礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

首実験では目撃者全員がジラードを指した

2017-06-13 05:40:11 | コラムと名言

◎首実験では目撃者全員がジラードを指した

 昨日の続きである。
 今回、山本英政氏の『米兵犯罪と日米密約――「ジラード事件」の隠された真実』(明石書店、二〇一五年七月)を読み、非常に多くのことを学び、多くの情報を得た。得た情報の中に、石岡實〈イシオカ・ミノル〉の「相馬ケ原の渦中から――ジラード事件一捜査官の覚書」というレポートの存在がある。
 これは、事件のあった一九五七年(昭和三二)に、雑誌『文藝春秋』一一月号に載ったものである。石岡實(一九一〇~一九九六)は警察官僚で、当時は、群馬県警察本部長、のちに内閣官房副長官となる。ちなみに、山本英政氏によれば、このレポートを執筆したのは、石岡實ではなく、当時の刑事部長・岡田三千左右だったという。「三千左右」の読みは、確認していないが、たぶん「みちぞう」であろう。
 さっそく、読んでみた。事件の複雑な経緯、こみいった背景などを、きわめて客観的に、また、実にわかりやすくまとめている。ナミの文章力ではない。
 かなり長い文章なので、全文を引用するわけにはいかない。とりあえず本日は、最初の二節分を紹介してみたい。

 相 馬 ケ 原 の 渦 中 か ら
  ――ジラード事件一捜査官の覚書――  
     石 岡 實【いしおか みのる】 (群馬県警察本部長)

