司法の入り口となるのは、言うまでもなく犯則事実の解明であるが、刑事司法のプロセスでは通常、事実の解明と処罰とが刑事裁判という形で一括的に行われるのに対し、犯則司法においては事実の解明とそれに基づく犯則行為者の処遇のプロセスは明確に区別され、完全に別立てとなる。本来、両プロセスは実質を全く異にするからである。
 犯則事実の解明の端緒は、捜査機関による正式の捜査に始まる。共産主義的捜査は、警察ではなく、専従の捜査機関が遂行する。貨幣経済が廃されることにより、貧富階級差もなく、治安状況が極めて安定に保持されるであろう共産主義社会に警察という強大な治安機関の存在は必要なく、そもそも存在しないからである(参照拙稿)。
 捜査機関は捜査の追行のために必要な場合、市民の人身保護を任務とする司法職の一種である人身保護監に身柄拘束令状や捜索差押令状の発付を請求して強制捜査を行なうことができる。一方、令状によらない現行犯逮捕は防犯を主任務とする準公務員である警防員も行うことができる。
 身柄を拘束された被疑者は、直ちに人身保護監のもとへ召喚され、公開の審問を受ける。その結果、継続的な身柄拘束の必要性がないと判断されれば、人身保護監は釈放を命じなければならない。
 ちなみに、明らかな病死以外の要因による変死体が発見された場合は、捜査機関から独立した公的専門職である検視監による検視が実施される。検視結果は人身保護監が主宰する検視審問会による公開審問を経て最終的に確定される。
 捜査が終了すると、捜査機関が収集した証拠はいったん人身保護監に送致される。人身保護監は改めて被疑者を召喚聴取し、被疑者が全面的に被疑事実を認める場合は、犯則行為者の処遇を決定する矯正保護委員会に事件を送致する。被疑者が被疑事実の全部または一部を否認する場合は、事実を改めて解明するため、真実委員会の招集を決定する。
 ここで改めて伝統的な刑事司法と対比すれば、刑事司法のプロセスにおいて、フランス革命後のナポレオン法典以来、定番となってきた公訴官(検察官)による起訴という手続きは、共産主義的犯則司法においては存在せず、上述のように、人身保護監を介して捜査と事実解明、処遇の各プロセスが有機的につながる体系となる。
 なお、訓戒以上の処分を要しない軽微な犯則行為や少年の非行については、防犯活動の一環として、警防員の正式文書による訓戒限りで処理され、正式の捜査は省略される。

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近代革命の社会力学(連載第106回)

