名古屋・名駅街暮らし

足の向くまま気の向くままに、季節の移ろいや暮らしのあれこれを綴ります。

春のきざし

2009年02月28日 | セカンドルーム

 

今日で2月も終わるが、春を先取りしたような穏やかな日和になった。
周りの雪はどんどん消えて、やわらかい陽光以外にも春の兆しを目にするようになった。

 
水路の脇には、雪の間から蕗のとうがたくさん顔を出していた。

 
南斜面の水仙も蕾が膨らみ、開花を楽しみにしていたら、イノシシに荒らされていた。
自生している笹ゆりの球根はよく食べられるが、水仙の被害は珍しい。


そばに仕掛けてあった罠には、おいしそうな餌が入っていたのに、見向きもしないようだ。

 
ねこ柳の綿毛が膨らみ暖かそうだが、鋭い棘をまとったタラの芽は冬のままだ。
山里は春と冬が同居しながら、少しずつ暖かくなっていく。

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ガス瞬間湯沸器が粗大ゴミに

2009年02月27日 | セカンドルーム

 

凍結して水漏れしていた湯沸器の漏水箇所をテープで補修して使っていたが、水漏れがひどくなりガスが消えてしまうようになった。
一酸化炭素中毒事故の無償点検対象品番になっていたので、リンナイに連絡して見てもらったところ、部品交換で1万5千円ほどかかるとの事だった。
新品は専門店で3万円前後だが、ホームセンター向けの商品なら、2万円程で買えると親切に教えてくれた。
早速、町のホームセンターへ見に行ったら、同じ大きさの湯沸器が2万3千円と表示してあった。
商品説明や取り付け法などを教わり、家に帰ってネットで調べたら、同じ品番が18.580円であった。
その日にネットで代引き注文したら、今日のお昼に届いた。


ガス管や水道管の取り付けも、スパナとドライバー、シールテープなどがあれば簡単に出来る。
毎日の洗顔や炊事が冷たくて辛かったが、ようやくお湯が使えるようになってほっとした。
同じ商品でもずいぶん値段に差があるし、修理も故障個所だけの補修をせず、アッセンブリーごと交換してしまうので割高になる。


修理すれば使える商品も、修理代と比較して新品に買い換えてしまうので、粗大ゴミが際限なく増えていく。

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水ぬるむ?

2009年02月26日 | セカンドルーム

 

3日続きの雨も上がって、今朝は僅かに見える青空から薄日が射していた。
気温も高めで、日当たりの良い所の雪はすっかり消えてしまった。


久し振りに作業場に入って仕事をしたが、ここはまだ日が当たらないので、寒さは厳しいが一頃の様な耐え難い寒さは無くなった。
この状態なら、もう少し作業時間を延ばして、遅れを取り戻せそうだ。

 
夕方の散歩で通りかかった蓮池の氷も解け、鯉が悠々と泳いでいた。
ユキ(柴犬)も、流れの水を旨そうにいっぱい飲んでいた。


水ぬるむの季語はいつかと、思わず聞きたくなるような、うららかな日和だった。

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冬の雨

2009年02月25日 | セカンドルーム

 

飛騨地方は3日続きで雨が降っている。
冬の雨はたまにはあるが、連日降るのは初めてだ。
朝の冷え込みも少なく、いつもは台所のタワシが石の様に硬く凍っているが、ここ数日はそんなことも無い。


雪解けも急に進み、田畑の縞模様のメリハリがはっきりしてきた。


庭の通路は水溜りになり、溢れたところから下へ流れ始めた。


家の脇を流れる水路も、周りの雪解け水を集めて溢れそうになっている。
こんな風景は3月下旬に見かけるが、今年は春の訪れが早いようだ。

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「石岡繁雄が語る 氷壁・ナイロンザイル事件の真実」を読んで

2009年02月24日 | セカンドルーム

 

