◎「国家の乗っ取り」という添田馨氏の視点に学ぶ
参議院選の結果は、ほぼ、マスコミが予想していた通りのものとなったようだ。それにしても、投票率が低い。低いからこそ、「組織票」の影響が強くあらわれるのだろうが。
昨日、久しぶりに、『図書新聞』を買ってみた。7月16日号である。泥憲和〈ドロ・ノリカズ〉氏の講演記録が載っていたからである。
読んで、最も印象に残ったのは、添田馨氏(詩人・批評家)のコラム「クロニクル2016」であった。このコラムは、「暗黒の安倍時代を生きる④/隠蔽的擬態による国家の乗っ取り」と題されている。全部で、五つのパラグラフからなるが、その二番目・三番目のパラグラフを引用させていただきたい。
「いまの自民党は、昔の自民党とは違う」このところ、野党政治家や識者の口からよく聞かれるのはこんな言葉だ。無論、安倍政権に移行して以降の自民党のことである。だが、どこがどう違っているのかについて、明確な根拠がなかなか特定できない。
この内閣に顕著な異常ともみえる特徴は、自らの権力維持のために手段を選ばないどころか、卑劣な手段にすら平気で手を染め恥じない点である。直近では、伊勢志摩サミットで、消費増税延期にむけた嘘の世界経済判断を提言し、各国首脳から拒否されるという浅はか極まった事例もあった。その根底にあるのは、本意を隠して他を欺く詐欺的な政治手法を常態化する、“政権マフィア”と呼ぶのが相応しいような驚くべき反社会的体質である。
安倍政権が繰り広げてきた一連の不法行為を、これまで私は特異なクーデターだと断じてきたが、その核心の意図は、隠蔽的擬態による国家の乗っ取りにあったと、最近、ようやく総括できるようになった。つまり“彼等”は、自民党を擬態しているがじつは違う何かである。そもそも自民党じたいがまず“彼等”に乗っ取られ、そしていま、日本国家そのものが、自民党を擬態した“彼等”に乗っ取られようとしているのが、恐らく真相である。【後略】
この「乗っ取り」という視点は、鋭いと思った。考えてみれば、明治維新というのは、松下村塾という一私塾に結集した長州「卒」階級出身者による徳川政権の「乗っ取り」ではなかったのか。昭和前期の大日本帝国は、ドイツ留学の経験を持つ親独派青年将校によって、乗っ取られた。戦後占領期は、ニューディール派の米軍将校に乗っ取られていたと言えるのかもしれない。
そして、添田馨氏が指摘されているように、今日も、「自民党を擬態しているがじつは違う何か」が、日本を乗っ取ろうとしている。
この「何か」の正体は、いまだ、判然とはしていない。しかし、おそらく、その人脈的・思想的系譜を遡ると、幕末維新期の長州卒階級、昭和前期の親独派青年将校のいずれか、あるいは、その双方にゆきつくのではないだろうか。
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