礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

結婚の国家的な意義をわきまえよ(厚生省)

2016-01-20 06:00:33 | コラムと名言

◎結婚の国家的な意義をわきまえよ(厚生省)

『週報』の343号(一九四三年五月一二日発行)から、厚生省「決戦下の結婚問題」という文章を紹介している。本日は、その二回目。昨日、紹介した文章のあと、項を改めて、次のように続く。

 人口問題としての結婚
 ご承知のやうに政府では、昭和十六年〔一九四一〕一月に、人口政策確立要綱を決定して、昭和三十五年〔一九六〇〕までに内地人人口を一億にするといふ目標を樹てましたが、その後の情勢の激変は、人口の増加をいよいよ緊要なものにして来ました。
 人口を増加するには、死亡を少くする消極的な方策も大切ですが、何んといつても、積極的に出生の増加を基本とせねばなりません。それには、結婚年齢を出来るだけ早めて、出生児数をウンと多くするのが第一です。
 結婚は、私ども個人にとつて人生の重大事ですが、同時に国家にとつても大きな問題であることは、前々号(四月二十八日号)でお話した通りです。ところが、これまでは個人としての結婚だけが強調され、結婚を個人生活にだけ結びつけて考へられ勝ちでありました。
 結婚の国家的使命
 そのため、或る程度の収入が確実になつて、いはゆる文化生活が出来るまでは、結婚を延期したり、また享楽的な生活を求めて、普通の真面目な結婚を厭ふ〈イトウ〉といつた傾向さへあつた程です。
 しかし、このいはゆる文化生活といふものは、この際、十分に検討してみる必要があります。例へば、郊外の赤い屋根の家に住み、レコードをかけたり、仔犬を連れて散歩したり、といった薄ッぺらな外形だけの生活を夢みて、このやうな生活が文化生活だと考へてゐる者もないではなかつたやうです。
 しかし、これはとんでもない間違ひです。だいたい人間の慾望は無限なのですから、こんな物質だけの生活を徒らに〈イタズラニ〉追求してゐたら、どこまでいつても際限がありません。私どもの生の喜びとか、生活における幸福感といつたものは、このやうな外形的なものによつては決して得られるものではなく、それは私どもの行ひや生活が、国家の発展に大なり小なり寄与してゐる、といふ実感をしみじみと噛みしめるところにあるといはねばなりません。
 即ち私どもが、これまでの結婚に対する心構へを建て直して、結婚に対して大きな障碍となつてゐる物質的な慾望に打ち克ち、結婚の国家的な意義をしつかりと弁へる〈ワキマエル〉ことが肝要です。【以下、次回】

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