昭和30年1月2日、三重岩稜会の石原国利、澤田栄介、若山五朗が前穂高岳東壁をアタック中、残り30m地点でトップの若山五朗が滑落した。
確保していた石原国利は、すぐ停止すると思っていたが、非情にもナイロンザイルは音もショックも無く切断し、若山は谷底に消えていった。
残った二人は、悪天候と極度の疲労で動きが取れず、吹雪の中を岩壁の小さなテラスでビバークをして救援を待った。
ようやく天候が回復し、奥又白池でベースキャンプを張っていた岩稜会メンバーによって救出されたが、若山の捜索は困難を極め、遺体の収容は雪解けを待つことになった。
当時は麻ザイルの全盛時代であったが、発売間もないナイロンザイルの評価は高く、麻の数倍の強度を持ち、軽量でザイル捌きも良く、先進的なクライマーを中心に導入されつつあった。
そんな矢先の切断事故は、登山関係者のみならず社会の注目を集め、事故の原因が明らかになる前に、さまざまな議論や憶測が飛び交い始めた。
ナイロンザイルは簡単に切れる筈が無く、結び目が解けたとか、アイゼンで傷を付けたとか、取り扱い上のミスによるものである等など、岩稜会パーティーの名誉を著しく傷つけるような論評が大勢を占めた。
その中で岩稜会の名誉を決定的に傷つけたのが、昭和30年4月29日に、当時日本山岳会関西支部長で大阪大学教授篠田軍冶氏の指導のもとに、東京製綱工場内で行われた公開実験であった。
実験の結果、麻は簡単に切れたがナイロンザイルは切れなかったことで、岩稜会は厳しい立場に追い込まれ、世論やマスコミは「権威」に傾き、公開実験はナイロンザイルの強度を裏付ける結果となった。
岩稜会の会長であり、遭難死した若山五朗の実兄の石岡繁雄氏は、滑落時の状況などから「ナイロンザイルの岩角欠陥」があると確信し、それを裏付けるため手製の装置を作って実験に取り組む一方、未だ見つからない若山五朗の体にしっかりとザイルが結ばれていることを確信し、遺体収容に全力で取り組んでいた。
ここから岩稜会と石岡繁雄氏の、穂高の氷壁より長くて険しい「権威」との戦いが始まる。
公開実験でエッジにアールを付ける不正を質し、マスコミの取材や関連記事の掲載、公開質問状などを通してナイロンザイルの誤った認識を正していった。
7月31日に東壁下で収容された若山五朗の遺体には、ザイルはしっかりと結ばれ、その先は千切れていた。
その後もナイロンザイルの切断事故が相次ぎ、世論やマスコミも「岩角欠陥」論に傾いていったが、日本山岳会が発行する「山日記」の記事訂正は無く、東京製綱と篠田軍冶氏も実験結果の誤りを認めることは無かった。
昭和34年9月に、公開質問状に対する篠田氏の回答や謝罪が無いまま、石岡氏の実験結果や主張が世論の支持を得たこともあって、岩稜会と三重県山岳連盟は相次いで声明を出して「ナイロンザイル事件」に終止符を打った。
紆余曲折を経て昭和51年12月、日本山岳会は「山日記」の誤ったザイルの記事の訂正とお詫びを掲載し、21年目にしてようやく決着した。

以上が、「石岡繁雄が語る氷壁・ナイロンザイル事件の真実」のあら筋であるが、この本は単に山岳遭難ドキュメントに留まらず、未だに消費者保護や製造者責任が軽視される現代社会への警告の書と読み取った。
学界の権威が大企業と組んで前に立ちはだかれば、弱い立場の被害者がその壁を切り崩すことは至難の業であることは、四日市喘息、水俣病、イタイイタイ病などの例が証明している。
弱い立場の被害者は、声を潜めてじっと耐えている間に被害が拡大していった。
正義感に燃えて立ち上がった町の医師や弁護士が手弁当で戦い、当時被害者側に因果関係の立証責任があるという厚い壁を破り、長い時間をかけて公害認定を勝ち取っている。
石岡氏は旧制八高、名古屋大学山岳部0Bで、穂高屏風岩の初登攀など実績のあるアルピニストであり、工学部で学んだ理論・経験をもとに半生をかけた執念が、「権威」の壁を切り崩し、若いクライマーの名誉回復と、国を動かしてPL法の先駆けとなる規範を作った。
その間、ナイロンザイル切断事故が繰り返されている事は前述の通りであるが、公害事件と被害者の多寡は違うが本質は変わりない。

