礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

中村雄二郎さん、服部達の美学を論ず

2017-09-03 02:39:41 | コラムと名言

◎中村雄二郎さん、服部達の美学を論ず

 昨日に引き続き、中村雄二郎さんの『日本文化の焦点と盲点――対話とエッセエ』〔河出ペーパーバックス81〕(河出書房新社、一九六四)を紹介する。
 本日は、「われわれにとって美とはなにか――服部達の志と中井正一美学にふれて」というエッセエの前半部を紹介してみたい。
 このエッセエは、評論家の埴谷雄高〈ハニヤ・ユタカ〉氏との対談「神島二郎氏と美と政治の接点」のあとに置かれているものである。

《エッセエ》Ⅱ
 われわれにとって美とはなにか
   ――服部達の志と中井正一美学にふれて――

「美」を「政治」と対立、あるいは関係させてとらえるという問題のとらえ方は、さらに遡っていえば、日本的精神風土のなかで格別な意味合いをもつ「美」の問題性に着目すること、つまり、「われわれにとって美とはなにか」を問うことである。そして、この問題をめぐってわたしが、一度あらためて考えてみたいと思っていたものに、服部達〈ハットリ・タツ〉と中井正一〈ナカイ・マサカズ〉という二人の故人の仕事がある。二人の仕事は、いずれもそれ自身として検討に値するだけでなく、両者を考え合わせるとき、そこにいっそう考えるべき問題が見られると思われるからである。
 服部は、文芸批評における作品評価の基準としての「美学」の欠如を問題にし、現代日本におけるあるべき「美学」をもとめて、「われらにとって美は存在するか」を書いた。それは、まことに雄々しい意図をもった意欲的なこころみではあったが、結果は、全体としでは、必ずしも成功したとはいいがたい。かれは、三島由紀夫の作品(『潮騒』)に、近代西欧の視覚的遠近法とことなる「触覚的遠近法」を見、絵巻物と私小説にみられるそれを「逆遠近法」、立体派の画やジョイス、プルーストのそれを「運動感覚的遠近法」と名づける。そして、これらの四つの「遠近法」つまりは四つの「美学」を、安易に共にみとめることは、「美」を信用せず、単なる口実としてしか認めていないことになる、つまり「われわれにとって、美などというものは存在しないことになる」という。必要なことは、「一見複数個あるがごとく思われる美の基準を、単一のものたらしめる、より根本的な視点を発見すること」「複数の美学の上に単一の美学を設定すること」である。そしてかれは、この「単一の美学」をもとめて、近代日本文学における二つの異質の文学である「実在の文学」と「理念の文学」に属する作品の作品の「内在的価値」の検討に向かおうとする。「実在の文学」と「理念の文学」とは、窮極的には、「私小説」と「冒険譚」であるともいわれる。しかし服部は、ここにおいて、「実在の文学」と「私小説」の理念型や美学への追究に終始し、「理念の文学」や「冒険譚」の内在的価値の検討にまでは及びえなかった。
 とはいえ、その「私小説の美学」の解明は、きわめて注目に価する。結果的にみれば、全篇を、「われらにとって美は存在するか」でなしに、「私小説の美学」と題した方がよかったと思われるくらいである。その説くところを少しく立ち入ってみてみよう。
 日本の「私小説」とくに「自然主義文学」は、好んで「凡庸人の艱難苦悶」を描くが、その背後には、「天才は凡人と質的に異なったものではなく、凡人の一変種であり、それならばいっそ凡人に眼をつけた方が、人間の真実により近く接することができる」という考えがあるからではなかろうか。では「凡人」とはいったいなにか。凡人とは、第一に「決定論者」である。かれは自分の存在と活動とが、外部の世界に対してほとんど影響力をもたないものと信じている。反対に、かれは外部の世界によって決定的に支配され、本質的な意味で「脱出」ということを知らない。さらに日本のばあい、さまざまな特殊な条件が加わって、日本的な凡人をつくり上げる。その条件として考えられるものは、和辻哲郎氏のいう日本の風土的条件であり、そこから発生した非超越的な自然宗教であり、家族制度を中心とする封建的社会機構であり、それに仏教、とりわけ浄土真宗のイデオロギーである。これらの条件によってかたちづくられた「日本的凡人」にとって、かれらを含む小世界からの脱出ということが考えられないと同様にその小世界では超越者という概念は意味をなさない。そこでは、「モラル」もまた、なんらかの超越者の観念から発生したものでなく、小世界の内部で暗黙のうちに形成される。かれらが他人から爪はじきされることを極度におそれるのは、爪はじきされることによって、住みなれた小世界に安住することができなくなるのを警戒するので、その考え方からすれば、その小世界以外に、現実に住める場所は存在しない。「小世界からの離脱は、そのまま死を意味する」、そして逆にいえば、かれらにとって、「おのれの小世界から脱出できる唯一の方法は、死ぬことである」、超越者を持たない日本においては、死が超越者を代行する。「出家という行為は、偽装された自殺、いわばフィクションとしての自殺である」といえよう。
 問題を芸術の領域に移していえば、ある作品が創られるためには、無意識にせよ、一定の超越的な目標があらかじめ設定されていなくてはならない。そして、西洋流の美のイデアといったもののない日本では、自分を死の状態に置いての観照ということが、超越者を代行する。「俳諧の道に入ることを出家遁世と心得た時代から、現代の「末期〈マツゴ〉の眼」(川端康成「自然の美しいのは、僕の末期の眼に映るからである」)に至るまで、日本的美学の中心点はつねにこの、フィクションとしての死の意識にあった」自分を死の状況に置いて観照すること、フィクションとしての死の意識をもつことによって、はじめて、凡人のうちに人間性を、貧寒のうちに風格を見出すことができる。「作者が、おのれの属する閉鎖的な小世界を、日本的な死の意識、すなわち虚無の意識を中心として眺め、叙述したもの」いわゆる自然主義文学にかぎらず、「私小説は要するにそういうものではないだろうか。」読者の側からいえば、われわれが私小説に「美」を見出すのは、次の二つの条件がみたされているばあい、ということになる。つまり、「第一、作者がおのれの属する小世界しか扱わないことを、是認すること。第二、作者の眼が虚無の意識を中心として働いていることに、共感すること」である。そして、この二つの条件がみたされないき、われわれにとって、「志賀直哉の諸作品すら狭小であり貧寒であり、他者の意識を欠いた、閉鎖的な、いわば単なる作文の一種にすぎぬものと映ずるに至る」であろう、と服部はいう。
 まことに的確で示唆的な指摘である。しかも、ここに言われていることは、単に「私小説の美学」の問題にかぎらず、 広くわれわれ日本人のものの考え方や行動様式(に根強いあるパターン)についても妥当する普通性をもっている。(もっとも、逆にいえば、それだからこそ、「私小説」のあの根強さがあり、ここでも大きくとり上げられているわけであるが。)そしてまた、これに加えて、服部が「私小説」の「自我」について行なっている指摘――それは一方において、「個人の肉体の直接的な認識能力、つまり感覚の支配する範囲とひとしい拡がりを持つもの」であるとともに、他方において、「逆にいささかの拡がりも持たず、それ自体以外のものといささかの共通性も、脈絡も持たぬ」ものである――を考えるとき、われわれ日本人にみられるものの考え方や行動様式の基本構造がかなり明瞭に浮かび上がって来やしないか。
 ところが服部は、この後、その「虚無の意識」を、サルトルの想像力論の「眼前にある現実の空無化(虚無化)」と関係させるなかで、混同を行ない、その結果、次のようなことを言うことになる。「虚無の意識という、知覚による現実の把握に抗しようとする働きを、その成立条件の一つとしているのであるから、私小説の美学は、終局的には、想像力の働きによって支えられる美を標準とする西洋流の美学のうちに、含められるべきものである」
 このように、服部の説くところは、「われらにとって美は存在するか」という設問に対する答えとしては十分なものではなかったが、「私小説の美学」の解明をとおして、われわれ日本人に根深い、ものの考え方や行動様式の基本構造に迫りえたのは、大きな功績であった。そしてそこには、服部自身の「われらにとって美は存在するか」という問題の立て方よりも、むしろわれわれの問題の立て方(「われわれにとって美とはなにか」)に、より直接的につながるものがあるといっていいだろう。

 ここまでが、服部達(一九二二~一九五六)の美学についての評論で、このあと後半は、中井正一(一九〇〇~一九五二)の美学についての評論となるが、後半は割愛する。

今日の名言 2017・9・3

◎小世界からの離脱は、そのまま死を意味する

 文芸評論家・服部達の言葉。出典は、1955年(昭和30)に発表された評論「われらにとって美は存在するか」と思われるが、未確認。上記コラム参照。

 
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