  犯 罪 容 疑 濃 し
 ジラード事件は、目下公判継続中で、前橋地検が心血をそそいで、立証努力中であるから、裁判に影響を及ぼすおそれのある点は書くわけにはいかない。もっともこの事件はあまりにもジャーナリズムのちょう児となりすぎたので、内外の報道陣にあらゆる角度から探りつくされ、大体の事実は既に周知である。弾丸拾いの掘った穴で相馬ケ原の山容あらたまる、と言われたが、裁判当日の前橋市は、報道陣の車と旗で見違えるくらいだ。
 同じ様なことを繰返すのもどうかと思うが、事件に関する若干の覚書という軽い気持で筆をとってみた。(〔一九五七年〕九月二十四日、ジラード事件第一回実地検証の日誌す〈シルス〉。前橋は、新聞記者のお祭りのようだ)。
 事件が起きたのは、〔一九五七年〕一月三十日午後一時少し前である。
 米軍三ケ尻〈ミカジリ〉地区憲兵隊から、群馬県警察本部捜査第一課に、「相馬ケ原演習場で女の変死体が発見された。」と連絡があったのは、午後二時四十五分であった。
 死体解剖の決定は、一般の例にしたがい三十日夕刻手続を終っていたが、私が事件を知ったのは、翌一月三十一日の午前である。米軍使用の演習場であり、しかもどうやら演習中の事故のようだから、第一次裁判権は、米側にあるかとも思われるが、「薬きょうをまいて呼び寄せておいて、ねらって撃ったのだ。」という聞き込みもあるのですが、との報告であった。
 相馬ケ原演習場は、毎朝散歩の時、利根川を越えたすぐ目の前、榛名の青黒い山麓に、木が少いのでうす黄ばんで一隙目立って見えているが、行って見たことはない。
 ただ本年一月早々、砲弾の破片で、村岡某という人が死亡した事件が起り、その記憶がまだ生々しかったときであり、特に薬きょうをまいて呼び寄せて撃った、という情報が焼けつくように頭についた。事故は事故でもちょっと違いそうだ。いわゆる自損行為ではないようだ。もしこの情報が正しいとすれば、禁を犯して入った者も悪いが、殺してよいという法はない。如何にもひどい。人間の尊厳に対する冒とくだ。第一次裁判管轄権が日米いずれにあるかは、捜査してからでないと判らない。いずれにせよ、我が警察には、渉外事件についても、犯罪容疑あるものについては、捜査の権利と義務があるのだ。本件はことによると殺人罪に該当するかもしれぬ。私は岡田〔三千左右〕刑事部長、下平捜査第一課長と、日米行政協定を入念に当るとともに、情報の真疑の度合を高崎署に確めた結果、直ちに本格的な徹底した捜査に着手すべきである、との結論に達し、検察庁とも打合せ、方針の一致をみた。先ず死体の解剖結果に注目すること、と情報の確認だ。更に目撃者等を最大限に調査することである。
 同日午後、CID〔米陸軍犯罪捜査指令部〕小泉調査部、キャンべル犯罪調査官立会の下に群大医学部で解剖の結果、坂井なかさんの背中から入った空薬きょうは、胸部大動脈上部に発見された。砲弾の破片とか、実弾射撃中たまたま間違って当ったのではない。即ち犯罪の容疑が濃化したので、解剖に立会った日本側田村警視からキャンべル調査官に対し、刑事事件として捜査を進める点と、直ちに目撃者による被疑者の確認をしたいから事件当日の演習参加者を一カ所に集められたき旨を申入れた。
  ジ ラ ー ド 否 認 す
 空薬きょうが底部(底部直径一・一糎〈センチ〉)から身体の奥深くめり込み胸腔〈キョウクウ〉が血の海に化した様子を聞き思わずめい目した。参考人からの供述も快調に進み、この解剖の結果と合せ、事件の大ざっぱな輪郭がつかめたような気がした。次は、先ず被疑者を特定し取調べることと、米軍側の当時居合わせた者から詳細な事情を聴取することだ。私は首実験の前に一応現場の実地見分をすることの必要を感じ、直ちに〔岡田〕刑事部長以下を、その日夕刻現場に向けた。
 二月一日午後一時、演習当日の米兵を籠原キャンプに集めておくから首実験に来て貰いたい、と当方の申入れに対する回答があったので、刑事部長は目撃者数名とともに同地に赴いた。
 事件当日は、直属上官も附近に居たのだし、坂井なかさんが倒れたので驚いて、衛生兵も来て、「もう駄目だ。」と手を振ったり、日本人に、「背負って行け。」と言った者も居るのだから、誰が被疑者であるかは、部隊では当然判明しているはずだから、ことによると首実験の必要もなく、被疑者を発見し得るかとも考えられたが、事実はやはり首実験の方法によった。
 事件当日演習に参加した者全員に若干他の者も混え〈マジエ〉、毎回隊列を変更させつつ五名の目撃者に指定させた。全員間違いなくジラードを指したが、その落着かぬ態度は、全然本人を知らぬ〔岡田〕刑事部長の目にも異様に映ったようだ。ここで先ず米側がジラードを取調べたが否認するので我が方の刑事部長が厳しく取調べをした。初めは現場に居たことも認めぬ程の白々しさであったが、一応現場に居たことは認めはしたものの犯行自体については、知らぬ、存ぜぬ、の一点張りであった。しかし終始うつむき加減であり、急所を突かれると緊張感が顔に現れ、不安の表情がありありと読まれ、そのいい加減な供述は、あいまいと矛盾に満ち、面割〈メンワリ〉捜査と並んで彼が犯人に間違いなかろうとの心証を強めた。
 直属上官、モーホン少尉からも事情をただしたがこれまた要領を得ない。このモーホン少尉は、直属上官の立場からという訳で終始日本側の取調べに立会ったが、「その女が倒れて居た場所には自分もその時行ってみた。その時弾丸拾いと思われる日本人数名が話をしていたのを自分の隊の日本語がわかる兵隊が聞くと、その日本人達は、女が倒れた時間を午前中にしようか、それとも午後にしようか相談していたのであった。」というような発言をし、暗に日本の警察が、流弾に倒れた者を強いて犯罪に持って行こうとするものであるかのようなを態度を示したので、「死体から出たのは空薬きょうであるから、実弾射撃をした午前中の流弾によるものではない。」と駄目を押したのであった。このモーホン少尉の聞いたという日本人数名の話は、その後突込んだ捜査をしたが出て来なかったし、後に出てくる二月十一日の現地においての実地検証のとき、〔岡田〕刑事部長が、その日本語の判る兵隊の氏名、話の内容の詳細、等について尋ねたが、モーホン少尉の答は極めてあいまいであった。そのあまりのあいまいさに、業を煮やした刑事部長は、「あなたの過日の熊谷でのお話は、神に誓って間違いないか。」という質問をした。この神に誓って、という言葉が、その時の状況からして傍〈カヤワラ〉に居た関係人達に対し、非常にドラマチックな感じを与えた、という一コマもあった。
 一応否認のまま取調べは打切ったが、米軍捜査機関との協力体制・情報交換等の話合いは軌道に乗った。米軍関係人を当方で直接取調べるのは、労多くして効少いと考えられたので、第一次的には、米軍捜査機関に任せ、必要な調査項目を要求する方針とし、常時、双方の情報を検討し合うこととした。
 米人は、自己の権利を正確に守るべく習慣づけられているので、自己に不利な点は、万已むを得ない〈バンヤムヲエナイ〉範囲以外は、言わないことが多く、第一回の取調べにおいてもまさしくそうであったから、たとえ被疑者が全面的に否認しても事実を立証し得るに足る必要証拠を収集することとした。

*このブログの人気記事 2017・6・13(9位にきわめて珍しいものが入っています)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする