◎丸山眞男を「お兄さん」と呼んだ安藤英治
昨日の続きである。安藤英治『マックス・ウェーバー研究』(未来社、一九六五)の「あとがき」を紹介している。本日はその二回目。昨日、紹介した箇所のあと、一行あけて、次のように続く。
しかしながら私のウェーバー研究は、直接的にはマルクス主義をめぐる問題に発している。きわめて早熟であった私は、巣鴨商業の三年生の夏に、手当り次第の乱読の中で岩波文庫の河上肇訳で『資本論』を読んだことを記憶している。何も分りもしないマルクスのことを、同級の親友丸山邦男君の兄上、当時帝大(東大)生だった丸山真男氏に「議論を吹っかけて来た」ということであるから、少年時代から余程ドン・キホーテの傾向があったらしい。丸山真男氏を「お兄さん」と呼ぶ親しい関係にあったことが私の人生を決定づけるほどの意味をもっていたことは、以下述べるとおりである。ところで、本格的にマルクスに興味を持ち出したのは支那事変が始まってからであるが、私がウェーバーに接近したのはまさにそのマルクスを媒介にしてであった。その接近の仕方が、今日に到るまでの私のウェーバー研究の方向をも決定している。
支那事変が始まる直前に、一六歳で私は脳出血で倒れ、半身不随になった。奇蹟的に命は取りとめたものの、爾来現在に至るまで神経障害に悩まされ続けている。病後三年間ほどは、学校に一日出席していることが出来ない状態であった。万能選手が病気で一挙に無能力者に転落した。どういう人生を送るべきかを少年なりに思い患った。私は心理的に二者択一を迫られていた。何もしないで長生きをするか。或いは仕事に精励して早死するか。私は後者を選んだ。厳密な根拠はなかったが三〇歳で死ぬ予定を立て、我武者ら〈ガムシャラ〉に勉強することにした。学問は、私の場合本来的に、生きることの意味を確証するものだった。たまたま義兄の家に改造社の『経済学全集』があったので、片端から読破することにきめ、まず大森義太郎の『唯物史観』から読み始めた。レーニンの物質の定義だけでも何とか分るような気がするのに一ヵ月ほど掛ったことをよく覚えている。しかし、何も知らない一八歳の少年には、初めて接する唯物史観のシェーマは極めて魅惑的であった。私は世界中のことが全部分ったような気がした――「要するに資本主義だからいけないんだ。」人間精神をも含めて、一切の社会現象が究極的には経済に一元的に帰着するという発想法は、何ともいえない新鮮な気がした。丁度その頃、岩波文庫でレーニンの『帝国主義』が出ていた。進行中の支那事変はまさしくレーニンの教える帝国主義戦争だと思った。――では、引続き来るものはプロレタリヤ革命でなければならない。私は勇躍して革命に備えようとした。しかし勿論何をしていいか分らなかった。私はただ革命が何処からともなく起ると考え、それが来たら力を貸さなければいけないということを考えていただけであった。こういう、純真だが素朴なマルキシズム的発想に反省を強いる事柄が、直ちに二つの方向から来た。一つはいわゆる“転向現象”であり、もう一つは“民族”という問題であった。【以下、次回】
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