2020-05-19 | 〆近代革命の社会力学

十六 中国共和革命:辛亥革命

(7)「護法革命」の不発
 袁世凱死去後の北洋軍閥支配の過程で台頭してきたのは、段祺瑞であった。彼はクーデターで実権を握ると、国会を解散し、共和制憲法としての中華民国臨時約法も一方的に破棄して、新政府を樹立していた。
 このような反革命的状況に対し、孫文ら革命派本流も対抗策として、1917年9月、解職された国会議員団を擁し、南部の広州に新体制を樹立した。その目的は、段によって破棄された臨時約法を護持することにあったが、ここでは、孫文を大総統ならぬ大元帥に選出し、北京政府の打倒を目指す対抗的軍政府の形態を採るに至った。
 この広東軍政府には軍閥の一部も賛同し、屋台骨を担うことになったため、孫文を指導者としながらも北京軍閥政府と対峙する軍事政権の性格が強いものとなり、実際、段祺瑞政府と交戦したが、結局、これは和議に終わり、決着はつかなかった。
 軍人が支える広東軍政府における孫文の立場は微妙であったが、この時の孫文は従来の君子然とした態度を変え、権力の掌握を目指して一度ならずクーデターを企てるなど、かなり政略的に動いている。
 一度目のクーデターは軍政府内部で増長してきた広西派軍閥を抑え込む目的であったが、失敗し、かえって広西派の実権が確立され、孫文は大元帥を辞職したうえ、上海への国内亡命を余儀なくされた。
 その後、1920年に孫文派の軍人・陳炯明が決起し、広州に進軍して広西派政府を打倒したことを受け、孫文は再び広州に帰還して改めて大総統に就任し、正式の中華民国の復活を宣言した。しかし、実質上は軍事クーデター政権であり、外国の承認を得られなかったうえ、北京政府に対する掃討作戦・北伐をめぐり、これに積極的な孫文と消極的な陳炯明の間で確執を生じた。
 当時、ある面では孫文より進歩的だった陳炯明は自身が樹立に貢献した新体制の下で絶大な権力を握っており、孫文を追い落とすのは容易であった。結局、軍を握る陳が総統府を攻撃するという手荒なクーデターにより、孫文を失権させ、再び上海亡命に追いやるのであった。
 この一連の動向は、孫文らが北京軍閥政府により破棄された臨時約法を取り戻そうとした過程という意味で、「護法運動」と呼ばれるが、その過程で成立した広東軍政府は北京政府と並立する形のまま終わり、結局のところ、再革命に発展せず、対抗権力の樹立にとどまる未然革命の状態に終始したのである。
 上述したように、「護法運動」における孫文はいつになく政略的に動こうとしていたが、元来策士の器量でないことに加え、軍人に依存したことで、軍人に革命を乗っ取られる格好となり、実権を確立することに失敗した。
 このように、革命が次第に軍人によって乗っ取られていく過程は、同時期の1910年ポルトガル共和革命の経過とも類似するところがある。ともに、革命に果たす文民の力量が不足し、民衆の参加も欠いており、職業軍人の手を借りたことが影響している。
 ところで、中国共和革命は17世紀以来の王朝体制を打倒した共和革命という点では、数年後に起きたロシア革命との共通性を持つが、ロシア革命との最大の相違は、ブルジョワ革命の線で終始し、それさえも挫折したうえ、社会主義革命が後続しなかったことである。
 中国では社会主義政党の結党は遅れており、20世紀初頭の段階では有力な社会主義政党は存在せず、1917年ロシア革命の影響から1921年に結党された共産党が本格的な初の社会主義政党であったが、中国共産党が最終的に革命により政権を握るまでには、抗日戦争及び国民党との内戦を経て28年の歳月を要している。
 一方、「護法革命」失敗後の孫文は、それまでの知識人中心の革命の限界を超えるべく、より大衆的な基盤を持った革命政党として中国国民党を結党し、急速に台頭してきた共産党とも連携する姿勢を示した。
 これがいわゆる「国共合作」であるが、この新たな局面はロシア革命後のソヴィエトの仲介によっており、1911年に始まる中国独自の共和革命とは切り離されるので、後にロシア革命の項で改めて取り上げることにする。

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近代革命の社会力学(連載第105回)

2020-05-18 | 〆近代革命の社会力学

十六 中国共和革命:辛亥革命

(6)革命の挫折と軍閥支配
 革命横領者・袁世凱の死後、中国共和革命に巻き返しのチャンスが訪れながら、それを生かせず挫折していった要因としてはいくつか想定できるが、最大の要因として、革命派が分裂していたことがある。1911年の革命自体は、中国同盟会が主体となって起動したものだが、同盟会自体が諸派の連合組織に過ぎなかった。
 実際、袁世凱に対抗するため、革命派が国会選挙を急いでいた頃、革命派は複数の政党に分裂していたが、年末からの選挙に合わせて合同し、国民党を結党した。これは、改めて孫文を指導者に仰ぐ革命派の本流政党と呼ぶべき政党であった。
 とはいえ、にわか仕立ての観は否めず、国民党は総選挙で第一党となりながらも、内部では孫文に対抗して宋教仁が実権を持った。宋教仁は大総統(大統領)主体のアメリカ型共和制を支持する孫文に対し、清末の体制内改革で不完全ながらも現れていた議院内閣制の支持者であり、政体観に相違があった。
 ただ、前回見たとおり、宋教仁が袁世凱の策動により暗殺された後、国民党は強制解散に追い込まれたため、短命に終わった。その後、革命派は再び四分五裂したが、1914年に、亡命政党として改めて孫文を指導者とする中華革命党が東京にて結党されるが、これも亡命政党の性格上、実質的な活動は停滞した。
 この時点でも、孫文はなお革命指導者として名声を保持していたものの、彼は理論的・精神的指導者タイプであり、実務的な政治指導力となると、疑問符の付く人物であった。そうした君子然とした孫文の限界は、袁世凱との対決過程や革命派内部での主導権争いにおいてもすでに表れていた。
 そのため、袁の急死後に生じた権力の空白に乗じて、孫文が改めて大総統として権力を掌握し、革命過程をやり直すといった積極策に出ることもできなかったのである。
 それに加えて、袁世凱存命中から、革命後の混乱に乗じた日本の帝国主義的な攻勢が強まっていたことも、革命プロセスにマイナスの影響を与えた。特に袁が日本のいわゆる21か条要求に屈し、中国大陸における日本の権益の擁護に応じたことは、その後、なし崩しに日本による中国侵食が進行する道を開いた。
 ドイツの中国権益奪取を狙う日本の対中攻勢は折からの第一次世界大戦の勃発とも深く連関しており、袁世凱没後の権力の空白という危機的状況の中、1911年に誕生したばかりの不安定な中華民国は日本に同調して対独宣戦すべきかどうかの決断も迫られていた。
 そうした複雑な情勢下、袁の後継体制は、結局、彼が権力基盤とした北洋軍閥系の軍人たちが引き継ぐことになった。清末の新軍の系譜を引く彼らは近代的な職業軍人の装いをしてはいたものの、実態としては封建的な軍閥の性格を残し、群雄割拠する傾向にあった。
 彼らの関心は、三民主義云々の政治思想よりも、自身の権力と利権の確保であり、そのための合従連衡、さらに資金源として日本を含めた帝国主義列強からの借款の獲得競争であった。結果として、北京の中央政府は弱体化し、大総統も有力軍閥間でたらい回しのように目まぐるしく交替することになった。

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続・持続可能的計画経済論(連載第17回)

2020-05-17 | 〆続・持続可能的計画経済論

第1部 持続可能的計画経済の諸原理

第3章 計画組織論

(3)世界計画経済の関連組織
 世界共同体における経済計画の全体的な設計図となる世界経済計画の策定に当たる機関は、まさに世界経済計画機関であるが、この機関は、先行の『持続可能的計画経済論』で述べたように(拙稿)、官僚制的行政機関ではなく、各領域圏の経済計画会議と同様に、生産企業体自身の共同計画を策定する合議制機関である。その概要は上掲拙稿に記したので、ここでは、世界経済計画の策定に関わる関連組織について見ておく。
 世界経済計画機関が世界経済計画の中心的な実務機関となることは当然であるが、環境的持続可能性に重点を置く持続可能的計画経済においては、世界的な環境政策に関わる世界環境計画のような環境機関の関与も不可欠である。
 世界環境計画は現行の国連環境計画を継承する世界共同体機関であり、世界共同体の環境政策における中心的実務を担う。持続可能的計画経済における世界経済計画とは、環境基準の枠内での計画であるからには、世界環境計画の政策に合致していなければならず、世界環境計画の代表者は世界経済計画にも専門的に参与し、計画策定に関与する。
 さらに、世界経済計画における土台ともなるエネルギー計画の策定に際しては、世界天然資源機関の関与が欠かせない。その点で、世界経済計画機関と世界天然資源機関とは世界経済計画策定における双璧機関として常時密接に連携する。
 また、あらゆる生産活動において不可欠な水資源の公平な利用を調整する世界水資源機関も、水資源に特化した天然資源機関として、世界経済計画の策定に関与する。
 一方、地域的な特色が濃厚な農林水産関係は、世界計画経済の直接的な対象ではなく、各領域圏の経済計画に委ねられるが、世界食糧農業機関(漁業や林業も兼轄)は食糧供給の観点から、世界経済計画の策定に専門的に参与するとともに、世界環境計画と連携しつつ、環境的に持続可能な農林水産の観点から、世界経済計画よりは規範性が弱いものの、世界経済計画の補充的指針となる世界農林水産計画を策定する。
 さらに、世界経済計画の策定に当たっては、五つの各汎域圏の経済協調会議が関与する。汎域圏の主要な役割の一つは資本主義経済における貿易に代わる域内経済協調にあり、同会議はそうした域内経済協調の実務機関である。具体的には、五つの各汎域圏の経済協調会議事務局長が大使的な立場で世界経済計画機関における討議と議決に加わる形で、計画策定に関わることになる。

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共産法の体系(連載第37回)

2020-05-16 | 〆共産法の体系[新訂版]

第7章 争訟法の体系

(3)経済司法
 経済司法は、経済法をめぐる紛争の解決を目的とする司法の分野を指す。経済法には経済計画法・企業組織法・労働関係法、さらに広義の経済法として土地管理法の3プラス1の計四分野があり、各分野に対応して紛争の内容及び処理方法も異なる。
 このうち経済計画法に関しては、紛争が発生する余地は少ない。なぜなら、経済計画は計画対象企業が経済計画会議(以下、単に「計画会議」という)を通じて共同で策定する規範だからである。ただし、対象企業が計画に違反した場合、計画会議は計画違反の生産活動の差止と関与した役職員に対する制裁を求めることができる。
 このような計画違反に対する対抗・制裁措置は計画会議の審問会を通じて実施される。この審問会は計画会議内に設置されるが、メンバーは中立的に選出され、計画会議はその判断を左右できない独立的付属機関であり、告発された当事者には弁明・反証の機会が保障される。
 企業組織法関連では、経営機関と労働者代表機関や組合員の間での経営判断をめぐる紛争が想定される。これについては、監査機関に差止のような準司法的な機能を付与することによって、内部的に処理される。これは公式の司法ではなく、企業内で紛争を自治的に処理する企業内司法と呼ぶべき制度である。
 監査機関で処理し切れない複雑な紛争案件については、次の労働紛争に該当する場合を除き、外部の法律家で構成される中立的な企業紛争調停委員会が処理する。
 労働関係法関連では、労働紛争が想定される。もっとも、共産主義的企業体では労使の対立が止揚されているため、深刻な労働紛争は通常想定できないが、個別的には労働者と所属企業の間で労働条件等をめぐる紛争は発生し得る。
 そのような労働紛争は、まず第一段階として企業内第三者機関である労働仲裁委員会が処理する。これは当該企業と利害関係を持たない法律家で構成される調停機関で、やはり企業内司法の一種である。
 労働仲裁委員会は、少数人の協同労働グループを除くすべての企業体で常置が義務づけられ、労働紛争は、労働護民監への跳躍出訴が認められるハラスメント事案を除き、先行的に企業内の労働仲裁委員会での仲裁を経なければならない。
 多くの場合はこの段階で解決するが、解決しない場合は、労働護民監への出訴により公的な解決に委ねられる。これは労働紛争を専門的に解決する護民司法の一環である。護民司法については後に改めて述べるが、護民監の審決は終局性を持つ。
 市民法と経済法の中間的な位置づけを持つ土地管理法をめぐっては、私人間はもちろん、私人‐公法人間で土地をめぐる紛争が起こることも通常考えられない。なぜなら、共産主義における土地は、何人にも属しない無主の自然物として、各領域圏が土地管理機構(以下、「管理機構」という)を通じて管理するからである。
 ただ、私人は管理機構の許可を得て土地上に所定用途の不動産たる建造物を所有できるほか、管理機構の許可を得て土地利用権の譲渡等もできるが、こうした土地利用権をめぐって管理機構との間で紛争が生じた場合は、管理機構の独立的付属機関である土地利用権審判会(以下、「審判会」という)で解決される。
 審判会は法律家で構成される審決機関であり、管理機構と相手方当事者はそれぞれ証拠を示して主張を展開し、争うことができるが、審判会の審決には終局性がある。
 なお、私人が特定の土地区画を管理機構に無断で占拠する場合は不法占拠となり、暴力的手段や詐欺的手段を用いた悪質な事例は土地管理法違反の犯則行為として告発され、次項(4)で見る犯則司法の対象となることがある。

:企業と他企業の間で紛争が生じた場合は、法人企業も集団的な市民であるから、市民法紛争に準じて、衡平委員が調停する。

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共産法の体系(連載第36回)

2020-05-15 | 〆共産法の体系[新訂版]

第7章 争訟法の体系

(2)市民司法
 市民司法は、市民法をめぐる紛争の解決を目的とする司法の分野を指す。市民法は市民権法及び財産権法とから構成される。このうち後者の財産権法部分は資本主義社会における民法に相当する内容を含み、私人間の権利義務に関わる紛争において解決の法的基準となる。
 しかし、たびたび述べてきたように、貨幣経済が存在しない共産主義社会では金銭をめぐる紛争はそもそも発生しないので、紛争の多くは私人間の交渉をもって解決され得るであろう。
 しかし交渉によって解決できない紛争は、司法によって公的に解決される必要を生じる。そうした市民法紛争を公的に解決する司法手続として、衡平委員による調停が用意される。
 これは現行裁判制度の和解に近いが、和解が勝敗を決する判決を回避する手段であるの対し、衡平委員の調停ではそもそも勝敗を決する判決によらず、すべての案件が調停によって解決される点に大きな違いがある。
 非金銭的な紛争がすべてを占める共産主義的市民法紛争では、勝敗を決する判決より調停のほうがよりふさわしいのである。
 衡平委員による調停手続は紛争当事者の一人または全員の申立によって開始され、当事者は証拠を示してそれぞれの主張を展開する。その限りでは、裁判に近い要素もある。
 衡平委員は当事者の主張とその根拠とされる証拠を検討したうえで、中立的な立場から適切な調停案を示し、全当事者がこれを受諾した段階で調停終了とする。一人でも受諾しない当事者が存在する間は調停は継続されるので、調停案が数次に及ぶ場合もあり得る。 
 衡平委員の調停には終局的な効力があり、確定した調停は調停結果を変更すべき新たな証拠が発見されない限り、覆されることはない。しかし、調停結果を変更すべき新たな証拠が発見された場合は、当事者の申立により、再調停が行なわれる。
 なお、衡平委員による調停手続に関する規定は市民権法の内に含まれ、民事訴訟法のような形で別途法律が立てられるわけではない。
 以上に対して、市民法の市民権法部分は公法的性格が強く、私人間で紛争化する可能性のない権利義務に関わるので、衡平委員の調停手続の対象外である。この領域で紛争が生じるとすれば、それは人権救済案件として後に見る護民司法の対象となる。

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共産法の体系(連載第35回)

2020-05-14 | 〆共産法の体系[新訂版]

第7章 争訟法の体系

(1)共産主義的争訟法
 貨幣経済の究極的な権化としての資本主義社会では、貨幣をめぐる紛争・犯罪が絶え間なく発生するため、犯罪を含む広い意味での争訟を迅速かつ強制的に裁定するための強力な司法制度が不可欠となる。通常それは裁判所と呼ばれる権威主義的な権力機関を通じて行なわれ、裁判手続の細目を定めた各種の訴訟法が存在している。
 それに対して、貨幣経済が廃される共産主義社会においては、貨幣をめぐる紛争・犯罪は当然にも消滅する。とはいえ、およそ人間社会に争いごとは付きものであるとすれば、なお不可避的に発生する争訟を公的に処理する司法権力の必要性自体がなくなることはない。
 しかし、そこでは司法=裁判ではある必然性はもはやなく、従って訴訟を権威的に裁定する裁判所という制度も必要なくなる。共産主義的争訟を解決するための司法手続はより柔軟かつ非権威主義的なもので足り、かつそのような手続のほうが解決にとって効果的でもある。
 こうした共産主義的司法手続のおおまかなイメージとしては、現行裁判制度の下でも補充的に実施されている非訟手続や裁判外紛争解決手続(ADR)としての諸制度と類似したものを想起すればよいかもしれない。
 このように司法=裁判という定式によらない司法手続の根拠となる法律を総称して「争訟法」と呼ぶことができるが、もとよりそれは一本の法律ではなく、争訟の種類ごとに大別され、それぞれに個別の手続法が定められる。
 それらを列挙すれば、市民法争訟を扱う市民司法、経済法争訟を扱う経済司法、犯則行為の解明及び処遇を扱う犯則司法、人権救済及び対公権力不服事案を扱う護民司法、公務員の弾劾事案を扱う弾劾司法、違憲審査を含む法令の解釈を扱う法令司法の六分野に大別される。続く(2)以下の各節では、この六つの各司法分野について個別に見ていくことにする。

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