名古屋・名駅街暮らし

足の向くまま気の向くままに、季節の移ろいや暮らしのあれこれを綴ります。

帰雲城址

2008年12月11日 | セカンドルーム

 

高山から国道156号線を白川郷に向かい、御母衣ダムを過ぎた辺りの右手に、山腹が大きくえぐられた帰雲山が見えてくる。
庄川を挟んで、その河岸に「帰雲城址」の碑も建っているが、場所は推定の域を出ていないので、未だに位置を特定すべく探す人たちがいるようだ。
碑には「帰雲城は、寛正時代(1460年頃)内島上野介によって築かれた城である。四代氏理の時代、天正13年(1583年)11月29日、東海・北陸・近畿に及ぶ広範な地域を襲った巨大地震によって帰雲山に大崩落が起こり、帰雲城とその城下集落が一瞬にして埋没したと伝えられている。・・・・・」と記されている。


白川郷一円を治めていた戦国武将の内島氏は、元々山師で発見した鉱山から採掘した莫大な金銀を貯めこんでいたといわれている。
時価数千億円といわれる埋蔵金を求めて山に入った人たちは、今までに数多くいるが山中で事故に遭ったり、下山後病死したとかの凶報は多いが、発見したとの吉報は聞かない。
最近になっても金属探知機などを持ち込んで、大規模な探索をした人もいるようだ。
飛騨には桑崎山とか鍋山など、各地に埋蔵金伝説が残っているが、未だに発掘したという話は聞かない。
昨日、金沢の帰りにここへ立ち寄り、帰雲山を見上げながら登山ルートを探ってみた。
登山道は無いし藪が深そうだが、雪が締まった時期なら登れそうだ。
邪心も無く、無闇に山を掘り起こすようなことをしなければ、内島一族の祟りも無いだろうし、偶然埋蔵金が手に入るかもしれない。

御母衣ダム


以前から気になっていた山であるが、最近よく耳にするようになった「埋蔵金」の言葉や、年末のジャンボな夢を見てみたいと、またこの山を思い出してしまった。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする