見えない脅威ほど怖いものはない。
土曜日から札幌の自宅に帰っている。
さすがに寒い。
外に出るのが億劫なのでテレビを見る機会が増える。
どのチャンネルもコロナウイルスについて連日連夜の報道である。
気になるのは豪華客船クルーズに乗った人たちの薬である。
普段の薬がないことを心配していると報道から流れてくる。
こんな時こそ「オンライン診療」の出番じゃないだろうか。
さらに、特区扱いの「遠隔服薬指導」も認める。
薬はドローンが運搬する。
ただ9日に厚生労働省が750人分の薬を船内に届けたらしいが、それを調剤できる薬剤師がいないと報道にあった。
こんな時こそ薬剤師会がひと肌脱がなきゃ。
必要な時に、必要な臨機応変がなかなかできないもどかしさを感じる。
今日は何とかなるだろうか。
まさか自主的ではなく、どこかからの依頼で動くのでは情けない。
話は変わるが今回の帰省は2年前に亡くなった母親の命日でお墓参りである。
もっと親孝行しておけば良かったと思えるのは今だからかもしれない。
元気なときは言い合いばかりしていたような気がする。
良かれと思ってやることが気に食わないようでぶつかる。
もっと、もっとは今では遅い。
父親は私が31歳の時に亡くなっている。
仏壇の写真をみるとだんだん似てくるから不思議だ。
そんな親父を超える歳になった。
世の中で一番尊敬できるのは自信を持って自分の親父であるといえる。
何に対しても一生懸命だった。
ただお金はいつもなかった。
儲けるのはへたくそで生きることに必死だったような気がする。
人生は何が起きるかわからない。
良いことも悪いことも。
ただ確実に、年齢とともに体は整備不良が起きている。
ある意味では見えざる恐怖かもしれない。
この年になると、あと何年と指を折る。
だから歩けるうち、食べられるうち、見られるうち、話せるうちにと思っている。
それが生んでくれた母親への供養に、それが育ててくれた父親への供養になると信じている。
今日は私を一番かわいがり、だれよりも愛してくれた人に報告に行く。