名古屋・名駅街暮らし

足の向くまま気の向くままに、季節の移ろいや暮らしのあれこれを綴ります。

サードライフは名古屋で・飛騨高山からUターン計画進行中ー2

2013年03月02日 | セカンドルーム

 

今朝起きたら、天気予報通りに雪が盛んに降っていた。
昨日は南の風で春を感じたが、今日は北西の風に変わり、冬の寒さが戻ってきた。

雪は断続的に降り続き、ユキも朝夕の散歩以外は、小屋に篭ったまま出てこない。

夕方には風も強まり、積もった雪を巻き上げながら、体に吹き付けてきた。
ユキがいなければ、とても外へ出る気が起こらないが、夕方の日課は何とかこなした。

2月23日付のブログに記したように、山里からのUターン計画を少しずつ進めている。
2000年5月に縁あって飛騨の山里に小さな工房を開き、家具制作の傍ら野良仕事やアウトドアを楽しみながら田舎暮らしを始めた。


そこは、四方を山に囲まれ、大八賀川の河岸段丘に40戸ほどの家と田畑がへばり付くように点在し、当時は公共交通機関も無く携帯や高速インターネットも繋がらなかった。
店も飲食店も娯楽施設も無い集落は、都会暮らしにとって想像が出来ない世界であったが、それに代わる豊かな自然や素朴で親切な人たちとの触れ合いがあった。


工房もゼロからのスタートで不安もあったが、友人知人の応援で、立ち上げた当初から家具の注文を頂くことが出来た。
集落の人からも鍋敷きやまな板などの小物であったが、とてもうれしい注文だった。

荒地の畑を開墾して野菜を作り、耕す人のいなくなった田んぼを借りて米作りもし、裏山ではきのこの原木栽培も始めた。
集落の人たちは、にわか農夫に惜し気もなく農業のいろはを教え、種や苗まで提供してくれた。


山登りが好きで、飛騨山脈の山々や無名の藪山を訪れ、廃れた旧道や峠にも数多く足跡を残した。
思い出の多い飛騨の山里を去るに当たって、若くて自然が好きな人がここに移住をして、木工の傍ら農作業や山仕事をして暮らしてくれる人がいないかと探していた。
   以下続く・・・(時々続きを掲載します)

コメント (12)
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