礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

佐々木喜善「偽汽車の話」(1923)

2015-10-26 04:29:51 | コラムと名言

◎佐々木喜善「偽汽車の話」(1923)

 本日も、雑誌『土の鈴』の第一九輯(一九二三年六月)から。この第一九輯には、佐々木喜善の文章が、ふたつも収められている。ひとつは、昨日、紹介した「大岡裁判の話」であり、もうひとつは、本日、紹介する「偽汽車の話」である。
「偽汽車の話」は、その後、一九二六年(大正一五)に、坂本書店の「閑話叢書」の第三篇、佐々木喜善著『東奥異聞』に収められた。
 今回は、『土の鈴』収録の初出と、『東奥異聞』収録のものとを対照することは、できなかった。ただし、平凡社の世界教養全集第三四巻(一九六一)所収の『東奥異聞』は、参照している。ちなみに、『東奥異聞』の坂本書店版は、どういうわけか、国立国会図書館に蔵本がない。

 偽汽車の話  佐々木喜善
 かなり古い時代から幽霊船の方が吾々の間に認められて居たらしい。ただし此の偽汽車〈ニセキシャ〉だけは極く新しい最近に出来た話である。ずつと古いところで明治十二三年から廿年前後のものであろう。其れにしては分布の範囲は鉄路の伸びるに連れて長く広い。克明に資料を集めて見たら、奥は樺太蝦夷が島の果てから、南は阿里台南の極みまで走つて居るかも知れない。自分は資料を多く集める機会をもつて居らぬが、誰でもこの話はどつかで一度は聞いたことがあるだらう。そこで自分の方の話から初めにして、次ぎに諸君から聴き度いと思ふのである。
 よくは訊いて見ぬが奥州の曠原に汽車のかゝつたのは何でも明治廿二三年頃のことであらう。当時俚人〈リジン〉は陸蒸気〈オカジョウキ〉だと言つて魂消た〈タマゲタ〉。岩手県二戸〈ニノヘ〉郡大野村などでは、大野中程に陸蒸気出来た、お前船頭でわし乗るべ――と云ふやな俗謡まで出来た程である。其大野にもあり、それから四十里ばかりも離れて居ようか、上つて陸中和賀郡の小正月の晩、狐のお作立〈オサクタテ〉や当年の吉凶予報の野外劇で有名な後藤野【ごとうの】にもあり、仙台に入れば小午田【こもた】の広里にもあり、栃木の那須野ケ原にもあつたと言ふのはこの偽汽車の話である。此の話は皆さんは名を聞いただけで直ぐにあの話かとうなづかれるだらうが、自分は念の為めに諸国何所〈ドコ〉でも同じだらうと思はれる其の梗概を一つお話しする。例は自分の所から二十里程の後藤野の話。
――何でも此の野に汽車がかゝつてから程近い時分のことであらう。いつもの夜行の時で汽車が野原を走つてゐると、時でもない列車か向ふからも火を吐き笛を吹いてぱつぱつやつて来る。機関士は狼狽して汽車を止めるとむかふも止まる走ればやつぱり走り出すと言つたやうな按配式で、野中に思はぬ時間をとり、其の為めに飛んでもない故障や過ちが出来〈シュッタイ〉して始末に了へなかつた。そんなことが屡々あると、どうも奇怪な節々が多いので、或夜機関士が思ひ切つていつものやうに向ふから非常な勢ひ込んで驀然と走つて来た汽車に、こちらから乗込んで往くと鳥渡〈チョット〉真に呆気なく手応へが無さすぎる。其れで相手の汽車は他愛なく消滅したので翌朝検べて〈シラベテ〉見ると、其所〈ソコ〉には大きな古狐が数頭無惨な轍死をして居つたと言ふのである。何処も此の筋で行つて居るやうだ。多分大差がなからうと思はれる。其の好例だと思ふのに、大正十年〔一九二一〕十月廿一日の万朝報〈ヨロズチョウホウ〉に次ぎのやうな記事が載つてあつた。面白い記事であるから、その全文を採録する。曰く――
 中央線松本と篠の井〈シノノイ〉との間の潮沢〈ウシオザワ〉の大地辻り〈オオジスベリ〉の区域は昔から鉄道当局が少からず悩まされたところで、今も霖〈ナガアメ〉の後には幾分づゝ地辷りを繰返し、俗に地獄鉄道と呼ばれてゐる。一体信州の鉄道には大小の地辷り場所が外〈ホカ〉にもあるが、潮沢は一方が深い谷、一方は粘土の山で、其の中腹を這はせてある。線路が一夜の間に谷底に消えたことも、又列車が地辷りに乗つて転がり落ちた例もある。夫〈ソレ〉は別として此山中で今でもよく人々が語るRomansを紹介する。隣家へ何町、臼の借貸しも山坂が急で危いという此山間に、お半婆さんと言ふのが居た。ある朝新〈アラタ〉に誰かが作つた道を辿つてゐると、遥か向ふから真黒な怪物が大きな眼鏡をかけ、太い煙管でもくもくとタバコをふかしたがら近づいて来た。婆さんは驚いて腰を抜かした。近づいた怪物は大きな息をして、何かどえらい声を出したが婆さんは逃げる気力が無かつた。是は汽車であつた。機関士は頻りに非常汽笛を鳴らしたが婆さんは動かぬので進行を止め、下りて行つて婆さんを線路から引張り出した。其後婆さんは幾度も汽車を見慣れたが、先頭の機関車だけはどうしても生物〈イキモノ〉だと主張してゐた。話変つて、雨のそぼ降る六月の朧月夜〈オボロヅキヨ〉であつた。潮沢山中の白坂トンネル附近に進んだ列車の機関士が、前方からくる一列車を認めた。非常汽笛を鳴らすと同じく向ふでも鳴らした。止まると向ふも止まつた。鏡に映るやうに此方の真似をする。機関士は思ひ切つて驀進に〈マッシグラニ〉進行を始めた。衝突と思う刹那に列車は影を消した。其後も二三度出あつた。いつも月の朧な夜であつたが、やがて線路に一頭の古狐が轢死した後は其事も絶えた。附近に今でも其狐の祠〈ホコラ〉があるとか、怪しい列車は狐の化けたものとして土地の人は信じてゐる。月朧〈ツキオボロ〉の山間には機関士の錯覚を誘ふ樹木石角の陰影もあらうが、鉄道開設時代の獣類に関する之に似た話は各地にもある。
 斯う〈コウ〉言つてゐる。先づ大凡〈オオヨソ〉這麼〈コンナ〉話である。此の話が其麼〔ママ〕辺まで進展して往くか分からぬが、後には屹度一つの纏つた口碑にならうと思はれる。船幽霊の伝説は立派な花葉を飾り持つて居る。そして神秘な海洋といふ背景が許さぬから彼話をば今以ていよいよ不可思議なものにして居る。併し偽汽車の語では其結末が何れもあつらへたやうに多少のユーモアを交へた狐狸の仕業に帰してゐる。此れは広いと言つたとて高が知れた限りのある草原の話だからであらふ。話者も前話では何処までも深重な表情で語の余韻をばミスチカル〔mystical〕にしようとするが、此話では屹度語り了つてから破顔一笑するのが其の型である。此れ位に両話の機縁が違つてゐる。
 併し此話は先にも言つた通りに極く新しい口碑である。其れだけ未だ充分に完備した強固たる根生〔ママ〕と同情とを持つていぬのも致方〈イタシカタ〉ない話である。例へば自分の最〈モットモ〉近き斯話の発生地だと言ひ伝はつて居る村に行つて訊くと、きまつて土地の人は其んなことはあるものですか、知らぬと言ふ。否そんな筈がないがと言つたつて、本場で知らぬ物はどうも出来ぬ。そこで土地の人から反語的に斯う云ふ案内を受けるのである。それは俺が所の話ではないが、関東の那須野が原にあつた話ださうなと。此話をそれでは民間には全く不信用のものとして、仮りに鉄道当局の記録課(若しさう云ふ所があつたなら)へ持ち込んだとしたなら、此れも必ず否〈イナ〉と言はれるであらう。此れでは此の新しい興味ある口碑は単なる偽〈ウソ〉となつて立ち消えねばならぬ果敢ない〈ハカナイ〉運命のものであらねばならぬのである。
 ところが事実は全く正反対の結果である。現に北海道で、樺太で、と日本人の往く新領地へはどんどん伸びて行つている。何もそんな遠方の話でなくとも十里二十里へ往く山間の軽便鉄道にまでその悪戯〈イタズラ〉が何日〈イツ〉あつたと噂されるやうになつて居る。併しそれはどうも朧月夜の出来事である。真偽如何、樹木石角の幻影やは井上〔円了〕博士の妖怪学講義でも見たら直ぐ片がつくことだらうが、たゞ其れだけでは片付かぬのは、いつも言ふ所の其噂の流布的信仰の点である。どうして其麼〈ソンナ〉話が斯く広く多く広まつたであらう。此事に就いては諸君には屹度其れはと言ふ好き〔な〕御考へがあるだらうから、それは私は正直に教示して頂きいただき度いとして、然らば私はどう考えてゐるかと言ふと、やつぱり今の所では此れだけのことしか言はれぬやうに思ふのである。其れは斯うである。
「どうも‥‥‥」      (四月廿一日)

 文中、「其麼〔ママ〕辺」としたところがあるが、これは、「何麼辺」の誤植である可能性があると思ったからである。平凡社の世界教養全集所収の『東奥異聞』では、当該箇所は、「どの辺」という表記になっている。

*このブログの人気記事 2015・9・26(9位にかなり珍しいものが入っています)

 

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