著者の相田武男氏は元朝日新聞記者で、常に新しい事件を追い続ける記者にとって、やや色褪せはじめた題材を20年間に亘って追求し、弱者・正義の側に立って現代社会に問いかける記者魂に迫力を感じた。
二人の執念があいまって、人を拒む「権威」の実態を見せてくれたが、「真実とは何か」を見極める難しさも教えてくれた。
なお、石岡繁雄氏が書いた「ナイロン・ザイル事件」が井上靖の目にとまり、小説「氷壁」が誕生した。

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楢峠スノートレッキン2

2009年02月23日 | セカンドルーム

 

 楢峠付近

近ごろは、名のある山より、かつて賑わった古道や忘れ去られた峠、生業の場でもあった入会山などに惹かれるようになった。

楢峠もその一つで、鉄道や幹線道路が整備されるまでは、飛騨河合と越中八尾を結ぶ主要街道の一つとして、峠を越していく旅人は多かった。
今は、国道471号線として管理されているが、豪雪地帯の峠道は、雪のため半年間は閉鎖される上、土砂崩れや落石も頻発して、年間通行できる日数は極めて少ない。

 スタート地点


峠へは、河合町角川の除雪地点で車を置き、蛇行する二ツ屋谷川にそって登っていく。
前日降った雪は湿って重く、スノーシューの裏に団子状の雪が付き、表にも雪を載せて歩くのはかなりきつかった。
天気予報通り午前中は晴れて、降りそそぐ太陽に輝く稜線や渓谷の雪景色はきれいだった。

 
1時間ほどで二ツ屋に着く。かつてここには神社や住居、畑などがあったが、今はその痕跡もほとんど残っていない。

 正面の山は富山の金剛堂山
峠の北方に連なる小白木峰から白木峰への尾根筋が、岐阜県と富山県の境界線となっているが、400年来の国境紛争が続き、昭和46年に県境が定まるまでは国土地理院の地図にも県境の記載は無かった。
藩政時代には隠し金山の存在、それ以降は用材や薪炭の利権が絡み、多くの犠牲者を出す紛争となったが、資源の枯渇や需要の減少が無ければ、争いは今も続いていたかも知れない。
思わぬ重い雪に苦しめられた楢峠の往復であったが、こんな山奥の僅かな土地をめぐって争う人間の執念と、物欲の深さにつくづく思い知らされた雪山の一日だった。

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楢峠スノートレッキン

2009年02月22日 | セカンドルーム
旧飛騨河合村と富山県八尾を結ぶ楢峠を往復してきました。
軟らかくて重い雪の一人ラッセルに大苦戦。
スノーシューを付けても膝までまで潜る雪は倍以上の負荷と時間がかかってしまった。
朝7時に麓を出て、午後4時に着きました。これから温泉で汗を流してきます。
午後4時 携帯で投稿
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下呂温泉の1泊旅行

2009年02月21日 | セカンドルーム

  

昨日は下呂温泉の彩朝楽に、名古屋から来た仲間8名と合流して、一緒に泊まった。
湯快リゾート㈱の運営する施設で、この会社は経営に行き詰った温泉旅館を再生して、各地の温泉街の賑わいを取り戻している。
ハイシーズンも週末も同一料金で、直行バスを運行し、朝夕バイキングで余分なサービスも無く、料金もリーズナブルで利用客は増えているようだ。
慰安旅行など団体客が少なくなった温泉地は、どこも閑散としているが、下呂温泉も一頃の賑わいは見当たらない。
彩朝楽だけは客の出入りも多く、駐車場も満車で大食堂もほぼ満席だった。
食べきれないほどの豪華な料理が目の前に並ぶよりは、好きな料理を適量食べられるバイキングも悪くないし、美人女将が丁重に挨拶してくれるよりは、従業員がてきぱき動いてくれた方が気分は良い。

 下呂温泉合掌村
温泉街も少しずつ変わっていくようだ。


下呂温泉は積雪が無かったが、家に戻ったら雪が増えていた。同じ飛騨でも南と北ではずいぶん違う。

 


 

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飛騨は重い雪が

2009年02月20日 | セカンドルーム

  

目まぐるしく変わる天気は、春の兆しなのだろうか。
昨夜降った雪が、20センチほど積もっていた。
今朝は気温が高く、みぞれに変わっていたが、間もなく雪になった。
これから本格的に降るようだ。
玄関から道路まで雪かきをしたが、湿った雪は重くて、アクリルのしゃべるが軋むほどだった。


例年のように屋根の雪が多いと、それに湿って重い雪が加わり、梁がたわんで戸の開け閉めが出来なくなることもあるが、今年はそんな心配をすることも無い。
これから昔の仲間と下呂温泉で落ち合い、1泊する予定だが、雪が少ない方向へ走るので道路は大丈夫だろう。


ユキ(柴犬)は1泊までは慣れていて、少し多めに餌と水を置いておくと、おとなしく留守番をしているようだ。
それ以上留守にする時は、近所のおばあさんに預かってもらっている。
出掛ける時は、又かと言うような表情で素っ気ないが、帰って来たときはむしゃぶりついて歓迎してくれる。

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ひと時の晴れ間

2009年02月19日 | セカンドルーム

  

昨夜は少し雪が降ったようで、あたりは薄っすらと雪化粧をしていた。
早朝は雪雲が残っていて寒かったが、散歩から戻った頃は雲も消えて、久し振りの青空が眩しかった。
太陽の位置が高くなって、日差しが部屋に入るようになり、暖かさも明るさもやっと戻ってきた。

 
ユキ(柴犬)も、小屋の中で過ごすことが多かったが、天気の良い日は気持よさそうに日向ぼっこを楽しんでいる。
2月も下旬になると、少々雪が降っても強い日差しで早く融けるので、それ程苦労することは無い。

 
春を待ちかねたように、錆色に変わった杉の木は、花粉を飛ばそうと手ぐすね引いて待っている。
枝をはたいても花粉は飛ばなかったが、鼻がむずむずしてきた。
ひと時の晴れ間のようで、午後から雪になるようだ。

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今日は真冬日

2009年02月18日 | セカンドルーム

  

寒波が居座り、今朝の冷え込みは強かった。
水抜きをし忘れた湯沸かし器が凍結していたので、温風で解かしたが内部のパイプが破裂して水漏れを起こしてしまった。
真冬にお湯が使えないのは厳しいが、自分の不注意なので誰にも文句が言えない。
凍結による水周りのトラブルは、一冬に1~2度は起こしてしまう。
家の脇を流れる用水が、結氷するほどの冷え込みではなかったが、水しぶきは凍ったままで午後になっても解けることは無かった。

 
隣町の七夕岩も、一度は解けて崩落していたが、再び凍結していた。
久し振りの真冬日で、今日は気温がプラスにならないままに夕方をむかえた。今夜は雪になりそう。


 

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飛騨高山ふるさと暮らし

2009年02月17日 | セカンドルーム

 

今朝は散歩に出かける時の気温が-8℃で、久し振りに顔が引きつる様な冷たさを感じた。
例年ならこの程度は普通だが、暖冬慣れした体は直ぐには順応できない。

 
2月15日付の「広報たかやま」を読んでいたら、「空き家紹介制度」を創設した旨の記事が出ていた。飛騨の山村地域は、少子高齢化で過疎化が進み、耕作を放棄した農地や荒れた山林が増えて、集落の維持が危ぶまれている。
一方、都市居住者の「静かにのんびり暮らしたい」「自然環境の恵まれた場所に住みたい」というニーズもたかまり、都市山村交流が進めば過疎地域の活性化と新しいビジネスの構築も期待出来そうだ。


高山市は、空き家の紹介以外に、「空き家の改修費補助金」「借家等賃借料補助金」や農園付き滞在施設貸し出し支援、子育て支援など、至れり尽くせりの支援策を準備している。
自然環境や生活環境は厳しく、うたい文句ほど甘くは無いが、都会生活を引きずらなければ、豊かな自然の中で田舎暮らしが楽しめるかも知れない。

 http://www.city.takayama.lg.jp/chiikishinkou/hurusatogurasi.html

 検索 ⇒ 飛騨高山ふるさと暮らし 

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高山へ

2009年02月16日 | セカンドルーム

 

 せせらぎ街道

昨日の暖かさが残っている名古屋を発って、高山へ向かった。
せせらぎ街道の、坂本トンネルを抜けたら雪が降っていたが、西ウレ峠を越す頃は青空に変わっていた。
分水嶺の峠は、いつも天気が変わりやすく、晴れていても雪や雨が降ることがある。

 2月12日撮影


12日に名古屋へ行く時は雪が残っていたが、今日は路面の雪もすっかり消えていた。


お昼頃家に着いたが、出かける時は一面の雪景色だったが、雪もかなり少なくなっていた。

 2月12日撮影


名古屋の数日間は、汗ばむような陽気で驚いたが、飛騨もかなり暖かかったのだろう。
今日が天気の変わり目で、冷たい風から飛騨らしい厳しさを感じた。
山里の風景は、天候によって劇的に変わる。

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軽量コンパクトなアウトドアグッズ

2009年02月15日 | セカンドルーム

昨日今日と名古屋は春のような陽気で、納屋橋河畔の柳も芽吹いていた。

 
ユキ(柴犬)も舌を出して喘いでいたが、上着を脱いだらすっきりした表情に戻った。
飛騨に比べて、20℃以上の温度差に戸惑っているようだ。
栄まで買い物に出かけて、往復歩いたら汗をかいてしまった。


名古屋へ来るたびにアウトドアショップ立ち寄り、何かと衝動買いをしてしまう。
山に登るときは、万一に備えて非常用の食品や装備を余分に持って出かけるので、その重量とかさばる荷物に負担を感じ、最近は軽量コンパクトを基準に選んでいる。
今日もヘッドライトとダウンの中間着を買ってきた。
ライトは山小屋で泊まる時の消灯後や、夜明け前に歩くとき以外は必要ないが、時には予定より遅くなって暗闇を歩くこともあるので欠かせない。
今までは乾電池のヘッドライトかマグライトを携帯していたが、使わないのにザックの中で場所を取っているのが気になるし、電池を入れたまま長時間放置して故障したり、電球が切れることも度々あった。


今回買ったペツルのイーライトは超小型で、リチウム電池付で重さが27g、白色LED3灯+赤色1灯で光量2段階と点滅モードを装備し、16m先まで照射し、45時間使用できる。
電池を付けたままで10年間の保証や、マイナス30℃まで使用出来て、耐水性もしっかりしているし、発光ダイオードは切れることが無いので、緊急用に持っていれば安心できる。
ペツルはフランスで初めてヘッドライを開発しし、この分野での評価は高く愛用者も多いようだ。
中間着は冬山で防寒着の下に着用し、気温の変化によって脱いだり着たりするので、これも軽量コンパクトで、保温吸湿性と圧縮性能が要求される。
ブレスサーモダウンは、すべての条件を満たすとうたってあったので、1着購入した。
着心地も良かったし、かさばるダウンも丸めるとザックのポケットに入るほどの大きさになり、回復性能も良いようだ。
買った商品をすぐ山で試したくなるが、道に迷って真っ暗な山道をさ迷うことだけはしたくない。

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冬の上高地スライドショー

2009年02月14日 | セカンドルーム

2月4日に訪れた上高地は、厳冬期には珍しく、快晴無風で日ざしの暖かい一日でした。
河童橋までのスノートレッキングを、スライドショーで紹介します。
クリックして「冬の上高地」をお楽しみ下さい。

 

 

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